東日本部落解放研究所編『群馬県被差別部落史料 小頭三郎右衛門家文書』
評者:大熊 哲雄
「群馬文化」295(2008.7)


 本書は表題通り、被差別部落の歴史に関わる史料集であるが、前橋市内の一被差別部落に伝来した内部史料(小頭家文書)であるという点に最大の特徴がある。しかも、東日本においてはこの種の史料集がほぼ近世史の範囲に限られてきたのに対し、四七五点の近世史料に加えて、勇気ある決断の下、一三〇点の近現代史料を収録している点にも本書の大きな特色が見られる。
 従来のいわゆる部落史がとかく差別と貧困を一面的に強調し、社会的疎外や「ひとの嫌がる仕事に従事していた」とする職業・役割観で描いてきたことに対し、一九七〇年代後半頃から、そうした部落史像を批判し見直す動きが強まった。そこで大きな役割を果たしてきたのが、埼玉県の『鈴木家文書』に始まる内部文書の公開であり、本書は、そうした流れをより強め広げる役割を担って刊行されたと言えよう。

 本書収録の史料に即して、右の視点を示す事例を幾つか紹介しよう。まず竹筬の製造と販売が重要な生業・産業であったことが知れる。周知の通り、筬は織機の重要部品であり、養蚕・製糸・織物業を近世以来重要産業としてきた本県にあって、欠かすことのできない役割を果たしてきたのである。しかも、近現代史料を大幅に掲載したことで、その足取りを具に追うことができるのである。次に、天狗岩用水の水番を明治十七年まで勤め、流域数十ヶ村の農業生産を支えてきたことも知れる。その始源は天狗岩堰開設からと伝えられるが、この部落の人びとが秋元氏と共に武州深谷から移住した証跡が認められることからも、江戸時代を通じて一貫してこの用水を守ってきたことは確かである。この仕事が地域社会にとって不可欠のものであり、従って、その役割に相応する手当が関係村々によって保証されていたことも具体的に知れる。また、本書には、他地域の事件史料が収録されている。その一つが武州荒木村(現埼玉県行田市)における被差別民所有農地の取り上げ事件であるが、町奉行所を舞台に被差別民側が全面的勝利を得た様子が窺える。この種の史料が幾つも見出されることは、各地の被差別民が地域に生じる諸問題や闘争体験を共有しょうとしていたこと、そして、それを可能にするネットワークを築いていたことを窺わせる。

 総じて、本書を通覧することにより、一面的な差別と貧困の図式では捉え得ない被差別部落の豊かな歴史像を垣間見ることができよう。ここで思い起こされるのは、『群馬文化』二三四号『群馬県史』完結特集での近世「生活・文化」編欄における高橋敏氏の一文である。氏は苦言として「十有余年にわたる悉皆調査の上に、広く上州の民衆の生活・文化を取り上げた本書に、何故か被差別部落の人々の歴史にかかわる叙述が見当たらない。群馬県地域史の新米の筆者にしても、彼らの果たした歴史的役割を示す資料の存在を知っている。関係者の努力に敬意を表しつつも、将来に疑念をのこす一事である」と述べているが、本書発刊の今こそ、本分野に対する非学問的風潮を改め、氏の疑念をはらすと共に本分野の研究進展を図るべき時と考えるものである。



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