渡辺尚志著『惣百姓と近世村落−房総地域史研究』
評者:中西 崇
掲載誌:「民衆史研究」75(2008.5)



 本書は、著者が一九八九年から二〇〇二年にかけて発表した上総国・下総国の村々を対象とする論文に、新稿三本を加えて一書に編んだものである。
 本書の構成は以下の通りである。
 
 序章
第一編 上総国長柄郡本小轡村と藤乗家
 第一章 明暦〜延宝期における「惣百姓」
 補論1 天和〜元禄期における「惣百姓」
 第二章 庄屋と身分的周縁
 第三章 十七世紀後半における上層百姓の軌跡
 第四章 藤乗家の文書整理・目録作成と村落社会
 補論2 藤乗家の文書目録
 補論3 長柄郡北塚村の村方騒動
第二編 房総の村々の具体像
 第五章 十八世紀前半の上総の村−上総国山辺郡堀之内村を事例として
 第六章 近世後期の年貢関係史料−下総国相馬郡川原代村を事例として
 第七章 相給知行と豪農径営−上総国山辺郡台方村を事例として
 補論4 細草村新田名主一件と高橋家
 第八章 壱人百姓の村−上総国長柄郡小萱場村を事例として
初出一覧
あとがき

 以下、まずは本書に従って各論考の内容を紹介し、その後で本書全体について評することとしたい。

 序章では、本書第一編で主に取り上げる上総国長柄郡本小轡(こぐつわ)村と藤乗(とうじょう)家、藤乗家文書の概要、および各論考の解説がなされている。なお、序章で触れられているわけではないが、本書が取り上げている上総国・下総国の村々の多くは土地生産力にあまり恵まれてはおらず、そのことが百姓たちの生活に少なからぬ影響を与えている。本書の随所で指摘されていることなので、冒頭で紹介しておきたい。また、序章では、著者が著書で常々行なっているように、自己の論考に対してなされた批判に対しての反批判を行なっている。批判の論考を丁寧に読んだ上で応答される著者の姿勢には、学ぶものが多いように思われる。

 第一章「明暦〜延宝期における「惣百姓」」は、第一編および本書全体の核をなす論考である。本論考では、明暦から延宝期にかけて、村で作成された文書でどのように惣百姓文言が用いられているかをまず明らかにし、さらに、惣百姓には庄屋を含まないこと、惣百姓に参加するには惣百姓と庄屋の承諾を必要としたこと、惣百姓が百姓の「家」の存続や村の秩序維持などについて庄屋から一定程度自立した存在として主体的に関わっていたことを指摘している。
 なお、著者は、村人が惣百姓に加わるためには惣百姓と庄屋の承認だけではなく、「「殿様御百姓」の文言からわかるように、領主の承認も必要なのである」(五〇頁)としている。しかし、「殿様御百姓」という文言は引用史料を読む限り、広く天下に帰属する百姓(「御百姓」)ではなく、領主(第一章で対象としている本小轡村の領主は旗本渡辺氏)に帰属する百姓という意味の文言と考えられるのである。もちろん、新規百姓株の取り立てには領主の承認が不可欠であろうと思われるが、そのことを導くには、「殿様御百姓」文言よりも、より適切な論拠を用いた方が良いのではないかと思われる。

 補論1「天和〜元禄期における「惣百姓」」では、第一章で確認された村における惣百姓の機能が、その後の天和〜元禄期でも基本的に維持されていることをまず確認している。そして、一八世紀半ばから百姓代やそれに類似する肩書きの署名が文書に見られるようになってくると、それと軌を一にして惣百姓の署名が見られなくなってくることを指摘している。短い論考ではあるが、第一編第一章と第二章以降を繋ぐ、大事な役割を果たしている。また、本補論でなされている指摘はいずれも重要なものであるといえる。

 第二章「庄屋と身分的周縁」は、一七世紀後半の本小轡村では各家の持高が総じて少なく経営が不安定だったため、村人たちが惣百姓として強いまとまりを持って家や村の存続に努めたこと、本小轡村の庄屋が公正な村運営を行っていたことを明らかにしている。そして、庄屋は百姓身分でありながら惣百姓に含まれておらず、その意味で身分的に周縁性を帯びた存在であったとする。本章は久留島浩編『シリーズ近世の身分的周縁5 支配をささえる人々」(吉川弘文館、二〇〇〇年一〇月)に「庄屋」というタイトルで収録されている論考であるが、身分的周縁論において、庄屋は素材として不適の感を否めない。また、本書の中においても、庄屋が随伴している「周縁的な一面」(九一頁)を指摘する結論の方向性は、本書全体とはややずれている印象を受ける。ただし、本章で示している村方騒動の事例は、特に第一編の中で少なからぬ重要性を持っていよう。

 第三章「十七世紀後半における上層百姓の軌跡」では、本小轡村で村内二位の高持ちで、組頭を勤める家であった長左衛門家の活動を史料から追っている。通常村方文書は庄屋や名主レベルで作成されることが多く、とりわけ関東において一七世紀に組頭レベルで作成された村方文書は希有である。したがって、この時期の組頭レベルの百姓の具体的な活動はあまり明らかにし得ない。そうした中で、庄屋家の史料を駆使することでこの時期の組頭の活動を明らかにした点は評価に値しよう。そして、本小轡村においては組頭家といえどもその経営が不安定であったことを実証し、そこから村内の百姓家に敷衍して一七世紀の村人の暮らしがかなり厳しいものであったと指摘している。本章全体として、村人の家の経営安定のための惣百姓の意義を示唆する内容となっているといえよう。

 第四章「藤乗家の文書整理・目録作成と村落社会」では、文政〜天保期(一八一八〜四四)に行われた、本小轡村藤乗家による同家文書整理の実態を明らかにしている。そして、藤乗家が文書整理を行なうに至った背景には藤乗家の諸役免除の特権を否定しようとする小前百姓の動向があり、村や地域への先祖の貢献を文書から立証して自家の立場を確認するために文書整理が行なわれたと指摘している。著者は、藤乗家が受動的に文書整理を行なった面ではなく、家の由緒の主張や職務遂行上の必要から能動的に文書整理を行なったことの意義を強調し、従来の近世における村方文書管理の研究に一石を投じている。

 補論2「藤乗家の文書目録」には、第四章で取り上げた、藤乗家当主が近世に作成した文書目録が掲載されている。第四章執筆のための基礎作業となった部分であり、著者の丹念な仕事ぶりがうかがえる。

 補論3「長柄郡北塚村の村方騒動」は、本小轡村の隣村である上総国長柄郡北塚村の幕末期の村方騒動を取り上げ、その中で村用文書の扱いについて論点を絞って検討をしている。そして、騒動を契機として村用書類が整備・確定されていったことを指摘している。さらに、近世後期の社会変動の中で文書の重要性が増大したこと、文書保管が百姓家のステイタスと連動しており、文書と「家」とが深い関係性を有していた点を近世の特質として指摘し、第四章で取り上げた事例との共通性を見出している。

 第二編「房総の村々の具体像」には、本小轡村以外の上総・下野国の村を事例とした諸論考が配されている。

 第五章「十八世紀前半の上総の村−上総国山辺郡堀之内村を事例として」では、一七世紀から一八世紀前半の堀之内村の村内構造と村の困窮・村方騒動との関係を明らかにし、その中で生活の安定と村の維持をはかろうとする村人それぞれの苦闘や努力を描いている。一七世紀前半に村内で特権的な地位にあった佐瀬家は、一七世紀後半以降、村内での地位を低下させていった。その理由を著者は、惣百姓が力をつけてきたことによると推測している。堀之内村では一八世紀初めから新田開発が行なわれるが、享保の飢饉によりかえって百姓は困窮し、荒れ地高の方が新田開発高より多い状態になってしまう。高い石盛の土地を持つ中層百姓らは、年貢の重さから土地を小作にも出せず、困窮の度合いを深めていった。村は、それまでに困窮百姓の土地を購入していた他村の百姓に、領主の後ろ盾も得て、半ば強制的に困窮百姓の土地を質入させて金を貸し付けさせている。こうした対応は、困窮百姓の救済とともに、将来的な土地の請け戻しと潰百姓の再興を意図したものであると著者は指摘する。享保一〇年以降、かなりの高を持ちながらも経営が苦しかった百姓たちが、年貢・諸役負担を高割から平均負担にし、新田の高割での再分配を要求する村方騒動を起こすようになる。その背景には、持高が多いが故の重い負担を何とか軽減したいという彼らの要求があったとする。しかし、百姓の困窮は、一八世紀半ばにかけていっそう深刻化していったという。著者自身が今後の課題としてあげているが、堀之内村の一八世紀後半以降の展開が気になるところである。

 第六章「近世後期の年貢関係史料−下総国相馬郡川原代村を事例として」は、弘化年間以降の川原代村を事例として、年貢賦課・徴収の具体的な手続きと、それに伴って作成される九種類の文書の内容を明らかにしている。年貢関係文書の研究が不十分であり、そうした意味で貴重な事例報告ではあるが、著者自身が「事例紹介にとどまっており、こうした諸史料の作成が村のいかなる特質の反映であるのかという点までは分析の手が及ばなかった」(二三六頁)と述べる通り、本書に組み込むのであれば、もう一歩踏み込んだ考察が欲しかったところである。

 第七章「相給知行と豪農経営−上総国山辺郡台方村を事例として」は、台方村の有力百姓前嶋家が行なっていた、旗本四給の同村での土地集積が、自分の支配領主の知行地の枠に一定度影響されていたこと、その一方で、支配の枠を越えて土地集積を行なっているという前鴫家の土地集積の性格の両面が、緻密な史料分析を基に論じられている。
 豪農経営論も相給村落論も、いずれも村落史研究においては大事な論点であるが、本章で最も重要な点は、これら二つの論点を「腑分け」して別個に論じてから総合化をはかるのではなく、始めから相互の連関を念頭に置いて、その実態を明らかにしようとされている点である。著者のこの試みは、決してたやすいものではない。しかし、近世村落においては豪農経営の進展と領主支配は同時になされていたものであり、それを「腑分け」して理解しようとするメリットは乏しいと考える。もちろん、この二点以外の要素も近世村落に関係していることは言うまでもない。近世村落−ここでは近世に限定せず、村落史一般と広くいってもよいであろう−を過不足無く理解するためには、「腑分け」してからの総合化ではなく、当初から諸関係の連関性を意識しつつ村落史像を描く方法論が求められよう。その意味で、本章でなされた著者の試みは評価されるべきであろう。

 補論4「細草村新田名主一件と高橋家」では、七給の細草村でおこった、本村と新田の関係をめぐる村方騒動を事例として取り上げ、村方騒動の背景に本村と新田、村内の領主知行地間、小前と名主、それぞれの間の対立構造が複雑に絡み合っている状況を明らかにしている。

 第八章「壱人百姓の村−上総国長柄郡小萱場村を事例として」では、小萱場村の壱人百姓長谷川家とそれ以外の村人の協力・対抗関係の近世から近代初期までのあり様を論じ、村内の身分維持・上昇に領主を利用しなければならない近世の特質と、明治維新が村に与えた変化の大きさを指摘している。壱人百姓の村という珍しい形態の村を明らかにした貴重な事例でもある。


 それでは以下、本書全体について評したい。
 本書を通じて、著者は精緻に史料を読み、史料に誠実な叙述を行っており、憶測に基づく安易な結論を避けている。こうしたことは文献史学の研究手法の根本ではあるが、そこが徹底されている点は、本書を含め、著者の研究のひとつの特徴といえる。

 このように本書は大量の史料の読み込みの上に成り立っているといえる。著者の叙述は、まるでせき止められた川の水がやがて満ち、堰を乗り越えてとうとうと溢れ出すかのように、膨大な史料から得られた様々な知見が著者の中で蓄積され、そこから湧き出てきたものであるように思える。したがって、本書の論考は著者の中にある歴史像をまさに提示する営みであるといえよう。しかし、論考では大量の史料を引用することは困難であるし、描こうとする歴史像を全て叙述の流れの中にきれいに収めることもまた難しい。本書では、
著者がそうした難事に取っ組み合い、巧みな構成によって、歴史像の叙述を成し遂げている。評者は、ある一時期に発生した出来事を時系列的に叙述するのではなく、著者が描く近世村落像のような総合的な歴史像をいかに叙述するか、その方法について改めて考えさせられた次第である。

 ただし、次の点は著者の史料読解の勇み足ではないかと思われる。第八章で著者は、小萱場村と隣村の萱場村との用水争論の際に「小萱場村ハ壱人者、萱場村ハ大郷故、被掠メ」(二九三頁)と小萱場村が述べていることから、小萱場村の壱人百姓長谷川家が隣村に対して「壱人百姓なるが故にかえって弱い立場に甘んじざるをえなかった」(同頁)としている。しかし、上記小萱場村の主張は争論の過程でなされたものであり、自己の立場を有利にしようとするものとみるべきである。それゆえ上記主張は、「小萱場村は壱人百姓なので弱いため、用水を萱場村に奪われました(よって用水は小萱場村のものです)」という意図と解釈するのが妥当であり、小萱場村の主張が実態を正確に反映しているとするには、より慎重な裏付けが求められる。よって、このままでは著者の主張の論拠とはなり得ないと考えられるのである。

 さて、本書は『惣百姓と近世村落』という書名ではあるが、その内容は前述のごとくで、村人と村との関係性に終始しているわけではない。村人、惣百姓、庄屋、領主、他村民、寺院など、近世村落を取りまく様々な存在との関係性を常に意識し、その中で近世村落像を描き出そうというのが著者の基本的なスタンスである。例えば領主と村人との関係性をみても、村の秩序形成に領主を利用する村人(第一章・第八章)、領主の助力を要請する村人(第五章)、領主の意向に強く影響される村人(第四章・補論4)、領主の知行地の枠に影響される村人(第七章・補論4)などを、本書の各所で活写しているのである。研究がより多岐にわたり、細部に至る実証が蓄積されていく一方で、研究の個別分散化が指摘されて久しい。研究を進展させる一方で、どう個別分散化せずに研究を総合化するか、が課題となっているが、著者のこうしたスタンスは、研究の個別分散化を避けるひとつの道筋を示していていると評価できよう。また、こうした著者の広い目配りが、著者が描く近世村落像に厚みと広がりを与え、近世の人々が血の通った人間としてそこに登場してきているように思われる。

 著者は本書一八頁で「私は、今後とも村の研究を続けていくつもりだが、その際、常に一つの地域に確固たる拠点を築くことを心がけたいと思う」と述べている。このことは、同年に著者が刊行された『豪農・村落共同体と地域社会−近世から近代へ』(柏書房、二〇〇七年四月)で多地域を取り上げていることと一見矛盾しているように思われるかもしれない。しかし、「あとがき」で「一つの地域を深く掘り下げることで研究の足元を固めつつ、他方で可能な限り各地の村を見ることで広い視野を獲得していきたい」(本書三一五頁)と述べているように、著者にとって「一つの地域を深く掘り下げること」と「可能な限り各地の村を見ること」は決して矛盾しない。この両者が、著者が研究を進める上での車の両輪となっているのである。「深く」と「広く」を同時に行なっていることが、著者一流の広い視野に立った近世村落史研究を支えているといえよう。

 その意味で、著者が知命を迎えられた年に、多様なフィールドを対象とし、近世・近代を見通した地域社会像を描いた『豪農・村落共同体と地域社会』、中近世移行期の村落を取り上げるとともに、漁村・山村・藩社会と、著者の研究を広げる論考を中心にまとめた『近世の村落と地域社会』(塙書房、二〇〇七年一〇月)、そして著者の学生時代からのフィールドを対象とした本書を相次いで刊行されたことは、著者自身の研究姿勢を端的に示されているように思われる。

 本書の内容を評者の研究に引きつけて考察するに、現在では個人の所有と理解されている百姓の土地が、近世においては必ずしも百姓個人の自由意志のみで質入や売買がなされるわけではなく、百姓株が存続するように村の意向が反映されることがある、という点が大変興味深く感じられた。これは著者がかねてより主張している点であり、本書でも各論考を貫いている認識となっている。評者は近世における百姓の鉄砲を素材として研究している。近世において、百姓の鉄砲所持・使用は全面的に禁止されたわけではなく、狩猟や鳥獣害対策の道具として、領主の許可のもとにその所持や使用が認められていた(狩猟用の鉄砲は所持、鳥獣害対策用の鉄砲は拝借という形をとる)。こうした道具としての鉄砲の所持・借用やその使用権は、制度的には百姓個人に限定されてはいる。しかし、鉄砲の所持・拝借者が居村のために、あるいは雇われて他村のために鳥獣害対策として鉄砲を撃つ場合、その効果は持主個人ではなく、村単位に及ぼすことになる。つまり、鉄砲の使用が、村の存続や、村に住む百姓たちの生活維持に広く貢献することとなるのである。著者が百姓の土地−ここでは耕作地と言い換えてもよい−を、村の存続や百姓の生活維持に大きな影響を与えるものと位置付け、その管理が百姓個人にのみ帰結してないとする認識は、こうした村の鉄砲の近世社会における位置付けと近似するところがあるのではないかと思われるのである。評者の研究は、著者のように膨大な史料に基づいて論を展開するところまではまだ至っていないが、史料を読みながら抱いていた、ある意味共同体が管理する百姓の鉄砲というイメージを、本書を拝読しながら、さらに強くした次第である。
 ただし、本書に不満がないわけではない。

 まず、本書のタイトルについてである。本書には「房総地域史研究」という副題が付されているが、著者が「あとがき」で告白しているように、「房総とはいっても、取り上げたのは上総国東部の村々がほとんどであり、あとは下総国北部(現在は茨城県)の村が一つだけで、安房国の村はまったく取り扱っていない」(三一四頁)。上総・下総で「両総」も考えたが一般に馴染みが薄いため「房総」にしたと述べられているが(同頁)、やはりこれでは著者自身が言う通り「看板に偽りあり」(同頁)である。本書の副題は、内容通り「両総地域史研究」とすべきであろう。

 本書は既存の論考に序章・補論1・補論3を新稿として追加して一書としたものである。よって、評者としてはこれらの論考を基に、「二十歳代前半から今日に至るまで四半世紀以上にわたって、房総地域の村落史研究を続けてきた」(七頁)著者がいかなる両総地域像を描くのかが気になるところである。ところが残念なことに、本書にはこれらを描いた、本書の「終章」にあたる部分がないのである。もちろん、各章や補論それぞれにおいて著者は上記課題に応えようとされてはいるのだが、本書全体の明確な結論がないため、肩すかしを食った感がある。特に、第一編には本小轡村をフィールドとして近世村落を考える論考がまとめられており、大変濃厚な内容となっているのに対し、第二編は対象地域がそれぞれ異なっており、その主題も相互にやや異なっているため、第一編と比べるとどうしても諸論考の論点が拡散している印象を受ける。本書が著者にとって研究者としての一里塚であるならば、なおのこと、現時点での著者が描く両総地域像をうかがいたく思われるのである。
 とはいえ、本書は史料の徹底的な読み込みと広い目配りによって、単なる地域史研究ではない、多くの示唆に富んだ豊かな内容を有しており、近世を対象とした研究を行なう者には必読の書といえよう。

 なお、本書評については評者の力不足により、著者の意を充分にくみ取れていない部分や誤った指摘をしている箇所もあるかと思われる。著者の渡辺氏においては、その点を、浅学非才の所業としてご海容いただければ幸いである。

 

 




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