渡辺尚志著『惣百姓と近世村落 房総地域史研究』(近世史研究叢書20) | |||||
評者:酒井 右二 | |||||
掲載誌:「日本歴史」722(2008.7) | |||||
序 章 本書は編題に示されるように、大きく二部で構成されている。序章では本書の構成のアウトラインを示すとともに、本書の基になった「惣百姓」に関する論文や、藤乗家文書を用いた既刊書『遠くて近い江戸の村』(崙書房出版、二〇〇四年)などに寄せられた批判に、反論を加え所見を述べる。 以上本書の概要を簡単に紹介したが、本書から啓発されたことを、自分自身の問題関心に引きつけて三点述べたい。 かつて私は関東における近世村落の確立・完成期に登場する「惣百姓代」に注目して、十八世紀中頃から一般化する「百姓代」の前身的形態として位置づけ、さらに「惣百姓,」をその直前のものと推論した。渡辺氏が本書で解明した惣百姓結合の研究成果に学ぶと、拙稿では論証できなかったが、「惣百姓代」に就任した者が特定の人物に固定されないありようも説明がつく。本小轡村の場合は村高の小さい小村であったため、近世前期には役職として「惣百姓代」が成立するには至らなかったと推測すが、「惣百姓代」という役職の成立・未成立を超えて、惣百姓結合を関東の各村々に敷衍し、共通の枠組みとしておさえていくことが示唆された。そして惣百姓の結合から組頭・惣百姓代などが成立し、各村々において多面的な村役人の関係構造が表出していくものと類推することができる。これ以外にも、渡辺氏の惣百姓論から近世前期の関東農村に関する多様な研究の進展が期待できるであろう。 次に細かなことであるが本小轡村の場合、近世前期では延宝七年(一六七九)十二月の文書一例を除いて、関東で一般化している名主ではなく、庄屋の呼称が用いられていることである。惣百姓と対になっているときには庄屋で、近世後期村方三役が成立した段階では、名主の呼称になっている。このことの意味をどのように考えていったらよいか、さらに知りたくなる問題である。本小轡村の本田は寛文元年(一六六二)以降幕末まで旗本渡辺氏知行所であるが、享保二十年(一七三五)に新田が幕領として把握される。このこととも関係するのか、支配側からの契機も気になるところである。 第二編では多角的な論点が展開されていたが、支配との関係に注目したい。房総地域史研究の立場で支配を地域社会の側から捉え返すということは、房総の支配環境を規定している関東領国支配とどのように切り結ぶかという課題を解明していくことでもあると考える。渡辺氏は編著者となって別書『藩地域の構造と変容』(岩田書院、二〇〇五年)で松代藩を対象に、藩地域という方法的な枠組みを用い、訴訟問題を機軸に地域社会から支配を捉え返す分析に端緒をつけている。本書では下総・上総をフィールドに地域社会と支配との関わりを、村の成立、村落内身分の維持、相給知行の側面などから言及された。さらに在地社会の側から関東領国支配をどのように照射していくのか、多くの研究者もふくめていっそう研究が進展していくことを期待していきたい。
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