植木行宣監修 鹿谷勲・長谷川嘉和・樋口昭編 『民俗文化財 保護行政の現場から』
評者:印南敏秀
掲載誌:「民具研究」137(2008.3)


 本著の意義
 民俗文化財保護行政の関係者から、「たてまえ(制度)」だけでなく「ほんね(現場の声)」が聞けるようになった、というのが私の読後感である。「現場」では文化財保護行政の歴史的経緯のうえに、現代社会や将来にむけての多くの課題がある。しかも現代は民俗文化財や保護行政の転換期にあり、制度や担当者間での解決は難しくなっている。
 編者の長谷川嘉和氏が「ひとりぽっちの民俗担当」で、都道府県の教育委員会でも民俗文化財担当者は1人か、他の文化財とかけもちする。1975年に遅れて「民俗資料」から「民俗文化財」となるなど、他の文化財とくらべ価値が低くみられ、ひがむこともあった。民俗学の学問的位置づけと同じで、民俗文化財保護行政の立場は弱い。「はじめに」で「本著が全国で民俗文化財の保護に関わる人々の参考になれば」とあるのは、こうした事情が反映されている。
 ところがである。現状では、一番身近な民俗文化財や保護行政が、市民と乖離した遠い存在になっている。その一つの要因は、民俗文化財や保護行政が市民へのよびかけをおこたってきたことにある。たとえば民俗文化財や保護行政の本が、一般書店から公刊されることがはとんどなかった。まことに不思議な制度だが、行政機関と仲間内にだけ配布する部数しか印刷する経費がでなかった。また、市民が知ろうとしても、民俗文化財や保護行政についての適切な解説書がなかった。
 私も一時期公立博物館に勤め、民俗文化財保護行政や博物館運営を担当し、今も博物館学芸員課程に関わっている。それでも昭和25年に文化財保護法ができて以降、多くの改革をへてきた民俗文化財や保護行政のすべてがわかっていたわけではない。ことに最近のさまぎまな変化で、理解できないことが増えてきた。
 本著は、民俗文化財の保護・記録・とりくみ、さらには世界無形文化遺産にまでふれており、全体を理解するうえで参考になる。変革を乗り越えるには制度改革や関係者の努力にくわえて、市民との「協動」が重要である。その第一歩として、現場で何がおきているのかを広く知らせる必要があった。そうした民俗文化財や保護行政の現場の声を本著ではじめて聞いたように思う。
 本著の内容だと評者の適任者はたくさんいるのに、私が評者となったのは、その声を持っていた一人だったからである。私には、本著は編者の思惑をこえて、仲間内から市民にまで読者が広がる予感がする。なお、関係者向けの専門書として書いたのでしかたないが、専門用語の解説があればと少し残念だった。

 本著の内容とねらい
「はじめに」で、戦後は民俗文化の伝承母体だった農山漁村や町が激変した。若者の流出や少子高齢化で、祭りなども行えなくなりつつある。その−方で、地域の生活文化に対する関心は以前より高まっている。たとえば全国各地で自立的生活を維持するために民俗文化を素材とした「町おこし・村おこし」がさかんである。本著は、こうした現状や今後の課題に直面している、近畿の民俗文化財保護行政担当者が中心になり計画した。執筆者31名をみると、全国の民俗文化財保護担当者や博物館、大学関係者から、それぞれの項目の適任者が選ばれている。そして民具学会員も、多数ふくまれている。
 本著は「はじめに」をのぞき、大きく2つにわかれる。主体となる5編32章の論文と、長谷川嘉和氏の仕事を紹介した最後の部分である。退職する長谷川嘉和氏の慰労が、本著出版のきっかけだったとある。
 ここでは問題提起(総論)の第1編と、現在大きな関心を集める世界無形文化遺産と日本の民俗文化財を論じた第X編の一部を紹介する。第U編から第W編には、内容を明快にしめす適切な題名の高論が続く。ここでは題名と、著者名をあげて紹介にかえたい。

 はじめに 編業者一同
T編、いまなぜ民俗文化財か
 1、民俗文化財保護の基本理念について−特に、昭和50年文化財保護法改正を巡って−  大島 暁雄
 2、「文化立国」論の憂鬱−民俗学の視点から− 岩本 通弥
 3、文化財と民俗研究 植木 行宣
U編、民俗文化財の保護
1、重要無形民俗文化財(民俗芸能)の保護について−「現状変更」との関わりから−  斉藤 裕嗣
 2、民俗行事の伝承と変容 菊池 健策
 3、民俗行事の変容と伝承−「三上のずいき祭」の継承に向けて− 行俊   勉
 4、民俗芸能の調査と歴史資料−吉野水分神社の御田を事例として− 池田  淳
 5、民具の収集と価値づけ 福岡 直子
 6、民具の保存と活用−触れて体験する展示の可能性− 藤井 裕之
 7、博物館・資料館における有形民俗文化財の位置 吉田 晶子
 8、第二次資料を導き出すための実測図と記録図化について 石野 律子
 9、民俗文化と回想法 岩崎 竹彦
V編、民俗文化財の記録
 1、無形の民俗文化財の映像記録作成への提言 俵木  悟
 2、風流系踊りの記録保存について 長谷川嘉和
 3、民俗音楽の記録に関する諸問題 梁島 章子
 4、民謡の映像記録について 吉永 浩二
 5、民俗技術の映像による記録作成とその諸問題 伊藤 広之
 6、文化行政における古写真の資料化の今後 村上 忠喜
 7、有形民俗文化財の映像記録作成−都道府県行政の関わり方− 榎  美香
W編、民俗文化財保護のとりくみ
 1、市区町村の民俗文化財と登録制度 関 孝夫
 2、民俗芸能緊急調査 福田 良彦
 3、祭り・行事調査−報告書の役割とは− 吉越 笑子
 4、調査データのその後−民謡緊急調査のデータを通じて考える− 樋口 昭
 5、自治体史編纂事業と民俗文化財−市史民俗編のあり方と自治体の役割− 鵜飼 

 6、静岡県磐田市の見付天神裸祭と保存会−国の重要無形民俗文化財に指定されて以後− 中山 正典
X編、世界無形文化遺産と民俗文化財
 1、無形文化遺産に関するユネスコの取り組みを振り返って 佐藤 直子
 2、無形文化遺産の特性とその保護−日本の事例− 植木 行宣
 3、文化的景観と民俗学 原田 三壽
 4、パブリック・フォークロアと「地域伝続芸能」 八木 康幸

 民俗文化財保護の仕事−ひとりぽっちの民俗担当− 長谷川嘉和
 長谷川嘉和さんのふたつの顔−本書の刊行にさいして− 樋口  昭
 長谷川嘉和さんの仕事(業績)

 いま、なぜ民俗文化財なのか
 第T編の3つの章は、民俗文化財と保護行政の問題点を、違った立場や視点から論じる。

 第1章は、文化庁で長年民俗文化財の保護行政を担当してきた大島暁雄氏である。まず「保護」とは「国民の文化的向上に資すること」「世界文化の進歩に貢献すること」を目的に、文化財を「保存」し「活用」する。その目的を達成するために指定して、価値を周知させ、保存のための規制と各種の助成をおこなうのが文化財保護行政の要点である。それを確認したうえで昭和50年の文化財保護法の大改正での無形民俗文化財の指定制度をとりあげる。
 改正前は、無形の民俗資料は指定ではなく、選択して記録保存していた。「そのままの形で保存するということは、自然的に発生し、消威していく民俗資料の性格に反し、意味のないことである」という柳田国男などの考えが反映されていたという。改正後は、無形民俗文化財と指定制度が新設された。このとき無形民俗文化財に、無形文化財からわかれた民俗芸能をふくむようになった。民俗芸能や風俗習慣の一部には「特定の型」があり、特定伝承者集団による永続的保存が可能で指定がはじまった。それでも伝承者は世代交代するなど、伝承者集団をふくめて変化し続けている。無形民俗文化財の「すべての価値の固定と継承」は困難であるという矛盾をかかえる。そのため多様な記録保存が今も重要で、一定年ごとの作成が必要だと指摘する。そして民俗文化財保護の基本理念にふれ、民俗文化財そのものではなく伝承する地域の人々の意識(心)を継続しようとする意欲の保護が大切だとする。
 なお無形民俗文化財を中心とした文化財保護行政については、大島暁雄氏が『無形民俗文化財の保護−無形文化遺産保護条約にむけて』(岩田書院、2007)で詳しく述べているので、あわせて一読をすすめたい。

 第2章は、民俗文化財や保護行政について民俗学研究者として発言している岩本通弥氏である。岩本氏は、政治・行政用語としてよく聞く「文化立国」「文化の時代」の中身を問題視する。現在「地域文化の振興」のための新規事業に大幅な国の予算がついている。たとえば「ふるさと文化再興事業」では、地域の個性豊かな伝統文化を継承・発展させ、一体的・総合的な保存・活用を実現するため、伝承者の育成、用具の整備、映像記録の作成などを支援し、地域の活性化をはかるという。岩本氏は、民俗文化財の助成事業として、こうした近年の動きと文化財保護法下のそれとは大きな乖離が潜在するという。また、事業の背景にある政治的な動きを、以下のように指摘する。
 たとえば農村を伝統文化の継承・保存の場、都市民の心のふるさとと位置づける。そのため農村は将来の日本人にとっても大切な場所として文化財的価値が付与され、農山村に落ちていた補助金の配分を維持し、新たな公共事業をうみだす装置となっている。さらにそうした自民党保守勢力の背後で、神道界やその政治団体である神道政治連盟にいきつく。「文化」という言葉は多義的であると同時に、その美名により思索や問いの排除をひきおこす。文化を重んじるといえばだれもがよいことと思いがちで、政治は利用しやすい文化と親密な関連を持ち続けてきた。ただし文化財保護としての活用から、観光や地域の活性化にまで活用を拡大したとき、文化財の保護が可能か課題も多い。ここらで一度原点に帰り、民俗文化財や文化財保護活動とはなにか、だれのためのものなのかを、誠実に議論し、推進する必要があると結んでいる。

 3章は、京都府教育委員会で長年民俗文化財保護行政を担当した植木行宣氏である。まず「文化財特別企画委員会」中間報告(『月刊文化財』359号、1993)掲載の、長期的展望にたった文化財保護のあるべき姿の大きな3つの内容を紹介する。
 1つは保存を優先するあまり欠けていた積極的な活用を考える。2つは文化財全体に目をくばり点から面にひろげる。3つは総合的かつ一体的な文化財保護で文化財群がうまれた地域の環境や景観を重視するなど、地域文化を活かした地域づくりの推進が強調されている。
 1992年のお祭り法(「地域伝統芸能等を活用した行事の実施による観光及び特定地域商工業の振興に関わる法律」)では、民俗芸能を活用したイベントで地域の活性化を期待した。この法律は地方自治体には好評で、教育委員会ですら活性化を期待した。ただしイベント化は、民俗芸能をステージ化して、見る、見せる芸能へと変質させる。伝承者側の主体ではなく、見る側の都合で変異する観光の危険性がうかがえる。
 文化財普及のための民俗芸能大会でも、舞台で見せるため時間の制限があり再構成をおこなう。演じるのが素人なので、再構成したものを練習して出演したあと、元にもどらない場合も多いという。文化財保護における普及などの活用は、博物館での展示とおなじで重要である。ただしお祭り法での活用は、観光資源として使えるかどうかで判断する。植木氏は、文化財の活用とは、本来もっている文化財としての価値や意義をあきらかにし、それを市民生活の場にもどすことだという。ただし、これまでは文化財の活用の本質についての議論がほとんどなかった。これからは文化財の保護についての議論や研究がますます重要になる。文化財保護関係者だけでなく、関係学会や研究者が積極的に関わる責務があるという。

 世界無形文化遺産と日本の無形文化財・無形民俗文化財
 第X編の1章は、世界無形文化遺産と日本の無形文化財・無形民俗文化財の関係にふれている。

 1章は、世界無形文化遺産が発効する2006年まで、ユネスコ本部で条約制定の準備に関わった佐藤直子氏である。佐藤氏は、個人的な研究に基づく発言としながら、世界無形文化遺産のこれまでと、現場で感じた日本の無形文化財の概念や保護との違いをしめす。
 1950年代から、ユネスコでは無形の伝統文化の保護に取りくむ。当時は無形文化遺産の概念がなく、「フォークロア」をあてた。1989年に、無形の文化をとりあげる勧告が採択され、1993年に、ユネスコ総会で韓国提案の「人間国宝システムの創設」が採択された。1964年にはじまる韓国の重要無形文化財の指定と認定にもとづく提案だった。1994年から、ユネスコでは「人間国宝プロジェクト」に着手した。そこで日本の重要無形文化財指定と認定の制度が、世界で最も早いことがあきらかになった。日韓では無形の文化財の枠組みが異なる。日本の人間国宝(重要無形文化財保持者)は芸能と工芸技術で、無形民俗文化財とは別になっている。韓国の人間国宝は、日本のほぼ両方をふくんでいる。ユネスコはフォークロアを重視したため、無形文化財と無形民俗文化財が一緒の韓国を参考にした。一方で日本の無形文化財と無形民俗文化財がふくむ要素は幅広く、ユネスコの無形文化遺産の概念の枠の拡大に役立った。ただし、日本が推薦した「能楽」「人形浄瑠璃文楽」「歌舞伎」にいまだ違和感がもたれているという。

 2章は、植木氏で、京都府で長年文化財保護行政を担当していたからこその発言といえる。
 無形文化財の保護は、技術や技能を保持し、体現できる保持者と、関連する技術や技能の支えが必要だと指摘する。芸能の場合は共演者が必要だが、保持者本人に後継者育成の意欲と努力が期待されている。その裏方、さらなる裏方と、技術と技能は連鎖している。たとえば三味線の音色は、皮の種類や張り方で違ってくる。今は、皮は外国からの輸入に頼り、水張りという特殊な張り方ができる技術者も少数で、後継者がいない。無形文化財の基礎をささえる底辺の技術と技能から廃絶が進み、頂点にいる無形文化財保持者の保護が危ぶまれている。無形文化財や保持者の保護を徹底するには、底辺から頂点まで踏み込んだ、一貫した対策が必要である。

 今回はわずかな章の、さらに一部にふれたにすぎない。各章ともゆうに1冊にまとめるだけの広がりと深みのある内容である。各著者には早い時期の単行本の刊行を、また、民具学会員には本著を読んでおおいに刺激をうけてほしい。


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