本書は佐藤博信氏の還暦という慶事を機に、氏と千葉歴史学会中世史部会等を通じた方々がその研究成果を『中世東国論』上・下巻としてまとめた論集である。本書はその下巻である。「あとがき」でも述べられるように、「その視点を広く東国にむけることで、房総史の視点から東国史をとらえ、あるいは東国史のなかに房総史を位置づけることによって、東国史研究の進展に寄与するとともに、中世房総の歴史的・地域的特質への認識を深めていくことを目指」したものである。
本書の構成は以下の通りである。
T 宿と町場の営み
中世「墨田渡」と墨田宿および石浜について (加増啓二)
香取社宮中町の成立と変貌
−東国における町場展開の一様態− (湯浅治久)
戦国後期房総における城下集落の存在形態
−内宿地名の検討を中心に− (遠山成一)
中・近世移行期を生きた商人の一様態
−城下町館山における岩崎氏を例に− (滝川恒昭)
U 人と物の交わり
中世の鎌倉と山林資源 (盛本昌広)
常陸国久慈西部と金沢称名寺について
−瓜連の歴史的位置と替用途をめぐって− (小森正明)
戦国期東国の徳政 (黒田基樹)
大和田重清をめぐる人と地域 (日暮冬樹)
V 宗教と理念
日蓮と鎌倉政権ノート (坂井法曄)
中世末の密教僧の交衆と付法について
−上総国真義真言宗を中心に− (植野英夫)
東国大名里見氏の歴史的性格
−支配理念の側面から− (佐藤博信)
佐藤博信著作目録
あとがき
本書の内容を簡単に紹介したい。
T宿と町場の営みでは、宿や町場の人々に焦点をあてている。
加増論文は、古代から中世の東国で重要な流路であった隅田川の渡河点である「墨田渡」の位置を諸史料から探るものである。
湯浅論文は、地方の市町の成立と発展について、地方有力層である在地領主の関与という視点から下総国香取社の宮中町の成立と変貌を追う。
遠山論文は、戦国期房総における政治権力を考察する視角として、城下構造の内宿事例を挙げてその特徴を指摘する。
滝川論文は、安房国館山を拠点に活動する商人岩崎氏の実態に迫り、米を基調としながら多角的な経営によって巨富を築いた商人であったとする。
U人と物の交わりでは、流通・交通について論じている。
盛本論文は鎌倉における植生と鎌倉で使用された材木・薪炭の確保や流通から都市鎌倉に与えた影響に迫る。
小森論文は、常陸国久慈西郡の称名寺領の年貢は、称名寺の使僧や蔵本・替銭屋などの商人層の手によって、替用途などの銭立で送進されていたとする。
黒田論文は、戦国期東国における領域規模の惣徳政の背景として広域的な飢饉・災害があり、村々の成り立ちのための具体的な対策として行なわれていたとする。
日暮論文では、『大和田重清日記』から、重清の所領では様々な人物が年貢納入や物資購入に関わり、知行地以外の収入もあったのではないかと推定する。
V宗教と理念では、宗教やその理念について扱っている。
坂井論文は、日蓮と鎌倉政権との関係について、史観・朝廷・国家諌暁・後家尼御前といった視点から検討している。
植野論文は、中世末の密教僧の交衆と付法について、市原市の釈蔵院と袖ヶ浦市の光福寺の史料から東国密教僧の人的・地縁的繋がりを明らかにしている。
佐藤論文では、戦国大名里見氏の歴史的性格が支配理念の面から検討され、禅僧・日蓮僧・浄土僧らをブレーンとし、古代中国の哲学思想の摂取を背景とする精神的文化的宗教的雰囲気の濃密な支配理念を創出したという。それらは「御百姓」支配と法度支配の確立であったと結論づけている。
以上、はなはだ拙い紹介になってしまい、また各執筆者の意図とは異なる点があったかも知れないが、ご宥恕いただきたい。本書は中世東国社会構造を理解する上でも画期的な論文集である。本書の上巻である『中世東国の政治構造』と合わせて一読することをお薦めしたい。
|