松尾正人編『近代日本の形成と地域社会−多摩の政治と文化−』 | |||||
評者:伊藤暢直 | |||||
掲載誌:「中央史学」31(2008.3) | |||||
評者自身が地域史研究の歩みをスタートさせたのは、多摩地域からであった。おそらくその縁で、本書の書評を執筆することになったのだと考えるが、職場や、その後の研究志向の変化から、研究フィールドとしての多摩から離れて久しい。そのため、多摩地域における、自治体史の編纂事情や地域史研究の進展状況については、実のところかなり疎くなっている。そのようなこともあり、「書評」を逸脱した内容になってしまう恐れがあるかもしれない。とはいえ、現在でも機会があれば多摩の地域史研究を再開してみたいとも考えているので、再度、多摩の地域史研究に踏み込むための手がかりとして、本書を読み進めようと思う。 さて、本書は、編者である松尾氏をはじめ一一名の執筆者による論文で構成されている。刊行の契機について「本書の目的と構成」によると、武蔵村山市史編纂事業の完了後、近現代史のメンバーの会合が出発点となっているとの説明がなされており、執筆陣もその関係が中心となっているものと思われる。 全体の構成は以下の通りである。 本書の目的と構成 松尾正人 第一部 幕末維新の動乱と多摩 八王子出身の幕末志士川村恵十郎についての一考察 藤田英昭 はじめに 一 小仏関所と川村恵十郎の人格形成 二 恵十郎の政治的主張 三 「有志」の募集 四 一橋家への御用と上京 むすびにかえて−幕末の「英雄」として− 多摩の戊辰戦争−仁義隊を中心に− 松尾正人 はじめに 一 旧幕府歩兵と甲陽鎮撫隊の騒乱 二 仁義隊の献金強要と策動 三 仁義隊の甲州占領計画 四 上野戦争と振武軍の戦い おわりに 免許銃・所持銃・拝借銃ノート 保谷 徹 −明治初年の鉄砲改めと国産「ライフル」− はじめに 一 中藤村(武蔵村山市)の洋式小銃 二 一八七二年(明治五)の銃砲改め 三 多摩地域における銃砲改めの実施 四 農兵銃の所持と拝借銃 五 中藤村の鉄砲改めと国産ライフル 第二部 近代多摩の社会と文化 地租改正後の多摩−地価修正の実施と救助金をめぐって− 滝島 功 はじめに 一 歎願運動の終息と救助金 二 地価修正の実施 三 地価修正の結果と地域社会 おわりに 旧品川県社倉金返還と地方制度の転換点 藤野 敦 −明治十三年に至る社倉金返還運動と国庫返済の背景− はじめに 一 品川県社倉騒動と社倉金返還運動の現在 二 品川県の廃止と社倉金の移管 三 埼玉県における社倉金返還運動(明治六年〜十一年) 四 明治十一年・十二年、神奈川県における社倉金返還運動 五 東京府における社倉金返還運動 六 社倉金の返還と内務省・大蔵省の関与 七 地域への社倉金の返還方法 八 品川県社倉金返還と備荒貯蓄法の制定の歴史的接点 おわりに 明治末期における「隔離医療」と地域社会 石居人也 −ハンセン病療養所全生病院の創設と多摩− はじめに 一 「療養」を求められる病者 二 病者を拒む地域社会 三 病者を囲い込む地域社会 四 地域にとっての療養所 五 入所者たちにとっての「地域」 おわりに 明治後期から大正期における地方銀行 石本正紀 −五日市銀行の設立と経営 一八九六〜一九四二年− はじめに 一 五日市銀行の設立過程 二 五日市銀行の経営内容 結びにかえて 地域における近代俳人の誕生 多田仁一 −埼玉県所沢の齋藤俳小星を中心にして− はじめに 一 近代俳人齋藤俳小星の誕生 二 俳句雑誌『にげみづ』の創刊と活動 三 俳句誕生の背景 おわりに 第三部 首都・多摩の形成 空都多摩の誕生−東京都制編入の防空事情− 鈴木芳行 はじめに 一 首都防空網の形成 二 多摩の空都化 三 産業構造の転換 四 多摩の東京都制編入 おわりに 多摩の「都市化」の一側面−「総合的都市」建設を夢見た時代− 梅田定宏 はじめに 一 「大東京」の拡大と「総合的都市」建設志向の広がり 二 多摩における「昭和の大合併」と首都圏整備 三 東京都における多摩行政の転換 おわりに 多摩の戦後文化運動と武蔵村山 山田義高 はじめに 一 演劇活動 二 音楽活動 三 図書館活動 おわりに この構成を見てもわかるように、取り上げられているテーマは、時代的には幕末維新期から戦後までに及んでいる。また、それぞれが取り上げている分野について見ても、政治史・経済史・軍事史・行政史・文化史と多岐にわたっている。 このように、時代の幅も広く、分野も様々な論文集であるのに、決して「寄せ集め」の論集にはなっていない。それは「多摩」という地域に視点が据えられているためであろう。 それでは、各論文について、若干の所感を述べてさせていただく。 藤田論文は、幕末の多摩に登場した川村恵十郎に着目し、人脈や思想形成の過程を丹念に追いながら、その動勢を活写しつつ、地域を起点として、視野を広げて幕末の政治史の中に位置づけている点は注目される。また、川村の歴史的な事績を追うばかりでなく、その人間性についても史料から丹念に積み上げて論じるなど、厚みのある論考となっている。 松尾論文は、戊辰戦争期の多摩の情勢について、仁義隊の存在に焦点をあて、八王子千人同心(千人隊)との関わりを追いつつ、旧幕府側諸隊の動向を解明し、この時期の多摩地域の戦乱を具体的に描いている。多摩における戦闘そのものの解明もさることながら、特に戦費や物資の徴用による多摩諸地域の損害と混乱とについて詳述されている点が注目される。 保谷論文は、現在に伝来する銃の分析を、文献の記述で裏付けをとりながらその来歴を明らかにしつつ、これまで具体的に取り上げられることがなかった、明治初年の鉄砲改めについての意義付けを行っている。このような制度史的な論考はとかく行政側からの視点で描かれる場合が多いが、この論考は村の視点で描かれており、興味深い。 滝島論文は、神奈川県管轄下時代の多摩地域における特別地価修正について解明したものである。氏も指摘しているが、自治体史編纂等においては、現在東京都に属している多摩地域に関しては、神奈川県時代の研究は手薄になりがちな傾向にある。しかし、本論文は、この時期の特別地価修正の分析を通じて、三多摩の政治的・行政的な特質を具体的に提示し、あらためて神奈川県時代の多摩地域の研究蓄積の重要性を指摘しただけでなく、当該地域の地租改正研究を次の次元に押し上げる役割を果たしている。 藤野論文は、明治期の行政制度の変遷過程で生じた混乱が顕在化した事例である社倉金返還運動について、従来自由民権運動との関連から論じられてきた視点に対し、明治政府をはじめとする行政の動きの分析を通じて、地域への影響を論じようとするものである。国・府県・村、それぞれの段階での行政文書を駆使しながら、社倉金返還運動への対応を描き、明治国家の救恤政策の中に位置づけている。 石居論文は、ハンセン病療養所の設置という事象を、隔離医療の問題、地域社会の問題、そして入所者の意識という視角から分析した。本論文で注目したいのは、療養所の設置について、田無・清瀬・東村山の諸地域において、どのような対応がなされたのか、具体的に叙述されている点である。それぞれの地域が抱える事情も浮き彫りにしており興味深い。 石本論文は、二九年間にわたって営業していた五日市銀行を事例として、明治期から大正期の多摩地域の地方銀行の動向について分析を試みたものである。経営動向の分析方法は、預金比率の動向を機軸として三期に分け、それぞれを日清・日露戦争、第一次世界大戦、関東大震災という社会的要因が、地方銀行の銀行経営にどのような影響を与えたかについて、営業報告書を主要史料として叙述している。多摩の歴史のほんの一時期に登場した地方銀行にすぎないが、その動向を明らかにすることは、多摩地域の金融・経済史にとって有用なことであろう。 多田論文は、所沢を中心として活躍した近代俳人齊藤俳小星について、その業績を丹念に追いつつ、近世の文化として明治時代にも続いていた俳諧が、近代文学としての俳句としてどのような転換が図られていくのかを、地域の視点から解明したものである。また、その地域における文学の近代化の要因を、個人や集団の業績のみに求めるのではなく、舞台となった所沢の近代化に関連づけている点が興味深い。 鈴木論文は、「空都」という新しい表現を用いて、戦時期の多摩の位置づけを、都制編入や首都防空体制と関連づけながら、再構築したものである。多摩の「空都」化がもたらした産業構造の転換は、戦後の多摩地域の発展を規定し、現在の多摩の特質の淵源と読みとることもできる。であるとすれば、「空都多摩」の誕生は、多摩地域の歴史の画期と位置づけることもできよう。現在、評者自身が現在の二三区域の防空体制にの研究に手を染めつつあることもあり、大変興味深く読ませていただいた。 梅田論文は、三多摩地域の「都市化」あるいは「総合的都市」建設の志向について、その淵源を一九一九年に制定された都市計画法に求め、どのような変遷を遂げたのか概観したものである。大変要領よくまとめられており、このこの論文を読むだけで東京都の三多摩行政と、多摩地域の「都市化」の志向の諸相を概括することができる。 山田論文は、戦後多摩地域の文化運動に着目したものである。筆者自身の聞き取り調査を多用して構成されており、文献資料がそれを補完するという形をとっていて、評者にとっては非常に新鮮に受け取られた。論文の体裁を取ってはいるものの、映画かドラマのシノプシスを読むようで、戦後の地域文化の担い手たちの思いが生き生きと伝わってくる。次第にこの時代を語れる話者が少なくなってきている現状を見ると、他地域でも地域文化運動の足跡の掘り起こしをする必要性を感じた。 以上、雑ぱくではあるが、各論文に関しての所感を述べさせていただいた。 冒頭でも紹介したように、本書は、武蔵村山市史編纂事業の完了後、近現代史のメンバーの集まりが出発点となっている。この点が、本書を特徴づけている一つの要素であるといえよう。本書中で松尾氏も述べているように編纂事業の終了後の在り方については、様々な地域で、議論や試みがなされてきている。中でも最大の関心事は、編纂事業の過程で収集された史料の整理・保存ならびに活用・公開であったように思える。収集した史料をその事業の過程で得られた史資料や情報などの「資産」をどのように活かしていくかは、地域にとって重要な課題となっている。 自治体史編纂完了後の動きの事例は、これまでも、地方史研究協議会や全国歴史資料保存利用機関連絡協議会などの会誌や例会などで紹介されてきており、枚挙にいとまがない。 基礎的自治体においては、たとえば、埼玉県の八潮市では、『八潮市史』刊行後も八潮市立資料館が業務を引き継ぎ、『八潮市史研究』が継続的に刊行されている。これは、自治体史刊行後も、事業として編纂事業が継続している事例のひとつと言えよう。 東京都の事例でいえば、板橋区では、『板橋区史』刊行後、板橋区立公文書館が設立され、区史編纂事業で収集された史料が収蔵され、編纂事業終了後の史料保存利用機関としての役割を担っている。これは、自治体史編纂事業の終了が契機となって史料保存利用機関が誕生した事例で、松本市文書館の「市史編纂から文書館へ」の類例の一つといえるであろう。 一方、豊島区では、一九七〇年代に前近代と敗戦までの『豊島区史』刊行された後、一九九〇年代に編纂事業が再開されて戦後の部分が刊行された。敗戦までの部分の編纂過程で収集された資料の保存先として豊島区立郷土資料館が設立され、戦後部分の編纂過程で収集された資料も郷土資料館に収蔵され、閲覧利用もなされている。これは、自治体史編纂から文書館・公文書館という形ではなく、博物館(資料館)という形である。 また、自治体史とは多少趣を異にしているが、八王子市においては、一九九二年に『八王子千人同心史』が刊行された。その後、編纂過程で収集された資料は編纂事務局でもあった八王子市郷土資料館に収蔵されることになった。ところが、それのような公の動きとは別に、同書の刊行を契機として、その執筆陣に加え、地域の歴史研究者を含めたメンバーで「八王子千人同心研究会」が設立され、現在でも活発な例会活動が行われている。 このような自治体史編纂を契機とした任意の研究団体の誕生は、本書に結実した武蔵村山市史編纂事業の動きと軌を一にしているともいえ、自治体史の編纂が、当該自治体のみならず、より広範な地域像を掘り起こす契機となるような動きがでてきている証左となっている。このことから、武蔵村山の事例が『八王子千人同心史』の発展形と捉えることもできよう。 本書が、多摩地域の「特殊性」とまではいわないにしても、「地域性」の解明をより一層押し進めた一冊であるとは、もちろんいえよう。しかし、そのような多摩地域の研究史上のの評価もさることながら、評者としては、本書刊行の意義をそれのみではなく、自治体史編纂事業終了後の地域史研究の新たなスタイルの誕生と、その成果として位置づけたい。 今後、このグループにおけるさらなる研究蓄積を期待したい。また、他の自治体史編纂事業にあっては、その終了後、公的な資料の保存活用施設の設置のみではなく、武蔵村山同様の研究グループが誕生し、編纂事業で蓄積された資料・情報の積極的な活用が図られ、新たな地域史像が描かれていくことを望みつつ、筆を置きたい。 やはり、かなり書評の域を逸脱してしまったようである。ご寛恕願いたい。 |
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