本書は、佐藤喜久一郎氏が筑波大学大学院歴史・人類学研究科に提出した博士論文に加筆訂正を行い、一冊の本として完成をみたものである。
本書は「上野国という場で行われてきた歴史解釈のせめぎあいの過程を、「上野神話」の名のもとに再構成することで、「上野国」という概念をめぐるさまざまな葛藤の歴史」を明らかにすることを目的としている。
本書は次のような章立てになっている。
序章 上野神話という概念
第一章 近世化された周縁
第二章 「物部神道」と「榛名神道」
第三章 『神道集』と「在地縁起」
第四章 「羊大夫」と「上野国」の終焉
終章 再び周縁へ
序章で著者は、神話が異なった社会的・時代的背景のもとでいかに読まれ、いかに読み替えられてきたのかに自覚的になるべきだと主張する。これによって「上野国という解釈の場における、主体と想像力の歴史を抽出する」ことが可能となるのである。
第一章では、「上州盗」「甘楽大夫」「佐大夫」など碓氷峠の境界イメージに関わる語彙や概念について分析を行っている。これらの変容過程を「「賊」と名指しされた人々の近世的な主体構築の歴史」としてを描き出した。著者はそれを「上野神話」の主体の近世化現象であると主張している。
第二章では、榛名山を中心とした榛名信仰の宗教的職能者の近世化現象について論じている。中心的な問題となるのは、近世日本の偽書として有名な経典『先代旧事本紀大成経』についてである。著者はそれを長野采女なる人物がさまざまな書物をつぎはぎして、そこに自己の近世的価値観にもとづく解釈を付加したものだと主張し、『大成経』をめぐる様々な意志と願望のせめぎあいを明らかにしながら、中世的な伝承が家の歴史へ転化していく様を描写している。
第三章では、『神道集』における「言説のほころびや錯誤」に注目し、そこから「現実の社会における秘された対抗関係や矛盾」を丁寧に読み解いている。前半部では那波八郎が「在地縁起」と密接に結びつく中で家の歴史や由緒の歴史性を重んじる近世的な視点で読み替えられていく様子を、後半部では小幡氏に関わる「お菊」信仰の近世的展開を追っていく。後半の「お菊」信仰に関する分析では、過剰で恐ろしいものであったはずの「お菊」をめぐる多元的な世界が、「石に歴史を刻み、あるいはさまざまな言説をあやつ」る男たちの歴史化の作業によって従属され利用される様を描いており、本書で最も印象深い部分の一つである。
第四章では、近世的知識人による「羊大夫」伝説と「多胡碑」の「発見」と解釈を中心的に扱っている。ここから、在地の人々がさまざまな要素をつぎはぎしながら新たな民俗を形成し、それに見合った新たな近代的主体を構築していく様、「「上野国」の終焉」を描き出している。
最後に終章で著者は「在地社会における出来事は、神話へと語り換えられることによって、はじめて歴史として構築される」と結論づけている。
膨大な文献資料と筆者にしかできないフィールドワークで得られた聞き書き資料を巧みに読み解いた本書は、専門的な研究書であり、「上野国」への複雑な愛に満ちた地域研究の書物である。民俗学に関心のある読者や「上野国」の住民だけでなく、全ての読者に開かれた書物であるといえる。
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