村井早苗著『キリシタン禁制の地域的展開』
評 者:浦井祥子
掲載誌:「史潮」62(2007.11)


 本書は、キリシタン禁制が被支配側にとってどのような意味をもったのかを、地域の事例に則して論証したものであり、著者の博士学位論文を、出版・刊行したものである。著者は、すでに一九八七年に『幕藩制成立とキリシタン禁制』(文献出版)を刊行しており、本書は、いわばその続編にあたる。
 まず、本書の構成をあげ、各編の内容を順に見ていこう。
  
 はしがき
 序章 キリシタン研究史
 第一編 キリシタン禁制史の概要
  第一章 キリシタン禁制の展開の時間的・地域的偏差
 第二編 キリシタン禁制と岡山藩
  第二章 キリシタン禁制をめぐる岡山藩と幕府
        −万治二年「備前国吉利支丹帳」の分析
  第三章 キリシタン武士の地域的交流
        −岡山藩鷹師横川助右衛門・三郎兵衛父子を中心に
  第四章 一キリシタン武士の軌跡
        −渡部惣左衛門と岡山藩のキリシタン
  第五章 朝鮮生まれのキリシタン市兵衛の生涯
 第三編 琉球・蝦夷島におけるキリシタン禁制
  第六章 琉球におけるキリシタン禁制
  第七章 蝦夷島におけるキリシタン禁制
   補論 異国・異域とキリシタン
 第四編 地域における寺社の役割
  第八章 幕末期下総国葛飾郡高根村における生活
  第九章 武蔵国豊島郡角筈村と熊野十二社権現
  第十章 下総国葛飾郡藤原新田における村方騒動と寺社
  第十一章 臼杵藩「文化の一揆」と寺社
   補論 「文化の一揆」における寺社
 終章 キリシタン禁制の終焉
 あとがき

 序章では、キリシタン研究史がまとめられており、本書の概要と課題について述べられている。
 本編全十一章は、第一編から第四編にわけられている。第一編にあたる第一章では、キリシタン禁制の諸画期についての研究が進んでいなかったことを指摘しつつ、時期的・地域的な偏差を考える必要性を提示し、考察している。
 第二編にあたる第二章から第五章では、キリシタンが比較的少なかった岡山藩を事例に取り上げ、検討している。あえてキリシタンの存在が希薄であった地域を取り上げることによって、幕藩制国家におけるキリシタン禁制の特質を明らかにしようという視点は、注目すべきであろう。ここでは、個別のキリシタンの具体的な状況から、キリシタン武士の支配領域を越えた交流などまで、さまざまな事例が具体的に検討されている。なかでも筆者にとっては、朝鮮出兵の最中に朝鮮に生まれ、日本に連れてこられ、後にキリシタンとなった市兵衛なる人物を取り上げ、彼にとってキリスト教とは何であったのかということを考察している点は、非常に興味深いものであった。
 第三編にあたる第六章・第七章では、当時異国(異域)とされた琉球王国や蝦夷地(アイヌ社会)について言及している。琉球においては、幕藩制国家のキリシタン禁制よりも、薩摩藩によるキリシタン禁制が実施されたと考えた方がよく、キリシタン禁制の側面から見ると、琉球は幕藩制国家の体制外にあったと位置づけている。一方、蝦夷地においても、松前藩においてキリシタン禁制が布告された後、十九世紀に至るまで、近世の波は及んでいない。まさに、著者が指摘するとおり、キリシタン禁制の側面から見れば、琉球王国も蝦夷地も、完全に幕藩制国家の枠外に置かれていたと言えるわけである。こうした異国(異域)とされた地についてのキリシタン禁制という観点からの検討は、日本近世国家におけるこれらの地域のあり方や関係などを考えるうえでも、新しい視点と言えよう。なお、この第三編には、補論として、奄美地域(道之島)と和人地内に居住するアイヌなどの、キリシタン禁制の実施状況についての検討も添えられている。
 さて、第四編にあたる第八章から第九章は、寺社という側面から、キリシタン禁制を取り上げている。当時のキリシタン禁制という枠組みのなかで、民衆がどのような宗教生活を営んでいたか、また、その支配の末端を担っていた寺社が、地域においてどのような役割や機能を持っていたのかということが、具体的な地域の検討などから考察されている。なお、本編の最後にも補論が添えられ、初めて世直し大明神が登場したことで知られる「文化の一揆」における寺社の役割にも、考察が広げられている。
 最後に、終章では、キリシタン禁制の終焉がたどられる。いわゆる「鎖国」制の崩壊後、実際に各地域において、どのようにキリシタン禁制や宗教活動が変容していったかに触れ、宗教事情の変化などを見ている。

 このように、本書は、キリシタン禁制がどのように成立したか、当時の人々にとってどのような意味を持ったのかなどを押さえ、さらにその終焉までを追うという、総体的な検討の一方で、具体的な地域や事例についての検討など、幅広い考察を行っている。また、対象とされた地域も、諸藩の一例である岡山藩と、対して当時異国・異境とされていた琉球や蝦夷地を同時に取り上げるなど、多角的な視野からの検討がなされている。
 本書中において、著者は、自身の問題関心が、「近代日本において、民衆の宗教意識や思想状況が、なぜ、天皇制イデオロギーに容易に組み込まれたのか」という点にあると述べている。また、それが「現在に至るまで民衆の思想状況の底辺に滞留している」と述べ、この問題が、「二十一世紀を迎えた現在でも、決して克服されていないといえるだろう」と指摘する。幕藩制国家におけるキリシタン禁制という問題の位置づけにとどまらず、キリシタン禁制が、日本近代国家にどのような影響や問題点を残したのかなど、近代へつながる視点を持ちながらの検討は、非常に意義深い。当然のことながら、こうした視点は、キリシタン研究に限らず、必要なことであろう。
 本書は、著者が課題として挙げた、「キリシタン禁制が支配される側にとってどのような意味を持ったのか」という問題に、真っ向から取り組んでいる。個別の検討事例に終わらず、総体的な動きなどを考えあわせる必要性のある難しい課題であるが、こうした研究が、今後さらに広がることを期待したい。
 本書は、具体的な検討はもちろん、キリシタン史全体を考えるうえでも、非常に意義深い一冊である。是非、一読をおすすめしたい。
(浦井 祥子・徳川林政史研究所)


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