大藤ゆき編『母たちの民俗誌』
評者・小田嶋政子 掲載誌・女性と経験25(2000.9)

 本著は、先の『子育ての民俗』(一九九九年 岩出書院)と対をなす大藤ゆき米寿記念出版の第二巻目の書である。編者大藤ゆきに縁ある人々が、編者のライフワークである「母の民俗」を今日的に検証する(あとがきより)ことを中心に論考を寄せている。目次・構成は以下の通りである。
(目次省略)
 序章 「お袋」の幻想
 編者大藤ゆきが「家と男性」を著している。一九八五年の坪井洋文・宮田登・小島美子三氏の座談会において、男性民俗学者たちが「お袋」に固執して語る姿に、「女性の側からの視点のみに集中して、男性が家をどうみているかという視点が欠けていた」と、カルチャー・ショックを受けての論考である。
 著者は、明治の女性がその年齢に応じたつとめを、嫁や母として果たすことによって、賢い主婦に育てられ「家族への心くばり、家の運営、子育て」にも、つつがなく配慮できるようになると記す。著者は母と子の強い繋がりや、かつての民俗伝承社会を意識するあまり、現在のノッケオカミサン時代の○歳児保育、生産と消費が結びつなかい生活に警鐘をならす。筆者もそれを全く否定するものではないが、社会変化を認識しつつ、民俗学を生かす方向への模索は、これからこの道を進む者たちに課せられた謀題であろう。
 第一章 「母」の誕生
「お産今昔」で、著者大林道子は、現代一般にわたくしたちが経験する医学的なお産に一考を投じている。帯祝い・産屋・胞衣を事例に歴史資料や民俗資料によって、「以前のお産」から「今のお産」ヘの変遷を論述している。者者は、日本のお産の第一次革命(明治初期)は女性である産婆によって担われたが、第二次革命(第二次大戦後)は、多くは男性である医師によって行われたと述べる。現在、家族の立ち会いのもとで行われるお産が軽いという事実を突きつけられるとき、出産介助をした産婆や経産婦による「講」などの存在が安堵感とともに浮かび上がる。
 「富士山麓の小安信仰−杉田の子安霊神、久沢の子安妙魄霊神−」は、子安信仰を識ることから民俗学への学びが始まったという著者小林笑子のフィールド・ワークである。論考は杉田子安霊神の履歴書、および縁起書の解読に始まり、集団祈願から個人祈願に移行しつつある現代までの子安講の変遷、子安妙魄霊神にかける母たちの伝承を丹念に検証している。現代社会は「子安サン」に代わる紐帯を、何に求めているのであろうか。考えさせられる論考である。
 繁原幸子は「名付けの民俗−その意味と力−」を論述している。名付けの日・名前の力・名付け方に分けて、全国的にみられる習俗の偏差を述べ、名付けによって成長祈願をした時代を背景に、医学が発達した近年は忘れがちな民俗を拾っている。まとめでは隣国中国や韓国との共通点にも触れている。
 第二章 形成される「母」
 福尾美夜は、「「手とおし」から「イロ」を縫うまで−岡山県における明治・大正の衣生活−」と題し、きもの(和服)が主婦の手仕事とされた時代の人の一生と衣の係わりについて論じている。岡山県の事例を上げているが、全国にも当てはまる通過儀礼の衣服の集大成となっている。自ら手がけることなく既製品を消耗している現在の衣生活では、忘れられた民俗用語も多く、著者の長年の堅実な歩みを感じさせる丁寧な背守りの解説図が挿入されたこうした論考は貴重である。
 「産育儀礼の時代性−東京都足立区の事例を中心に−」で、著者の佐々木美智子は、都市社会をフィールドに現代のお産を分析している。腹帯、出産、ヘその緒、宮参りなどの民俗事象を調査分析し、時代の流れを提えようと試みている。民俗事象の有無が整然と整理され、儀礼の濃淡がはっきりと描き出されている。それぞれが担う地域の特徴的な儀礼の伝承は少なく、画一化されていることがわかる。
 著者花部ゆりいかは、「「ことば」で綴る産育習俗」と題して、川崎市宮前区の住宅地をフィールドに、「現代の民俗を報告する手立てとして」、「話者自らの言葉による表現方法」を生かし、「直截的な考え方や生活感情を読みとってみたい」と、都市生活者の生きた語りを収録している。公園デビューの言葉にみられるような、新しく造られた地域、そこで培われる民俗を積極的に探ろうとする論考である。
 「ドイツ子育て日記」は、題名の通り著者高野享子自らのドイッ留学期の子育て日記である。一九六九年に家族とともにドイツ暮らしが始まった著者の一九八三年一年間の記述を通して、日本とドイッの行事の習合状況が分かって興味深い。
 第三章 反応する「子ども」たち
 「聴耳の芽生え」で著者杉浦邦子は、孫娘への語り聞かせの経験を通して、「motheress」期の母子間の相互作用に基づく「耳言葉」の重要性を説く。著者自らが長期間に亘って語り聞かせを実践しているだけに、論考の一つひとつの言葉に重みが感じられる。現代社会に生きているわれわれが、今一度語り・言葉の重みを顧みたいと思わせる論考である。
 「子ども盆の火祭り−西播磨を事例として−」と題し、者者今井登子は、姫路市を中心にした盆行事の火祭りについて報告をしている。火祭りの擬死再生の考察や、子どもの機能的な分類を思考しながら、一つ一つの民俗事象を丹念に検証している。どの地域でもそうであるように、民俗行事が消滅しつつある地域社会のこうした詳細なフィールドは今後の資科性からいっても貴重である。
「祭りにおける子どもの役割−神奈川県江の島の稲荷講を中心に−」で、著者粂智子は、江ノ島という区切られた地域に息づいていた稲荷講と子どもの関連について、年代を追って考察している。子どもが主体的に行事に取り組んだ昭和三○年代までと、その衰退・消滅がフィールドによって明らかにされている。かつて子ども自らが行事を担っていた姿が彷彿と描き出されている。都市化した「わが町」の祭りは、子どもたちとどのように関わるのか、江ノ島だけではなく、全国的な課題となっているはずである。
「出会いと別れの言葉」で、著者保坂和子は、日常の言葉であるオハヨウ、コンニチハ、コンバンハ等を中心に、挨拶言葉の変化について論している。地域で育まれた挨拶から、若者のポケットベル、携帯電話のコミュニケーションまで広く扱い、若者言葉は次第に短くなり、男女差が無くなりつつあると分析している。コンピュータや電子メールが普及した今日さらに変化するであろう言葉。日常語であるだけに関心がもたれる視点である。
 第四章 「母」の転成
 「「妻」から「妣」ヘの昇華−日本社会における「母性」性の最期−」で、者者刀根卓代は、明治生まれの本著の編者である大藤ゆきと小説家田中澄江の二人の書き記した歌や私小説の心象風景から母性を考察しようと試みている。老いてからの夫の看病、その後の看取るという体験を通して、妻から母への役割の変化を論じている。当時の最高の教育を受け、一人前以上の仕事を成し遂げた二人を、興味深い論理展開でまとめている。さらに著者は、戦後教育を受けた女性たちは今、まさにその入り口に立たされているという。
 「うまれかわり−三重県志摩郡吾児町志島の事例より−」で著者岡田照子は、一村一ケ寺のムラ組織を維持する志島の葬送儀礼と、死後その霊魂はやがて生まれてくる子どもの肉体に宿るという、生まれ変わりについて論じている。輪廻再生の願いはコミュニティ社会の中での死が単に個人的な出来事ではなく、社会的・集団的意味合いが強く現れた結果であり、共同体の永続や家の系譜への人々の切実な願望が顕現したものであるという。
 「甦る母性−福島県の静御前伝説−」で著者内藤浩誉は、歴史伝説の人である静御前が歴史資料や考吉学などを裏付けとしながら、いつしか土地の神様として崇められていく過程を論証している。しかし、こうした伝承も新来住者には希薄であり、今後の伝承維持や行政介入を模索する動きなど、どの地域にも共通する民俗伝承の課題が浮き彫りにされている。
 第五章 象徴としての「母」
 「母なる雑誌『主婦の友』」で、お茶の水図書館に勤務する者者川口みゆきが、図書館設立の背景となった石川武美発刊の『主婦之友』の果たした役割を紹介し、雑誌の歩みと、歩を一にする大藤ゆきの生きた時代を重ね合わせて論じている。平成九年現在(一九九七年)と、五○年前の昭和二二年(一九四七年)の記事の比較から、社会変化についても検証している。
 「飯杓子のシンボル化」で者者野上彰子は、主婦の旗印にされる飯杓子について、宮島杓子の成立過程とその後の展開を考察している。主婦連のシンボルとして用いた奥の行動、杓子を作る側の三宅の仕事を描きながら、その飯杓子に込められた意味を論じている。江戸時代の地場産業から生まれた杓子は形を変えることなく、実用品として受け継がれた事実に驚嘆を覚える。
 「「母の民俗」と国際化−中国人花嫁の民話−」と題して論考を寄せた野村敬子は、長い間の山形県をフィールドにフィリピン・韓国・中国等の故国民話を収集し、著書に著している。そのフィールド調査から、母が子どもの成長に寄せる思いの共通性を見いだし、育児民話を日本一国のみに固執するのは、何と近視眼的で不毛なことかと論じている。一方、「全く言葉が分からない、超スビード婚を特徴とする外国人花嫁」の現実、「子産みの性と生理を先行させ、後継ぎを求める家制度の匂い」を指摘し、国際化という甘い言葉ではなく、その間隙にある非常に重たい課題を私たちに提示している。

本著に寄せられた一八名の論考は、社会変化を意識しながら、それぞれの得意分野から今日的な謀題に迫ろうとする意欲的な試みであり、専門書としても、教養書としても価値ある出版となった。一方、民俗調査の常であろうが、切り口が従前の調査項目であったり、都市民俗を担う人々の背景となる習俗(北海道でいえぱ母村の習俗)に言及されていないなど、民俗調査や研究方法が先行研究の枠組みとなっている。このことは、筆者をはじめ、今後研究を行う者への共通の課題を提示している。
詳細へ 注文へ 戻る