胡桃沢勘司編著『牛方・ボッカと海産物移入』
評者:熊井 保
「交通史研究」66(2008.8)


 本書の構成は左記の通りである。

 第一編 越後経由の移入路
  第一章 千国街道の様相
  第二章 輪送機関をめぐる問題
 第二編 飛騨経由の移入路
  第一章 野麦街道の様相
  第二章 越中・南信濃との接続
 特論 年取魚としてのブリ

 本書は宮本馨太郎研究室が一九七六年三月に刊行した『大町・糸魚川街道のボッカ調査報告書』(以下『調査報告書』と略称)を第一編第一章にすえ、第二章には胡桃沢・大久根氏の共同執筆を、第二編・特論には胡桃沢氏の関係論文を編成している。全体として越後・富山の北陸地方から塩・魚などの海産物を信濃へ運び込んだ交易路について論じたものである。

 『調査報告書』は立教大学学生であった胡桃沢勘司(近畿大学文芸学部教授)・大久根茂(埼玉県立さきたま史跡の博物館学芸主幹)・渡辺定夫(武蔵野音楽大学図書館)の共同執筆であり、一九七二年九月調査開始であるというから三六年前である。単位認定のあと宮本研究室が刊行した。宮本先生のご指導とともに、当時の学部学生の提出物の質の高さを物語るものであろう。教員と学生とのあるべき姿をかいま見た思いがする。『調査報告書』での伝承及び写真は既に消えたものもあり貴重な記録である。なお、大町・糸魚川街道という呼称は現在では千国街道と称しているので本書でも現在の呼称にしている。
 信濃での塩は東塩、南塩、北塩があった。東塩は利根川の最終遡航の倉賀野河岸から瀬戸内海産が入ってきた。南塩は鰍沢(富士川)から諏訪地方へ入ってくるものと新城(豊川)・今戸(木曽川)から飯田などの南信地方へ入ってくるものがあり、北塩は越後から長野を中心とした北信地方、松本を中心とした中信地方へ入ってくるものがあった。各地の河岸へは信濃の産物であるたばこ・麻・林山加工品等を付けて行き、帰りに塩・魚・陶磁器等が付け戻された。江戸時代の物流の中心は河川・海の舟運であるが、舟運が利用できないところは牛馬の背中、牛馬も利用できないところは人間の背中ではこぶボッカが活躍したのである。本書の対象地域では、北塩が馬よりも牛で移入され、さらに冬場には雪が深くボッカが活躍したのである。

 第二編・特論は「飛騨ブリ」を中心としたものである。越中富山湾で水揚げされたブリは飛騨高山を経由、野麦峠をこえて松本へ運ばれた。千国街道と同様に牛方とボッカが活躍したのである。「飛騨ブリ」は中信地方で年取魚として賞味された。これにたいし北信地方での年取魚は鮭である。この食文化の習慣は現在も継続しているものであり、本書の刊行はこの食文化の相違を検討するのにも適当な文献といえる。



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