斎藤康彦著『産業近代化と民衆の生活基盤』
評者:重松 正史
掲載誌:「ヒストリア」204(2007.3)


   一 本書の特徴と主な内容

 本書は、山梨県を分析対象に、全県的な経済統計データを駆使し、明治前期から昭和前期までの期間について「資本主義的生産の支配が全産業部門に広範化する過程」(一六頁)を分析したものである。その意図するところは、「課題と方法」によれば、「地域の視座からもうひとつの日本資本主義発達史を描こう」(一六頁)とすることであり、山梨県の分析自体が目的ではない。
 本書全体での分析の特徴は、まず、これまでの経済史研究が個別的経営の研究や一村の分析にとどまってしまう傾向があるのに対して、「県」という面的な広がりを重視していることである。そして、全国における山梨県の位置づけ、郡市レベル、町村レベルと地域的特徴を重層的に描き出そうとしている。これは「民衆のレベルにより近い地域史研究と全体史を統一的に把握する視座」(一六頁)でもあることを斎藤氏は強調する。この引用にも明らかなように、斎藤氏は「民衆」を重視しており、「民衆の生活基盤や生産活動を取り巻く環境などの社会的条件を各時代状況の中にしっかりと位置付け」(一四頁)ることが、本書では目指されている。この点が、本書における分析のもう一つの特徴である。これは「歴史の全体構造を描かずに、些末な日常性の追求で事たれりとする安易な『民衆史ブーム』」(一五頁)への厳しい批判を伴っている。経済的構造の把握(「構造論」)を抜きにした民衆史はあり得ないというのが斎藤氏の立場である。このように、本書は、野心的な意図を持って書かれた書物である。
 本書は、三部からなっており、その章別構成は次のようである。
  
  課題と方法
  第一部 産業化の進展
    第一章 産業化の起点
    第二章 産業発展と物資流通
    第三章 産業構造の再編成
  第二部 就業構造と労働力移動
    第一章 明治前期の就業構造
    第二章 職業構成と労働力移動
  第三部 在地資本と所得構造
    第一章 明治前期の在地資本
    第二章 産業展開と所得構造
  総括−まとめにかえて

この構成からも明らかなように、産業構造の時系列的変化を追究し、就業構造と労働力移動を把握し、さらに階層別の所得構造を追い、在地資本のあり方を探り、それらを総合するという方法で地域経済の全体構造を明らかにしようとしているのである。
 本書各章の内容については、斎藤氏によって「総括」で要約されている。したがってここでは、各章の内容を逐一紹介することはやめ、最も重要な論点のみを繰り返すにとどめる。その第一点は、産業化の進展にともなって、山梨県では「蚕糸モノカルチュア」と斎藤氏が呼ぶ産業構成が形作られたということである。そしてもう一点は、明治前半期に製糸業を中心にして全国有数の「工業県」になった山梨県が、大正期には取り残されはじめたということである。工産物の産額が伸び悩み、農産物の産額よりも少なくなるという「農工逆転は山梨県のみで見られる現象である」(三八〇頁)ことを斎藤氏は指摘している。この指摘はきわめて興味深い。他地域を研究している者から見ると、山梨県には、製糸業で圧倒的な位置を持つことから、戦前期の日本では経済的先進地というイメージがある。その山梨県が「『後進』へ転落」(三八七頁)したとなれば、その原因の究明にはおのずと興味がわく。そして、「優良繭と優良女工の流出は山梨県産生糸の質を悪化させる。ここに山梨県が『後進』へ転落する要因が潜んでいた」(三八七頁)と、その主因を斎藤氏は指摘している。

   二 疑問点と論点

 以上のように、本書は大きな構想によって書かれており、論争的な論点を含んでいる。それに対して評者は、経済史研究には暗く、山梨県についての知識もない。はなはだ心もとない次第であるが、論争的な論点に触発されて、あえて疑問点などを提示してみたい。
 斎藤氏は、山梨県内の地域的多様性を把握しようとしている。統計数値を町村レベルで詳細に検討し、町村レベルで個々の町村の類型化を行い地図に落とすという手法を随所で展開している。多様性を明らかにすることは、資本主義的生産が地域経済を組み込んでいく過程を具体的に明らかにしようという斎藤氏の意図からいって、当然必要な手続きであろう。このような検討の結果、たとえば製糸業の盛んな山梨県で、養蚕が普及する様相を具体的に知ることができる。

 この論証に関してよく分からない点は、ひとつには地域類型の命名が、各章によって違うことである。一例をあげると、第一部第一章の「米麦雑穀」型と第一部第三章の「水田型」または「水田・畑作型」の異同、同じく「繭」型と「養蚕型」の異同などである。また生産額の比率によって類型化すると、山村はうまく位置付かないのではないか。例えば、第二部第一章で「山間部村落」として取り上げられている南都留郡大嵐村の場合は次のようになっている。この村は、大正二年の段階で、「水田は皆無」であり、生活は「山林に依拠する割合が大きかった」(一九八頁)という。しかし、第一部第三章の類型分けでは、農産物の産額が六〇%を超えるということで「農業型」ということになっている(一一九頁)。山村は別の類型になるように類型を設定した方がよいとも考えられる。
 山村に評者がこだわるのは、山梨県では人口比率は少ないものの山村が広範な地域を占めると思われるからである。また山村(それ以外では半島・離島など)は往々にして交通不便な僻地である。「地域の視座からもうひとつの日本資本主義発達史」を描くという本書の立場からすれば、僻地の資本主義的生産への包摂を確認することが、重要であろう。
 本書では、山村や林業についてももちろん言及している。斎藤氏は「県域の八割を山林がしめる山梨県にあって林業の比重が低いのは奇異」(二二五頁)であると問題を提起し、その原因として「これは地租改正に際して、明治一四年に民有地のはとんどが官有地となり、同二二年にはそっくり皇室財産に編入された結果、林野利用が著しく制限され、林業経営が著しく立ち後れてしまった事情によると考えられる」(二二五頁)と述べておられる。そうだとするならば、官有地・御料林をかかえた山村では、経済的困窮による矛盾・問題点を抱え込みやすかったはずであろう。
 前述のように、本書では山梨県の「蚕糸モノカルチュア」という性格をきわめて重視している。県全体を特徴づけるのは当然でもあるし、また山梨県経済の脆弱性を強調する意図も理解できる。しかし他方で、資本主義的生産への地域経済の組み込みという論点から見ると、本書によって提示されている地域の多様性というイメージをもう少し生かし、多様な地域の資本主義への包摂ということを強調した方がよかったのではないか。こういった意味から、「蚕糸」も乏しい山村のような地域をもっと注目してもよいのではないか。

 次に、第二部で検討されている労働力移動についてである。ここでも斎藤氏は、史料を駆使して移出先の府県別・男女別・職種別などを、町村レベルに至るまで、ていねいかつ具体的に追究されている。そして、「昭和前期の山梨県は全国有数の人口流出県であった」(二二〇頁)こと、同じ蚕糸業県である長野県(諏訪地方)へ多くの労働力が流出していたこと、また山梨県は都市の展開が弱く、甲府市以外に労働力を吸収する都市が乏しいことなどが指摘されている。また「蚕糸モノカルチュア」的経済構造であるがゆえに、「蚕糸」が成り立ちにくくなった昭和恐慌期以降には、地域経済への打撃がとくに大きく、人口流出が著しくなったことも指摘されている。
 以上のような論証はよく理解できるが、疑問も若干残った。よく理解できないのは、山梨以外の多くの地域では北海道や海外などへ、昭和恐慌期以降には、満州などへの労働力流出がしばしば見られる。長野県からの満州移出が有名なのに対して、本書によれば、山梨県の場合には、満州にはあまり行ってないようである。長野県が「蚕糸モノカルチュア」だったのかどうか私には判断できないが、なぜ両県の違いが出てくるのか。山梨県の場合、東京に近いという地理的関係が長野との大きな違いだとは考えうる。他にどのような原因が考えられるか。差異が生ずる理由は経済的要因では説明困難かもしれず、本書の範囲には含まれない問題かもしれないが、民衆史の観点からは重要な論点だろうと思われる。
 もう一点、山梨県と長野県の違いということにも関わるが、斎藤氏は「蚕糸業の最盛期ともいえる明治〜大正期における連年にわたる大量の製糸女工の慢性的な流出、なかんずく、「養蚕・製糸県としてライバル関係にあった長野県への流出が山梨県における器械製糸業のさらなる発展を制約し、長野県に決定的な差をつけられる結果を惹き起こした」(二六八頁)と説明している。同趣旨の説明は三八七頁でも繰り返されているが、この説明は本書を読んだ限りでは疑問である。山梨県における製糸業の発展が「制約」されたが故に女工の流出が進んだと、因果関係を逆に説明もできるのではないか。いずれにしても、山梨県の製糸業に内在した分析による説明が必要であろう。

 最後に、斎藤氏の民衆史についての主張について触れておきたい。地域の経済的構造を把握し、その中に民衆史を位置づけなければならないという筆者の主張は、経済的構造は重視すべきであるという点において理解できる。そして、斎藤氏は「民衆」に直接結びつく次元を重視しようと町村レベルの分析を重視している。しかし、せっかく町村レベルの状況を把握しているのに、それが「民衆」といかに関係しているのか、あまり見えてこないように思われる。また経済構造の把握がいかに重要だとはいえ、「民衆」を明らかにするためには、やはり、経済以外の要素をも組み込む可能性を経済史研究の側が示す必要はあるのではないか。
 例えば、昭和一〇年の国勢調査によれば、山梨県内における六五歳以上の人口を町村別に見て、男の方が女よりも多いのは、【表】の諸村である。通常、六五歳以上の人口は女性が多くなる。しかしこれらの町村では、これとは逆に女性が短命というような事態が起きていたと考えられる。人口が多い村でしかも長期間このような現象が生じている場合も多く(C項参照)、何らかの構造的要因がこのような現象を生んだのであろう。これを本書五二頁の第一六表(炭・薪生産額の多い村)と組み合わせてみると、【表】のd項のようになる。かなりの村が重なる。「炭・薪」が経済を支える山村地帯で、このような逆転が起きていたと考えられるのである。こうした現象が起こる原因については別に分析が必要だが、ひとつには、山村地域が資本主義へ組み込まれる中であらわになる貧困という要素を考察する必要があろう。しかし、それだけではなく山村での結婚・出産・育児・労働などにかかわる民俗的要因(山村でのライフサイクル)も無視できないものと思われる。「些末」な民衆史には斎藤氏が主張するように限界があるにしても、民衆史を明らかにするためには経済とは別次元での分析も必要であり、本書での経済構造分析と接合しながら解明すべき課題はなお多いと考えられる。

【表】65歳以上の人口:男が女より多い村(昭和10年の国勢調査)
村 名  a男人口 b女人口 c d
東山梨郡 三富村 94 76
鶴瀬村 15 7
山村 37 25
休息村 20 16
西山梨郡 浅井村 21 20
千代田村 35 32
東八代郡 木賊村 3 2
金生村 49 40
南八代村 45 44
上芦村 23 23
鶯宿村 27 24
西八代郡 羽鹿島村 7 5
葛籠沢村 19 16
南巨摩郡 萬沢村 88 73
中巨摩郡 吉澤村 25 18
北巨摩郡 登美村 38 34
祖母石村 14 11
北都留郡 神山村 37 29
西原村 65 55
c項☆は昭和5年も男女逆転、d項◎は52頁表16と重なる村

(〒644-0043 和歌山県日高郡美浜町吉原九八−二
合同宿舎一の四〇四)


詳細 注文へ 戻る