佐藤博信編『中世東国の政治構造 中世東国論 上』
評者:佐藤貴浩
掲載誌:「地方史研究」333(2008.6)



 本書は、長年にわたって東国中世史研究の中心的役割を果たされてきた佐藤博信氏が平成十八年十月に還暦を迎えられたことを祝って、編集されたものである。千葉歴史学会中世史部会を中心とした様々な場で、佐藤氏の学恩を受けている方々が、数多くの論文を寄稿されている。そのため、上・下二分冊の構成となっており、本書はその上巻にあたる。主に政治史に関した論文を収録しており、東国中世社会の解明や研究の進展を目指している。まずは、目次を紹介したい。

 まえがき
T 鎌倉府
 雑訴決断所と鎌倉将軍府                     (阪田雄一)
 南北朝・室町前期における幕府・鎌倉府間の使者          (松本一夫)
 白旗一揆の分化と武州白旗一揆                  (小国浩寿)
 南北朝・室町期の関東護持僧について
 −『頼印大僧正行状絵詞』を読む−             (石橋一展)
U 古河公方
 享徳の乱における足利成氏の誤算
    −貴種の格付、正官と権官、主君と家臣の関係についても−  (久保賢司)
 下総国篠塚陣についての基礎的考察
    −古河公方足利成氏・高基父子の房総動座−         (和氣俊行)
 室町・戦国期の下野小山氏に関する一考察
    −特に小山大膳大夫家を通じて−              (佐藤博信)
V 地域権力
 戦国期千葉氏の元服                       (外山信司)
 真里谷城跡出土遺物の歴史的位置
    −天文六年、「新地」の城との関係を中心に−         (簗瀬裕一)
 戦国期佐竹南家の存在形態 (今泉 徹)
 「房総一和」と戦国期東国社会                  (武井英文)
 関東領有期徳川氏家臣と豊臣政権                 (平野明夫)

 さて、本書は、南北朝期から織豊期に至るまでの幅広い論文が収録されている。簡単ながら、それぞれの内容を紹介したい。
 T鎌倉府では、関東統治のために設置されたとされる鎌倉府について論じる。
 阪田論文は、建武新政下の鎌倉将軍府は、雑訴決断所の出先機関ではなく、軍事拠点として認識されていたとする。
 松本論文は、幕府・鎌倉間の使者の往来を検討し、両府の政治的立場や山内上杉氏等の立場を論じる。
 小国論文は、白旗一揆が武州白旗一揆というように国別に分化する過程を検討している。
 石橋論文は、鎌倉期から南北朝期までの護持僧について、京都との関係などを交えて論じている。
 U古河公方では、東国社会に大きな影響を与えた古河公方について検討する。
 久保論文は、享徳の乱の再検討を行い、小栗城攻防戦の長期化、勝長寿院門主成潤の存在等について論じ、成氏の誤算について明らかにしている。
 和氣論文は、足利政氏・高基父子の篠塚在陣の実態について、歴史的・地理的考察を行い、歴史的事実であったとする。
 佐藤論文は、小山大膳大夫家の検討を行い、小山家当主に次ぐ位置にあったことを指摘し、近世に至るまで自立性を保持していたこと等を論じている。
 V地域権力では、近年、研究が盛んになっている地域権力について検討がなされる。
 外山論文は、千葉氏の元服について、民俗学の成果等も交えながら、系統が変わった馬加千葉氏以降の千葉氏が自己を正当化するための政治的な儀式であったとする。
 簗瀬論文は、従来、真里谷武田氏の本拠とされていた真里谷城が、『快元僧都記』にみえる「新地」の城であったことを考古学の成果を中心に論じている。
 今泉論文は、佐竹氏の分家である佐竹南家の系譜等に関する基礎的考察をした上で、その果たした役割について言及している。
竹井論文は、後北条氏と里見氏が結んだ「房総一和」の実態を在地の問題や秀吉の惣無事令なども絡めながら検討している。
 平野論文は、関東知行割・叙位任官・贈答・聚楽第行幸という四つの事例を通じて、徳川氏家臣と豊臣政権の係わりを明らかにし、関東領有期の徳川権力について言及している。

 以上、拙い紹介で、本書の魅力を十分に紹介できていないが、本書は中世東国の政治構造を考える上で、必読のものとなるであろう。下巻である『中世東国の社会構造』と合わせて、御一読することをお勧めする。



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