長谷部将司著『日本古代の地方出身氏族』
評 者:宮永廣美
掲載誌:「歴史評論」681(2007.1)


 本書は、長谷部将司氏が二〇〇四年に筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科に提出した学位請求論文をもとにまとめられたものである。本文四章一一節に序章・終章を加えた構成で、その内容は以下の通りである。
 
 序章
 第一章 律令体制と氏族秩序
 第二章 地方出身氏族の台頭
 第三章 地方出身氏族と国造制
 第四章 地方出身氏族の貴族化
 終章

 まずは、本書において著者が提示し、本書のタイトルにもなっている「地方出身氏族」の概念に触れなければならない。著者のいう「地方出身氏族」とは、「律令貴族と地方豪族の間」に設定した概念で、「律令制定期に律令貴族層には入り込めなかった氏族のうち、そこからその構成員が何らかの形で朝廷の位階集団に出身し、その後、王権と結びつくことで自らの勢力を伸ばし、律令貴族と同様の地位を獲得した氏族のこと」である。この概念を適用することにより、従来用いられてきた地方豪族とは分離して考察すること、言い換えれば「地方豪族という用語が本質的に有していた中央に対する潜在的に対抗的な意識を取り外すことを可能にした」とし、本論を展開している。
 本書の目的は、右のような「地方出身氏族」の朝廷への進出要因を検討することによって、古代社会の支配層である貴族について解明すること、「地方出身氏族」を登用し、律令貴族層を再生産させる天皇の存在について解明することの二点であるとする。

 第一章では、氏族秩序を規定する氏族系譜(姓と祖先伝承が構成する)に注目し、『日本書紀』や『続日本紀』などの官撰史書が氏族系譜を載録することは、系譜に記された奉仕関係や氏族祖先伝承を公認する意味があることを確認する。また、氏族系譜の内容が『古事記』『日本書紀』の段階から『続日本紀』の段階へと変化することを『続日本紀』載録の「請賜姓」上聞文書や薨卒伝の検討から指摘する。特に『続日本紀』に初めて薨卒伝が載録されたこと、そして賜姓の対象氏族や薨卒伝載録の氏族に律令貴族層以外のものが多いことから、『続日本紀』の最終編纂者である桓武朝における氏族秩序の再構築を指摘する。
 第二章以降は、「地方出身氏族」の具体的な検討である。ここでは、著者が「典型的な地方出身氏族」とした和気朝臣氏をモデルとして扱う。特に和気清麻呂や清麻呂の子の広世・真綱の代までを検討対象とし、八世紀段階における「地方出身氏族」の中央への台頭と在地における地位、そして祖先伝承の構築と貴族化について論じている。
 第二章においては、『日本後紀』延暦一八年二月乙未条の和気清麻呂薨伝に丁寧な検討を加える。特に関連史料を博捜し、その検討から、豊前守赴任時期と美作備前国造就任時期を確定したことは、和気清麻呂の経歴において今後参照にされるべき見解である。
 また、『古事記』『新撰姓氏録』や清麻呂薨伝にみえる奉仕伝承の変化から、磐梨別公を姓とした時代(地方豪族時代)と清麻呂躍進以後の和気朝臣姓(地方出身氏族時代)に至る中央での進出過程と在地における変遷を明らかにする。他方で、和気氏における八度もの改姓から、改姓の画期となった称徳朝・光仁朝における、二朝の違いを指摘しつつも、地方出身氏族の勢力伸長に注目する。
 第三章では、地方出身氏族と律令体制下における国造の関係を扱う。まず律令制下の国造について、律令制定時に(新)国造制と呼べる体制が企画されたことを認めるべきであると指摘する。そして、国造補任記事の整理から称徳朝と桓武朝の二つの画期を指摘する。称徳朝では、名目的に「一国之内長」である国造は令制国を象徴し、称徳が国造の肩書きを有する多数の地方出身氏族を自らの下に近侍させる構図を持ったことを推測する。桓武朝は、称徳朝とは異なり、国造任命者に地方豪族が増加する。桓武は在地の有力な勢力から国造を補任することで、任命者としての天皇と国造との直接的な紐帯関係を明確化し、在地勢力の掌握を図ったとする。このような桓武朝の政策は、崩壊しかけた氏族政策を再構築する意味を持ち、重要な画期とみなされることを指摘する。
 第四章では、『続日本紀』神護景雲三年九月己丑条にみえる宇佐八幡神託事件を『続日本紀』編者の創作とする説を退け、事実としたうえで、『続日本紀』と『日本後紀』清麻呂薨伝の神託事件部分の記述内容に同一の出典(原史料)が存在することを指摘する。また、『続日本紀』と『日本後紀』清麻呂薨伝の間に位置する『類聚国史』(実際は『日本後紀』逸文?)和気真綱上表文の三種類の史料にみえる清麻呂像の変化から、『続日本紀』編纂段階に道鏡排除が加わること、真綱の上表文段階で神託事件における清麻呂の主体的行動が明示され、『日本後紀』段階で「逆臣」道鏡と対峙する「忠臣」清麻呂の構図が成立することを指摘する。このような清麻呂の位置づけの変化には、清麻呂の子である真綱・広世による清麻呂像の構築があり、新たな祖先伝承を必要とした桓武朝と「地方出身氏族」の貴族化について言及する。

 本書は、『続日本紀』『日本後紀』という編纂史料を基本史料とするが、その扱い方は編纂史料の性格(編纂者や編纂過程・時期など)を十分にふまえ、特に編纂者の意図を丁寧に解明しながら論述を進めている点が評価できる。そしてその姿勢が本書が引用する史料に徹底されている点を指摘したい。
 しかし、本書において著者が提示した「地方出身氏族」の概念は、律令貴族層と地方豪族層とを対比して理解する上で有効な視点とみられるが、従来の「地方豪族」概念と必ずしも峻別しにくいように思われる。また、奇しくも著者が「希有な事例」と評された和気朝臣氏を取り上げて検討されたように、和気朝臣氏の例のみをもって「地方出身氏族」全体に敷衍することができるのかといった疑問も残る。
 以上、本書は、課題もいくつかみられるものの、中央と地方の問題をいかに理解するかという古くからの問題について、「地方出身氏族」という概念を適用して理解しようとした意欲的な著作と総評することができる。なお、近年注目されている桓武朝の、特に王権と氏族秩序に関して、多くの言及があることを述べて、紹介を終えることにしたい。
(みやなが ひろみ)


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