産科文献読書会編『平成版産論・産論翼』
評者:北村 澄江
掲載誌:「女性と経験」32(2007.10)


 本書は、江戸時代中期の産科医賀川玄悦(一七〇〇〜一七七七)とその養子玄迪(一七三九〜一七七九)が著した産科書の読み下しと現代語訳である。産科文献読書会のメンバー六名による共編であり、女性民俗学研究会会員の佐々木美智子氏が、その一員として参加している。
 産科文献読書会は、平成一二年にも佐佐井茂庵『産家やしなひ草』現代語訳を刊行しているが、本書も、右ページに読み下し、左ページに現代語訳、下欄に注という構成になっている。

 本書は、江戸時代における産科の解説書であり、賀川父子の長年に亘る研究と実践の集大成でもある。玄悦が著した『子玄子産論』は、明和二年(一七六五)に刊行された。妊娠、分娩、産褥、産椅論・鎮帯論の四巻から成り、附録「子玄子治験四十八則」として玄悦の治療の実例が記されている。玄悦の人となりを知ることが出来る一節でもある。玄迪著『産論翼』は、安永四年(一七七五)に刊行された。玄悦の『産論』を補完する内容であるが、新たな工夫考案も加えられているという。乾坤二巻のほか、付録として「治験二十八条」が添えられている。また、坤之巻巻末には、胎内解説図三十二点があり、貴重である。
 一般の人の目にはあまり触れる機会のないこのような書物を、現代語訳付きで出版することの意義は大変大きいと思う。読み下しだけでは難解な内容が、わかり易い現代語訳と丁寧な注によって、専門知識のないものにとっても、理解可能なものとなった。巻末に、杉山次子氏による解説が付けられている。
 解説によれば、賀川玄悦は京都で活躍した産科医で、長年の研鑽の末に従来にはない新しい産科術を確立、秋田出身で弟子であった玄迪が養子となってその研究を継承した。賀川流はこの後江戸時代を通じて産科術の本流となったという。
 わかり易いといっても、産科術の専門的な内容なので、簡単に紹介することは難しいが、印象に残ったのは、玄悦が、従来の産科術の伝統や因習を批判し、より科学的な視点や実践の中から、産婦の負担を軽くし、安全で楽なお産を試みている点である。科学的な根拠のないまま産婦に強いられてきた出産の姿勢や食事制限などを強く批判、妊婦の負担を軽くする出産方法や産後の養生を研究し、きちんと栄養を摂取する事の重要さを繰り返し述べている。難産など問題のあるお産に対する対処法などにも、画期的なものがあったようだ。
 玄悦がこの産論を表した九年後に、杉田玄白は『解体新書』を刊行した。玄悦父子も人体解剖に立ち会った経験があり、西洋医術の知識も取り入れ、実践の中で試行錯誤を繰り返し独自の産科術を確立したという。これによって当時の産婦の受けた恩恵は計り知れないものがあるが、病院の管理下ではない、自然な出産に関心が持たれている現代においても、たいへん示唆に富む内容なのではないかと思う。
 産科文献読書会の方々が多くの困難を克服して、現代語訳という難事業に取り組まれたのも、出産を巡る今日的な問題解決に対して、ひとつの指針を示すものとしての意義を見出したからではないだろうか。

 佐々木氏は、これまでも出産を巡る様々な問題に精力的に取り組んで来られた。自然分娩やそれに取り組んできた助産師の活動、男性助産師問題や避妊に至るまで、現代の社会が抱える問題について、民俗学の視点から解決方法を探って来られた。本書の刊行への参加もその一環にあるもので、粘り強く研究の幅を広げていくその姿勢は本当に立派なものだと思う。今後の研究のご発展を期待しています。


詳細 注文へ 戻る