鈴木勇一郎著『近代日本の大都市形成』
評者:高嶋修一
掲載誌:「社会経済史学」71-6(2006.3)


 本書は近代の東京と大阪とを対象とした歴史学の研究成果である。まずは著者の問題意識を確認しておきたい。
 著者は序章の冒頭で人々が一般に抱く都市空間の「イメージ」について述べる。東京であれば「旧市街地を山手線が取り巻き,その中心を中央・総武線が東西に貫き,京浜東北線が南北を貫いているという」「イメージ」,大阪であれば「梅田から難波までを南北に貫く御堂筋やその下を潜る地下鉄御堂筋線をはじめとする南北の交通路」を中心とした「都市が作動する中心的な流れ」を軸として捉える「イメージ」である。これらは当然ながら近代の産物であるが,著者の関心はこうした「イメージ」の背景をなす,都市空間の形成過程がいかなるものであったのかという点にある。

 そうした過程の理解にあたり,著者は川越修による都市近代化のシェーマ@伝統都市の解体,A外的都市化(ハード面の変容),B内的都市化(ソフト面の変容)を援用し,従来の歴史学における近代都市史研究はこのうち「内的な側面の分析に偏る傾向があった」として「外的都市化」の分析が立ち遅れていたと指摘する。こうした状況をふまえ,「都市の空間的拡大を中心とする外的構造の形成とその変化の過程を明らかにし,その上で外的都市化が内的郡市化に持った意味を明らかにする」ことを本書の課題として設定する。そして「外的都市化」過程の解明にあたっては道路や鉄道などの「骨格」と都市形成の「計画」が重要であるとし,それが中心的な分析の対象にすえられる。
 次に時期区分である。著者は,都市の膨張によってもたらされる「都市問題の自律性の獲得と喪失」を基準にして次のような時期区分を行う。
 第1期 明治初〜明治30年代(1870〜1900)
 第2期 明治30年代後半〜昭和10年代前半(1900〜1940)
 第3期 昭和10年〜30年(1940〜1955)
 第4期 昭和30年〜昭和末年(1955〜1990)
 このうち「日本において近代大都市が形成され」,「都市の自律性」が最も強く備わっていた時代は第2期であるという。なぜなら第1期は都市が維新変革を経て縮小しておりその整備が国家計画の一環としてなされる時期であるのに対し,第2期になると都市の膨張によって国家とは切り離された都市固有の次元の問題=都市問題への対応として都市整備が行われるようになるからである。その後の時期はさらなる都市膨張が地方計画や国土計画との連係を不可避とし,再び「自律性」が喪失されていく。近代都市の形成過程を追うことを課題とする本書において分析の中心は第2期となり,それにしたがって本編は以下のような4部11章の構成をとる(アラビア数字の番号は章番号,原文では漢数字)。

 第一部 近代都市への転形(第一期)
  1 大阪における近代都市の成立と築港問題
  2 東京市区改正計画と交通問題
 第二部「郊外生活」と「田園都市」(第二期)
  3 明治末期大阪天下茶屋における郊外住宅地の形成
  4 私鉄による郊外住宅地開発の開始と「田園都市」
  5 明治後期における都市東京の変容と「田園都市」の登場
 第三部 近代大都市の形成と展開(第二期)
  6 大阪市区改正委員会と高速鉄道計画の形成
  7 大阪における区画整理の展開と都市形成
  8 「大東京」概念の成立と国有鉄道の動向
  9 近郊農村の都市化と宅地開発
 第四郎 近代大都市の変容(第三期)
  10 地方計画・国土計画の登場と都市大阪の変容
  11 東京緑地計画と地方計画

 内容をごく簡単に紹介すると,次の通りである。
 第1部では,明治中期における都市経済の発展により,それに対応したインフラ整備が課題となる過程が大阪築港と東京市区改正とを題材に描かれる。大阪築港は当初大阪が商業拠点として復興するための要という位置づけであったが,現実の大阪が工業発展による都市膨張へと向かうことでその性格が変化していく。東京市区改正については従来国土計画の一環としての性格が強調されてきたが,一方でそれを都市鉄道整備計画として位置づけようとする動きもあったこと,それは都市東京が今後膨張していくのか否かという帰趨をめぐる見解の対立であったことを指摘する。
 第2部は都市の膨張が決定的となり郊外開発が開始される時期を扱う。第3・4章では,大阪においてまず天下茶屋のような富裕層の別荘地の開発が行われ,やがて阪神間において恒常的な「市外居住」が開始される過程を描く。ただ,そのスタイルが定着するまでには様々な模索があった。ここでは阪神・阪急といった電鉄会社による開発構想の形成過程を追い,やがて「田園都市」というキーワードの下に郊外生活の姿が具体化されていくことが指摘される。東京の場合も,都市の膨張に伴って都市鉄道整備計画が具体化されること,様々な郊外居住のあり方が模索される中で田園都市株式会社の開発に代表されるイギリスとは異なる職住分離型の「田園都市」生活が以後のモデルとなっていくことが指摘される。
 第3部は都市膨張と郊外居開発が本格的に展開する時期を扱う。第6・7章は大阪において未だ市街地化しない市域の外を積極的に開発する動きとして,大阪市区改正事業にはじまる都市計画事業とその一環としての市営高速鉄道(地下鉄)建設,さらそれに対応する地域社会の動きとして南郊における土地区画整理事業が扱われる。当初地主により自発的に計画された土地区画整理は,第二次市域拡張後になると郊外開発に積極的な市の指導を受けるようになり,行政と地域社会との関係は密なものとなったという。第7・8章は東京の事例である。東京の膨張は「大東京」という語に集約されたが,当初は茫漠として実態を示すわけでなかったこの語が具体的な空間的範囲を示すようになったきっかけは,鉄道院による東京周辺の都市鉄道整備計画であった。東京駅から半径10マイル,片道30分内外(本書,250頁には「片道一時間」とあるが,これは史料の誤読である)という基準で設定された「大東京」は,やがて東京都市計画区域,さらに1932年の市域拡張の範囲となる。地域社会の対応としては荏原郡世田谷町における土地区画整理事業が取り上げられ,地域の有力者が中心となり当初農村振興を目指した計画がやがて軌道誘致とリンクした宅地開発計画へと変化する過程を描く。
 第4部は,都市の膨張を抑えようとする緑地計画を大阪・東京それぞれについて取り上げ,これらが地方計画・国土計画との関連を不可避とし,都市の問題がもはや都市のみの問題としては対処しえなくなることを指摘する。この構図は基本的に戦時・戦後にまで引き継がれるものであるという。

 本書に収められたトピックには既に他の研究によって何らかの形で論じられたことのあるものも少なくない。だが,著者はそれらの先行研究で何がどこまで明らかにされ,逆に何がどの程度説明されていないのかを注意深く踏まえ,幅広く史料を駆使して多くの新しい史実を発掘している。たとえば大阪市区改正委員会の活動についてはこれまで芝村篤樹が大阪における都市計画事業の起源として位置づけてはいたものの,その活動内容は必ずしも詳らかでなかった。これを検討し,大阪における都市整備政策形成過程を解明した点などは本書の実証上の大きな貢献のひとつと言えるであろう。
 また,ある事柄のモデルや起源は何かということに関するこだわりも本書の特徴である。たとえば「田園都市」については,従来思想史的な系譜や西欧との異同が重視されてきたが,実際の開発や生活のスタイルとして具体化していった過程は必ずしも明らかにされていなかった。「田園都市」開発の先駆として鉄道敷設と沿線開発とを一体に進めた小林一三による箕面有馬電気軌道の経営はこんにち説明の要もないほど人口に膾炙しているが,著者は沿線における住宅開発の構想そのものは小林の同社経営参画以前から存在していたこと,しかしそれが貸家経営の計画であった点が後に分譲を実施した小林の手法とは異なっていたことをいくつかの史料から明らかにしている(第4章)。研究史上,小林はこの種のビジネスの「イノベーター」と位置づけられているが,このような史実を踏まえると小林のイノベーションが突然の着想というよりは連続的な過程の中で達成されたものであることが考えられ,示唆に富んでいる。このほか,「大東京」の起源が鉄道院による都市周辺鉄道整備構想であったという指摘なども興味深い。大阪市営高速鉄道の例も含め,都市整備と鉄道整備との関係を具体的に明らかにした点は,本書の大きな成果のひとつである。
 だが,本書の意義はこうした実証上の補完や事物起源の解明にとどまるものではない。上に述べたモデルや起源へのこだわりとも関係して結果的に強調されている事のひとつに,歴史過程の連続性が指摘できるように思われる。それは特に東京の都市鉄道整備に関する記述で強く感じさせられる。国土交通とは異なる次元のものとしての都市鉄道整備の構想が東京市区改正期から議論され(第2章),明治30年代に市街電車とは別個の交通機関として国鉄の都市鉄道としての整備が本格的論議されるようになっていく過程(第5章)などは,戦間期の都市鉄道整備が突然行われたのでなく,長い伏線を経たものであったことを強く印象づけられる。

 ただ,全体として,具体的な史実の叙述に比して著者の抽象的な主張ないし意見が十分に展開されていない嫌いがあるのは否めない。その原因は著者の禁欲的な叙述スタイルにもあろうが,同時に冒頭で紹介した課題設定の内にも求められるように思われる。
 著者はそこで従来の歴史学研究における「内的都市化」への「偏り」をもって「外的都市化」をより重視すると宣言するのであるが,この主張が文字通りのものであるならば評者はただちに賛成することは出来ない。なぜなら,政治や経済その他の「内的側面」への注目は人文・社会科学の一環としての歴史学研究の課題そのものであって,「偏り」という性質のものではないからである(著者が援用した川越説も最終的な力点は「内的側面」にあるように思われる)。もしそこで敢えて「外的側面」の叙述のみを行う方法を採るのであれば,従前の研究との対話を不可能にすることになりかねない。
 だが,それは「内的・外的両面からの都市へのアプローチが必要」とはっきり述べている著者の意図するところではないであろう。著者はまた,郊外への都市拡大を踏まえないことが制約となって1920年代以降の都市政治構造が十分に追究されないという例を挙げて「外的側面」を解明する重要性を説いているが,ここから敷衍すると著者の本意は「内的側面」の分析を説得的なものにするための要素として「外的側面」を勘案すべきである,という主張と解せる。
 ただ,この場合もいかなる「内的側面」をめぐる議論なのかがはっきりと示されねばならない。著者の設定した課題は「外的都市化が内的都市化に持った意味を明らかにする」ことであったが,それがいかなる「内的都市化」に対するどのような「意味」であるのかは残念ながら必ずしも明らかでない。このような課題設定における曖昧さは,著者の主張を不明瞭にしている一因であろう。
 結果的にみれば,本書が明らかにしたのは「外的変化」に関係の深い領域,すなわち都市整備に関わる行政や地域社会の活動の展開過程とその性質の「内的」変化であった。そして,その点での本書の貢献は上に述べたとおり十分なものである。したがって,本書はこの種の対象に関心をもつ者が基本的な史実を理解するに際して,参照すべき研究成果であると言えよう。


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