舟橋明宏著『近世の地主制と地域社会』
評者:安藤 保
掲載誌:「社会経済史学」71-6(2006.3)


 近来の農村史は「中間層論」・「地域社会論」を中心にして展開されてきたが,舟橋明宏氏が地域社会論では脆弱であった地主制を絡ませることにより前近代の農村社会を浮き彫りにしようとする著書を世に出したことは,氏が研究フィールドの一つにしている天草の豪農石本家の研究を行っている一人として喜びに堪えない。
 天草の本格的研究は,1953(昭和28)年,石本家より史料の寄贈を受けた九州大学研究グループにより始められたが,史料整理・目録作成も未完成のまま個別研究がなされる状態にあった。ようやく,2005年3月,科学研究費補助金(代表・安藤保)を含めた助力により目録ができあがった。他に,安藤正人氏・渡辺尚志氏などの各グループにより石本家以外の史料整理や研究がなされている。天草の研究一つをとっても,まだ目録整理と並行して研究が続けられている段階であり,解明されるべき事柄は多く,基礎事実の確認や再検討が必要である。まさに,第1編において天草の地役人についての実態を明らかにした本書は,天草史研究にとり貴重な土台となる研究の一つである。
 簡単に天草の研究状況について触れたが,本書は天草のみをフィールドにしているのではなく,他に越後,下総・下野地域を研究対象とする次の3編構成であり,それに序章「近世の在地社会研究と『地主制』」と「整理と展望」・「今後の課題」の終章がつけられている。

 第1編 肥後国天草郡の質地慣行と地域社会
  第1章 天草郡地役人の存在形態と問屋・船宿
  第2章 天草郡地役人江間家と地域社会
  第3章 天草郡地役人江間家の「御館入」関係について
 第2編 越後頸城郡の地主制と村落社会
  第4章 村落構造とその変容
  第5章 近世の「地主制」と土地慣行
  第6章 明治三年の村落騒動と「永小作」
 第3編 関東の村落と村役人
  第7章 幕末維新期の村方騒動と「百姓代三人体制」について
  第8章 村再建に見る村人の知恵

 構成を一見すれば,地理的にも遠く隔たり,生産状況も異なる3地域の異なるテーマについての事例分析であるかのようである。しかし,氏の冒頭の記述によると,本著は,3地域の同じ事象を検証するのではなく,地域農民の最大の関心事に徹底的にこだわることにより,近世の村落社会や地域社会の特質を浮かび上がらせることを意図したものであり,3地域での共通する視点は「地主制」の特質の問題であるという。
 しかしながら,氏の本書構成の意図は了とするが,第3編で取り上げる2論文のフィールドの北関東は,小作地率は極めて低く,手余り荒地の増大を特色としているのであり,「多様な地主・小作関係という形ではなく,手余り荒地の管理や復興への営為の中に,村落の特色が現れている」(30頁)と,氏も記さざるをえないように,第1・2編とはストレートには結びつかない。荒廃地における庄屋の役割や報徳仕法の事例として興味ある内容を提示しているのであるから,無理に第1・2編と結びつけずに,補論として示した方が落ち着きがよかったのではないかと思われる。
 第1編については若干詳述するので後に回し,先ず第2編から見てゆく。

 第2編は,越後国頸城郡岩手村佐藤家文書を中心にした割地制下の地主・小作別についての具体的検討である。ここでは,割他の理由に限定して意見を述べる。
 岩手村における高区分・持高構成・2種類の小作地と経営およびその推移・割地(土地分配)の方法などについて具体的説明がなされ,同村では,地主経営において「所有と経営の分離が確立」(229頁)しているために,割地制は地主手作経常の量的増大には阻止的に働いたが,所有そのものの量的増大を抑える機能を持っていないとし,「割地制の特質は,地主経営の展開の仕方や質を規定するが,地主の土地集積の量は規定しない」(231頁)と結論づけている。
 論述過程から導き出される結論は確かにその通りであり,村の実態を示しているであろう。しかし,読み進めば進むほど,岩手村の割地は何を契機に,また何のために行われたのか,と言う疑問が強くなってくる。
 割地制度の極致とも言える薩摩藩の門割制度は,百姓の片倒れを防ぎ,永続的に高率の年貢収奪を行うという明確な目的の下に割替えがなされており,制度上,百姓間における土地集積などは行われようがなく,ましてや百姓間の地主小作関係は築かれようがない。藩にとっては割地(門割)は最も望ましい制度であった。
 これに対して,岩手村の割地では,「名高基準」の小作地の場合,小作料率の均一化の意味はあるが,その他の割地に起因する効果・意味は読み取れず,割地であることによって生ずる諸々の特異性は浮き彫りされながらも,「なぜ割地なのか」と言う疑問は依然として残る。氏が,青野春水氏の割地の過程・段階論を援用し,「割地を近世村落とは本質的に異なる特殊な慣行と考えるのではなく,近世村落がその特質として割地の可能性を潜在的に秘めていたことになる」(180頁)と,割地の普遍性に言及しているのであるから,この疑問に答えるに必要があろう。史料の制約により無い物ねだりとは思うが,敢えて岩手村の割地開始時期に遡り,その制度施行の目的等を明らかにする努力に期待したい。

 さて,注目する第1編では,天草の地役人(遠見番役・山方役)について,変遷・任免・職務内容・出自・親類関係など制度史的側面を論述した後,主として富岡附き山方役江間家の動きと地域社会との関係について論を展開する。細かな疑点については省略して,基本的なことについてのみ記そう。

 第1は,天草における地役人の位置づけである。天草の地役人についての専論は今までなかっただけに,天草の地役人に関する諸事実を明確にしたことは今後の研究の基礎として貴重であるが,九州には天草以外にも地役人がいる。対馬藩の飛び地である田代領,薩摩藩の大島などの諸島での地役人は周知のことであり,いずれも領主在住地から遠隔の地であることは共通する。遠隔の領地を効率よく支配するには在地に精通する地役人の登用は必須であった訳である。対馬藩を例に取るならば,田代領支配のために対馬藩は代官・副代官・賄役の三役を派遣するのみであり,同領の支配の実務は,5・6人の現地登用の士分である手代が土地吟味役・用銀掛などの諸下役を統べながら一切行っている。地役人も土地を持ち,一族には富農商がいたり庄屋・大庄屋と縁戚関係にある者もいるが,士分であるから百姓身分の大庄屋・庄屋とは異なる待遇を受けることは勿論である。先行研究を援用しつつ他領の地役人との比較を行い天草の地役人を位置づけるならば,より同地の地役人の特長が明確になり,深みのある考察になったのではなかろうか。

 第2は銀主の位置づけに関してである。舟橋氏は「山崎家本家同居取極書」の分析により石本家の経営との共通する性格があるとして,天草の大銀主を「大地主・大貸主・大荷主として君臨し,流通過程を掌握する意識は低いことが特徴である。小規模交易・中小商人の発展は大銀主の経営とは矛盾せず,むしろ中小の商人・銀主は大銀主の強大な資金力の下で,定雇・臨時雇の手代,『出入之者』として編成されていたのではないか」(82頁)と,大銀主の@流通過程把握の意識の低さ,A中小銀主との補完関係,について指摘する。
 余りにも大胆な結論ではなかろうか。山崎家の取極書でも項目数の比較で商用の比重の低さを指摘し,「召遣」を石本家の手代・「出入之者」に対応するとするとし,また,中小地主(銀主)を小作管理人・手代とするが,商業の具体像,「召遣」の性格などきめ細かい分析が必要であろう。@についても,石本家は持ち船による上方などとの遠隔地交易や周辺地域の物資移動を行っている。経営総体としては地主経営・貸付の比重が大きいが,それのみによって流通過程を掌握する意識が低いと決めつけることはできないであろう。

 第3は江間家の活動についてである。地役人の転勤・異動がなくなり村役人や銀主との縁戚関係ができ,地域との結びつきが強くなる反面,もともと近い存在であった(富岡陣屋)手代との差は開いていく(60頁)が,江間家は富岡附山方役であることから陣屋との関係が強まり,縁戚によって地域と結びつき,それに地役人の外皮が加わることにより私的側面で地域の争論調停・陣屋への仲介を行ったことを示した。注目すべき,最も興味深い部分である。失脚前の大銀主石本は長崎代官への強い影響力を利用し同様のことを行っており,江間家との異同について検討する必要を感じていることのみを付け加えておく。


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