東日本部落解放研究所編『群馬県被差別部落史料−小頭三郎右衛門文書−』
評者:福田 美波
掲載誌:「千葉史学」52(2008.5)


 本史料集は、上州植野村(現前橋市)に居住した長吏小頭三郎右衛門家の文書群を所収する。近世、関東における長吏(「穢多」の呼称)・非人は、浅草に居住する穢多頭弾左衛門の支配下にあった。弾左衛門支配のもと、在地においては長吏小頭が長吏・非人を組織・統制していた。本史料集における三郎右衛門は、植野村他二ヶ村の長吏・非人を組織・統制し、周辺の群馬郡一三ヶ村を生活の範囲とする小頭であった。(この範囲を以下、便宜的に「植野場」と呼ぶ)

 本史料集は、「近世文書」と「近・現代文書」の二部で構成されている。近世文書は、既にほとんどが、「上州小頭三郎右衛門文書(一)〜(三)」として『東京部落解放研究』六三号、六五・六六合併号、六八号(一九八九〜九〇年)に掲載されている。本史料集では、これらを整理・訂正のうえ、流出文書の発見分二四点を加えている。改稿はもちろんのこと、多くの人が手にとりやすくなったという点で、一冊の史料集として刊行された意義は大きい。
 また、今回新しく追加された流出文書のなかには、「人別帳」・「職場日割帳」等の弾左衛門支配下の地域を知るうえで基幹となる史料が含まれている。「人別帳」は天保七年(一八三六)の一点のみであるが、「植野場」長吏の人別構成から周辺地域との関係まで、多くの情報をもつ史料である。また、数年分の「職場日割帳」が加えられたために、職場構成のより詳細な検討が可能になった。流出文書は二四点、「植野場」の全体像を把握するためには僅かな情報量である。しかし、「植野場」の一点に限らない視点に立ったとき、他の弾左衛門支配下の地域との比較において有効性を発揮するだろう。
 弾左衛門支配下の公刊された小頭家文書は、本史料集の他は、埼玉の『鈴木家文書』、栃木の『下野国太郎兵衛文書』(佐野)・『下野国半右衛門文書』(足利)の三つの文書群に止まる。近隣の佐野・足利の小頭は両者共に広範な支配領域を誇る有力小頭である。対して三郎右衛門は、一三ヶ村のみの小規模な支配領域をもつ小頭である。近年の研究では、小頭と言っても地域によって様々な形態であったことが明らかにされている。三郎右衛門文書は、小規模な場を知る、まとまった史料として非常に貴重な史料群なのである。近世文書のほとんどが既刊のため、研究も進められているが、本史料集の刊行を機に、より一層の利用・研究の進展を望む。評者も少なからず貢献していく所存である。

 評者の専門が近世であるため、近世文書に偏りがちな紹介になってしまったが、なんと言ってもこの史料集の最大の意義は新たに近・現代文書四〇〇点を所収したことにある。近・現代文書がこれだけまとまって所収されるのは珍しい。筬の大福帳や「養蚕日記」など産業関係の史料から裁判史料まで幅広い内容の史料が所収されている。ただし、明治半ば以降の史料がほとんどであり、近世から近代への移行期の史料が含まれておらず、唯一残念な点である。
 最後に、知ることこそが差別解消への一番の近道であると評者は考える。本史料集のように史料を発掘・刊行していく地道な作業が、一歩ずつの前進を示している。更なる史料集の刊行を期待して結びとする。
               (千葉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程)


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