大藤ゆき著『子育ての民俗−柳田国男の伝えたもの−』
評者・小田嶋政子 掲載誌・女性と経験25(2000.9)


 本著は、女性民俗学研究会前代表の大藤ゆきの米寿を記念して出版された全二巻の第一巻目である。筆者の手元には、著者大藤ゆきの処女出版であり、名著『児やらひ』(昭和一九年初版)があるが、もうすっかり黄ばんで、頁もはがれはがれになっている。多くの人がそうであったように、私も「やらひ」という言葉に惹かれて購入したように思う。
「やらひ」は子を慈しむ母の心情を現した語であるという。大藤ゆさは、正にその言葉通リに、研究者としての歩みが家庭人としての行動に連動している。この著書の随所に、民俗学の黎明期の柳田を知る著者が、「学問の基礎とは、自分をふくめた大勢の人のためになること」という教えを忘れることなく、ライフ・ワークとして「子の民俗・母の民俗」の研究一筋に歩んできたその心を感じ取ることができる。
著者大藤ゆきの背景やこの著書が発刊される経緯、本著の構成・内容については、野村敬子によって「解説」の形でじつに詳細に惰熱を持って記述されている。そこには、この出版を支えた野村敬子をはじめとする世話人の方々の熱意に、米寿を迎えてなお矍鑠として著書を編むことで応えた大藤ゆきの深さが、その半生とともに描かれている。
目次は以下の通りであり、巻末には「女性民俗学研究会小史」として、女の会の成立以前からの女性民俗学研究会の歴史が年表としてまとめられ、収録されている。
(目次省略)
 第I部 子育ての民俗−現代と民俗学−
 第I部の多くは、一九九○年代に入ってから著されている。折しも二○○○年は、バス・ジャックや「殺す経験がしてみたかった」殺人等の、一七歳がキーワードになるほど多くの痛ましい事件が起こった年である。
 こうした現代社会の事象を予測したように、著者は「子を育てる」という研究者の磁場から、民俗学を生きた学問として現在の生活に役立てることの重要性を、堰を切ったように積極的に語っでいる。民俗学を学んだ者の責任として,語り続けることの意味を問うているように思われる。
 第U部 産育の民俗−民俗における母親像
 現代科学は出産のメカニズムの多くを解明し、今では妊娠初期から性の識別もできるようになり、「生む」ことはプライパシーに属する事柄として扱われるようになった。
 本稿では出産が私事だけではなく、地域社会の出来事とされていた時代の子・女・嫁・母に係わる民俗をフィールド調査から克明に描き出している。著者の最も得意とする座標からの論考である。軌筆年は一九五○年から一九九○年の四○年間に亘り、その間の社会や研究の変遷も窺い知れ、民俗資科としての価値が高い。これから学ぷ者は、産屋はもちろんのこと、儀礼の道具であった臼や箕を全く知らぬ世代であり、民俗知識を得る必修の著となろう。
 第V部 生と死の民俗−成長と老い−
 著者は長年の出産・産育に関する調査研究から、自らの加齢とともに老い、死の民俗へと研究の視座を移行していく。
 本稿ではフィールド調査や資料から出産と葬送の比較分析、民俗語彙の収集と分析を行い、著者のテーマである女性との係わりを生と死の境界を意識して論述している。著者においては子育ての自分史の視点と同様に、おいもまた自らが関心を注ぐエクリチュールであり、それを通して学問的な普遍化を図ろうとする意欲的が感じられる。民俗語彙の豊富さは研究書としてはもとより、年齢に呼応した民俗現象への理解度の変化も窺われ、一人の人間の生き方として学ぶところが多い。
 第W部 わが師 柳田国男
 著者大藤ゆきの研究の座標となる柳田国男からの折々の示唆や女性民俗学研究会の歩みを、本著のための書き下ろしの戦後史を含めて記述している。柳田国男の足跡とともに、柳田国男が女性たちの力に期待し、女の会を支援したこと、これからの世を背負う子どもたちへの限りないメッセージを、柳田を知る大藤ゆきならではの筆遣いで語っでいる。
 一方、一連の論考には一九八○年代から盛んになったジェンダー(社会的・文化的性差)の概念については言及されていない。今後を引き継ぐ者たちの課題であろう。
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