大藤ゆき著『子育ての民俗―柳田国男の伝えたもの―』
評者・京田直美 掲載誌・御影史学論集32(2000.10)


 一九九九年、女性民俗学研究者達の研究活動をリードし、発展してきた女性民俗学研究会有志のもと大藤ゆき米寿記念出版本が刊行された。『子育ての民俗』、『母たちの民俗誌』(岩田書院、一九九九年三月刊)の合わせて全二巻である。大藤ゆき編『母たちの民俗誌』の序章「お袋」幻想−「家と男性」と本書U〜皿章の玉稿に加えて、本書I章に現代の教育問題「いじめ」をテーマとした論考が書き下ろされている。主な内容は、
(目次省略)
となっている。また、上記していないが、付論として収められた論考について、どれも数多い事例の引用があり、殊に「宮参り−赤子を臼に入れ箕にとる−」は鎌倉市極楽寺の稲村ケ崎で行なわれていた行事を再現し得たものでは貴重な記録となっていることを先につけ加えておきたい。
 まず、本書の中でもっとも感銘を受けたのは、巻頭のI子育ての民俗−現代と民俗学−である。大藤氏は、現代の「いじめ」問題を「人の一生」の中の心身ともに不安定な成長期の問題としてとらえ、十五歳前後のこの時期に行なわれてきた女性の初潮祝い、男性の元服祝いといった儀礼を節目に一人前の大人として押し出してやるという教育姿勢がかつての地域社会にはあり、それが子どもの心の安定に大きな役割を果たしてきたことを指摘する。子供組や若者組への参加は子どもに新しい社会的な責任と誇りを与えるだけでなく、年の近い青少年同士が相談しやすい交流の場ともなる。このような前代の民俗にみられる基礎文化の見直しこそ諸問題の解決に役立つことを提言した本論は、民俗学が現代社会において実践的役割を果たすにはどうすればよいのか、常に問い続けてきた大藤ゆきの姿と実践、そして未来へ向けた新たな視点が集約されているように思う。また、仮親の習俗を取り上げ、仮親に選ばれるオジ・オバと子どもの間に呪術的な意味を求めた論考は、子どもを取り囲む人間関係を子供の視点から考察したものとして興味深い。
 続いて、U産育の艮俗−民俗における母親像−をみれば、大藤氏の視点が常に子どもの立場あるいは女性の立場から注がれてきたことが理解できるに違いない。U産育の民俗は、本文中の図式「呼び名による女の一生」に沿えば、嫁の時代、母の時代、祖母の時代における主婦権の移行の問題、子育てについての論がまとめられている。ここでは、祖父母によるしつけの孫への影響力に触れた「子育ての伝承と育児儀礼」が、前章のオジ・オバ同様注目される。さらに、大藤氏のテーマは産屋、ナンド、産の紐、アマガツなど産育儀礼と関わるモノにまで及んでいる。現在でも、産育儀礼を衣食住の面から論じたものはそれほどなく、「産の紐」についていえば、国文学の成果に拠らざるを得ないのが現状ではないだろうか。その点からも、これらの論考が今後の産育儀礼研究に示唆する意義は大きい。
 V生と死の民俗−成長と老い−は産育儀礼と葬送儀礼が対応すると考える自説の総体的な論証が中心で、両儀礼が対応する理由について、生後死後ともに七日間という期間を一段階とすることは長年の経験から生まれた知恵であり、それが七日ごとの儀礼となり、生死という人間の極限状態に対して同じような比重をもった生死観が生み出したものだと、述べている。こういった観点から、「生と死のキモノ」では、死の世界へ生まれかわるために必要な衣装の総称「経カタビラ」に対応して、生の世界に入るための衣装を総称するために「ウブカタビラ」と名付ける仮説をたてられた。この章で、大藤ゆきの「人の一生」観が大成される。
 最終章であるWわが師柳田国男には、大藤氏と恩師柳田国男との交流歴、研究活動の軌跡を軸に女性民俗学研究会という呼称前の「女の会」の歴史がまとめられている。研究生活を振り返りながら語る大藤氏の言葉の一つ一つがとても印象深く脳裏に焼きつくのはなぜだろうか。
 これまでにも、大藤ゆきの長年にわたる研究は数多くの論考にまとめられ、殊に処女作『児やらひ』は日本長俗学の研究を志す者にとっては必読書となった。私にとっては、入手に月日を要した産育儀礼を知った頃の想い出が伴う宝物だった。本書は、その『児やらひ』以上に、大藤氏が確立してきた女性の視点からみた民俗学、柳田国男が女性に期待し導こうとした世界を示したものになったのではないだろうか。民俗学研究者だけでなく、ひとりでも多くの女性達に是非とも一読願いたい。きっと、心に残る一冊になろうかと思う。
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