渡辺尚志著『惣百姓と近世村落 房総地域史研究』(近世史研究叢書20)
評者:酒井 右二
掲載誌:「日本歴史」722(2008.7)



 近世村落史研究に精力的に研究成果を出されている渡辺尚志氏が、第七冊目の単著を刊行された。本書はあとがきによれば、渡辺氏が研究をスタートし、その後も基幹フィールドとした房総を対象にしたものである。巻末の成稿一覧に示されるように、一九八九年から二〇〇二年にわたって発表された論考一〇編に、新稿三編を加えてまとめられている。多角的で幅広い視野から数多くの基礎作業を固め、詳細な実証を積み重ねて手堅く立論されていく渡辺氏の研究手法が本書でも遺憾なく発揮されている。紙幅の関係で副題や節題を割愛したが、まずはじめに、本書の構成をおさえるため章立てを示しておこう。

  序 章
 第一編 上総国長柄郡本小轡村と藤乗家
  第一章 明暦〜延宝期における「惣百姓」
   補論1 天和〜元禄期における「惣百姓」
  第二章 庄屋と身分的周縁
  第三章 十七世紀後半における上層百姓の軌跡
  第四章 藤乗家の文書整理・目録作成と村落社会
   補論2 藤乗家の文書目録
   補論3 長柄郡北塚村の村方騒動
 第二編 房総の村々の具体像
  第五章 十八世紀前半の上総の村
  第六章 近世後期の年貢関係資料
  第七章 相給知行と豪農経営
   補論4 細草村新田名主役一件と高橋家
  第八章 壱人百姓の村

 本書は編題に示されるように、大きく二部で構成されている。序章では本書の構成のアウトラインを示すとともに、本書の基になった「惣百姓」に関する論文や、藤乗家文書を用いた既刊書『遠くて近い江戸の村』(崙書房出版、二〇〇四年)などに寄せられた批判に、反論を加え所見を述べる。
 第一編は上総の本小轡村の庄屋をつとめた藤乗家文書を用いた論考で、本書の基幹的な位置を占めている。
 第一章から第三章は、本書でもっとも重要な論点である「惣百姓」に関する論考が展開される。水本邦彦氏が明らかにされた近世初期・前期の畿内農村における庄屋対年寄、庄屋・年寄対小百姓層の村落状況とは異なって、十七世紀後半の関東の村落情況の特徴として、庄屋に対する惣百姓の関係を基軸に置き、その結合する実態を多側面に詳細に分析されたことの意義は大きい。そして、身分的周縁論の視角から村内で惣百姓結合の外縁にある庄屋の周縁性を提示する。
 さらに第四章では、作成された古文書目録からばかりでなく、日記を通じて古文書の整理や目録作成の経緯まで詳しく分析し、村落社会との関わりで庄屋が行った古文書の整理や目録作成の意識まで踏み込んで明らかにする。
 第二編は、房総の各地の村落を対象に、多様な切り口で分析された論考である。
 第五章は上総国山辺郡堀之内村を事例に、農村荒廃と、村方騒動も含めた村人の復興の努力の諸相を提示する。第六章は下総国相馬郡川原代村の年貢関係史料を分析して、年貢の割付から皆済に至る過程を詳細に明らかにする。
 続く二つの章は房総の支配環境を特質づける相給知行を切り口にした論考で、第七章は上総山辺郡台方村を対象に相給知行が豪農経営に与える影響、補論4では相給村落における本村と新田との関係を実態的に示した。第八章は、上総国長柄郡小萱場村という一軒だけの百姓身分の者しかいない特殊な村を事例にとりあげ、逆にその特殊性ゆえに際立つ近世村落の特質を析出しようとしたものである。ここでは、小農自立と身分制、村内の身分関係の紛争に領主の果たした役割などについて論じている。

 以上本書の概要を簡単に紹介したが、本書から啓発されたことを、自分自身の問題関心に引きつけて三点述べたい。

 かつて私は関東における近世村落の確立・完成期に登場する「惣百姓代」に注目して、十八世紀中頃から一般化する「百姓代」の前身的形態として位置づけ、さらに「惣百姓,」をその直前のものと推論した。渡辺氏が本書で解明した惣百姓結合の研究成果に学ぶと、拙稿では論証できなかったが、「惣百姓代」に就任した者が特定の人物に固定されないありようも説明がつく。本小轡村の場合は村高の小さい小村であったため、近世前期には役職として「惣百姓代」が成立するには至らなかったと推測すが、「惣百姓代」という役職の成立・未成立を超えて、惣百姓結合を関東の各村々に敷衍し、共通の枠組みとしておさえていくことが示唆された。そして惣百姓の結合から組頭・惣百姓代などが成立し、各村々において多面的な村役人の関係構造が表出していくものと類推することができる。これ以外にも、渡辺氏の惣百姓論から近世前期の関東農村に関する多様な研究の進展が期待できるであろう。

 次に細かなことであるが本小轡村の場合、近世前期では延宝七年(一六七九)十二月の文書一例を除いて、関東で一般化している名主ではなく、庄屋の呼称が用いられていることである。惣百姓と対になっているときには庄屋で、近世後期村方三役が成立した段階では、名主の呼称になっている。このことの意味をどのように考えていったらよいか、さらに知りたくなる問題である。本小轡村の本田は寛文元年(一六六二)以降幕末まで旗本渡辺氏知行所であるが、享保二十年(一七三五)に新田が幕領として把握される。このこととも関係するのか、支配側からの契機も気になるところである。

 第二編では多角的な論点が展開されていたが、支配との関係に注目したい。房総地域史研究の立場で支配を地域社会の側から捉え返すということは、房総の支配環境を規定している関東領国支配とどのように切り結ぶかという課題を解明していくことでもあると考える。渡辺氏は編著者となって別書『藩地域の構造と変容』(岩田書院、二〇〇五年)で松代藩を対象に、藩地域という方法的な枠組みを用い、訴訟問題を機軸に地域社会から支配を捉え返す分析に端緒をつけている。本書では下総・上総をフィールドに地域社会と支配との関わりを、村の成立、村落内身分の維持、相給知行の側面などから言及された。さらに在地社会の側から関東領国支配をどのように照射していくのか、多くの研究者もふくめていっそう研究が進展していくことを期待していきたい。
(さかい・ゆうじ 千葉県立佐原高等学校教諭)

 




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