渡辺尚志編『藩地域の構造と変容−信濃国松代藩地域の研究』
評 者:山本 英二
掲載誌:「歴史評論」681(2007.1)


 本書は、一橋大学の大学院生を主体にして、二〇〇四年に長野県下高井郡山ノ内町において開催された、第四三回近世史サマーセミナーの報告(第二・三・五・六・七・九・一〇章)をもとに刊行された成果報告集である。また二〇〇三〜五年度科学研究費補助金基盤研究Bl「戦国末〜明治前期畿内村落の総合的研究」(研究代表者渡辺尚志)における松代藩の比較分析の研究成果の一部でもあり、以下のような一〇編の個別論文から構成されている。

 序章
 第一編 訴訟にみる藩地域の特質
  第一章 大名家文書の中の「村方」文書(渡辺尚志)
  第二章 村方騒動からみた領主と百姓(渡辺尚志)
  第三章 近世後期における領主支配と裁判(野尻泰弘)
  第四章 近世後期松代藩の村役人と処罰(重田麻紀)
  第五章 文化・文政期の松代藩と代官所役人の関係(福澤徹三)
  第六章 松代藩領下の役代と地主・村落(小酒井大悟)
  第七章 松代藩領の盲人(山田耕太)
 第二編 藩地域の多彩な展開
  第八章 元禄・享保期の家中意識(綱川歩美)
  第九章 宝暦期松代藩における学問奨励(小関悠一郎)
  第一〇章 大名家を継ぐ(佐藤宏之)
 松代藩関係文献目録

 序章(渡辺尚志執筆)によると、「藩地域を対象として、そこに生起する諸問題を総合的に扱うことは、近世社会のトータルな把握にいたる有効な方法である」と宣言されている。そしてあらゆる問題を総花的に取り上げるのではなく、核心的なテーマについて集中的に検討を加えるとし、本書では訴訟をめぐる藩当局と領民の関係性の問題を選択したという。そして具体的な藩地域として選択されたのが信濃国松代藩真田家である。
 じじつ第一編は、国文学研究資料館史料館(現アーカイブス研究系)所蔵・松代藩真田家文書に残される村方からの訴訟関係文書(願書・届書・請書)を駆使して、訴訟にみる松代藩地域の特質を問題にしている。
 第一章・渡辺論文は、松代藩という大名文書の中に、願書・届書・請書などの村方史料が残されていたことについての史料学的な考察で、本書所収の個別論文が依拠した文書群を総括した、いわば総論的解説といったものである。
 第二章・渡辺論文は、文政期に起こった水内郡南長池村の村方騒動を事例に、村落運営と藩による内済の実際を分析し、近世には領主と村との間に「暗黙的協同関係」があり、訴訟当事者間の関係修復と村方和合を最優先する考えがあったと指摘している。
 第三章・野尻論文は、天保年間の更級郡下真嶋村寅吉不法田畑譲渡一件を事例に、領主支配における内済の問題を扱っている。藩は裁判において在地の実情把握活動をおこないつつも、時には洞喝や暴力をもってのぞむなど、藩に有利な領内秩序の維持をはかったとする。それは内済を裁判体系に組み込んでいるという近世の裁判制度の構造的矛盾に原因すると指摘する。
 第四章・重田論文は、文政一三年の高井郡福島村・村山村の境目争論と差紙不出頭問題を取り上げ、裁判過程において、藩は慈悲と処罰を通じて権威の維持に腐心していること、村は村役人を中心に潤滑な村落運営を図るべく虚偽や裁判遅参・不出頭といった戦術を駆使するしたたかさを持っていたと指摘している。
 第五章・福澤論文では、文化・文政期の上徳間村用水普請出入と今里村更級左門質地作徳滞出入りを素材に、松代藩と幕府中之条陣屋役人との訴願をめぐる書状の往復の特徴を分析する。その結果、藩と幕府の役人は、「正式」な書状と「内々」の書状を巧みに使い分けながら裁量していたと述べる。
 第六章・小酒井論文は、松代藩領の村々に特徴的にみられる「役代」について検証している。「役代」とは、出作人から諸役を取り立てるさいに、設定される存在で「役代人」ともいう。役代は出作人から役籾を受け取り、出作人に代わって諸役を勤め、地主・小作関係が進展する村落において土地管理や運営を担う存在であることが明らかにされている。
 第七章・山田論文は、弘化三年埴科郡東寺尾村飴屋兵助女子一件を事例に、松代藩領における盲人とその支配構造について論及し、飴屋が下賎と見なされるがゆえに、当道座と仲間入りの許認可をめぐって争論が引き起こされた。ここでは飴屋・盲人といった周縁身分や、藩と本所といった社会集団の編成の問題が多角的に取り上げられる。
 第二編では、訴訟関係とは直接取り結ばない松代藩真田家に関する政治史や思想史に関する諸問題が取り上げられている。
 第八章・綱川論文は、元禄・享保期の松代藩の中級家臣・落合保考の著述活動を丁寧に紹介し、当該時期における松代藩士の家中意識を探る。結論として地誌編纂を通じて地域や人物の考証をおこないながら、やがてそれは真田家の歴史へと架橋され、家中意識が培われ、共有されてくると結論する。
 第九章・小関論文では、宝暦期に菊池南陽・小松成章によって主導された松代藩の学問奨励の実際を論じ、当時松代藩で進行していた恩田杢の藩政改革との関係に着目している。その結果、従来あまり知られていなかった菊池・小松といった藩学興隆を担った学者の有り様が、具体的に明らかにされている。
 第一〇章・佐藤論文では、慶応二年一〇代藩主真田幸民の養子相続を事例に、松代藩の家中騒動との関係を分析する。特に同姓養子を原則としつつも、現実には他姓養子を選定せざるを得なかったときの家中の軋轢、対幕府や大名間の養子選定をめぐる交渉過程が詳細に論じられる。幕末期には藩主は藩政担当能力もさることながら、ひとつの「機関」として定置されていたことが指摘される。
 また巻末には、戦前から戦後にいたる松代藩に関する書籍・論文・古文書目録・報告書・自治体史誌類が網羅されていて、便利なものとなっている。

 一読してまず感じたことは、サマーセミナーのための報告の準備から成果の刊行までわずか二年、しかも通常、サマーセミナーの準備は前年度の夏から一年間を要し、さらに出版には入稿から校了まで約半年かかるから、実際はほぼ一年足らずで総頁数三八〇頁に及ぶ大著を刊行したことになる。これは驚異的なことである。このような作業が可能だったのは、編者の卓抜したプロモーション能力と個々の執筆者の力量の高さに支えられたものであることはいうまでもない。
 それにもまして、その背景には、国文学資料館史料館に松代藩真田家文書が架蔵され、詳細な古文書日録が整備され、常時閲覧できる環境があったからと考えられる。またとかく共同研究が陥りがちな最低限のノルマを果たすことで良しとするような姿勢がないことに好感が持てる。おそらく大学院生が主体的に取り組んでいることが前述のような落とし穴に陥らなかった要因であろう。
 近年、岡山藩や尾張藩に代表されるように藩地域・藩世界の研究に関心が集まっている。また戦後には米沢藩などのように先駆的な藩政史研究も多々あるが、やはり一国規模の国持大名クラスの方が藩研究は進めやすかったせいか、松代藩のようなどちらかといえば規模の大きくない個別藩研究は多くはなかった。この点でも本書は貴重である。
 また本書が他の藩研究と異なる特徴は、いわゆる政治史的な手法を基本にするのではなく、むしろ村方関係史料にこだわって藩世界論を展開しているところである。それは十本の論考のうち、政治史はわずかに一本に過ぎず、反対に地域史が七本、思想史が二本と論文数が逆転していることからもわかる。これは編者の渡辺氏が、一貫して進めてきた地域民衆の視点から研究するという地域社会研究の立場によることが大きい。これもまた本書のメリットである。
 しかし上述の長所は、同時に本書の課題を示すものでもあると感じられた。松代藩が領地を持つ地域は、信濃国の北部にあたり「北信」と通称される地域である。郡域でいえば、高井・水内・更級・埴科の四郡に相当する。戦国末からは広義の「川中島」と呼ばれて四郡一体の地域として領主から認識されている。北信地域には、一八世紀以降松代藩をはじめとして、飯山・須坂藩、越後国椎谷藩飛地、上田藩塩崎知行所の藩領、信州中野・中之条陣屋支配の幕府直轄領、さらに善光寺・戸隠神社などの寺社領が複雑に入り組んで設定されている。また市場圏としても善光寺を中核にして、松代・須坂・飯山の城下町と中野・中之条といった陣屋元に個別市場が形成されている。こうした地域の個性と本書の藩世界とが相互にどのように関連しているのか、それとも無関係なのか、本書からはよくわからなかった。おそらく松代藩真田家文書という恵まれた史料群が、こうした問題関心を希薄にさせているのではないだろうか。
 それにくわえて藩政史料に残存する村方史料を使用することが、緻密な研究分析を可能にしたであろうことは個々の論文から十二分にうかがえる。だが、それが現地で保存されている村役人文書や共有文書を使用した場合とどのように違ってくるのかをもう少し知りたい。たとえば松代藩内部でやりとりされた文書には「附札」による意見交換や文書の流通ルートのわかるものがある(一・二・五章)が、「附札」の機能には全く論及がない。はたして松代藩の「附札」は、幕府のものと同じなのだろうか。史料学的な分析がおこなわれていれば、さらに本書の説得力は高くなったはずである。
 それに短期間で執筆されたという性質上やむを得ない事柄であるが、フィールドワークをおこなえば、さらによかったのではないかと思えた。もちろん七章の山田論文のように国文学研究資料館史料館とフィールドワークを完備したものもある(おそらく修士論文もしくは卒業論文をベースとするのだと忖度される)が、ほとんどが史料館の史料にのみ依拠した論文である。リアリティのある論文を書くためにも、また史料だけからはわからない文書の行間や背景を知るためにも、この点はおろそかにしてほしくない。
 たとえば七章の山田論文には、松代藩の飴屋は越後国高田から製法が伝わったと指摘がある。北信地域は、塩や米の物流、被差別民の太鼓修復など高田との密接な関係が確認できる。これは北信地域を貫流する千曲川が、信越国境の東大滝断層のために水運の手段として有効に機能し得なかったため、北国街道を通じて高田方面との関係が強い地域的規定性ゆえである。やはり地域の個性を知ることなしに地域は語れないと思う。
 考えてみれば、現在の近世史研究は、史料学の確立に伴うアーカイブスの充実により、精緻な歴史分析を早期に実現できる研究環境を手に入れている。かつてのように農繁期を避けながら個人の調査宅で所蔵者と接しつつ、目録編成から全ての作業を現地でするという調査スタイルは姿を消しつつある。これも時代の趨勢であろう。

 さて、どうしてもイメージがわかなかったのは、本書のタイトルにある「構造と変容」である。このうち「構造」というのは、個々の質の高い論文を通読することで容易に知ることができたが、「変容」については正直よくわからなかった。何がどのように「変容」したのかが見えてこないのである。たとえば訴訟における「暗黙的協同関係」とか内済の「構造的矛盾」といわれても、それが近世の裁判制度の構造的なものなのか、それとも一八〜一九世紀の政治社会固有の問題なのかが知りたかった。おそらく「変容」というのは、「変質」という言葉を言い換えて用いるに過ぎないのではないだろうか。質の変化を考えれば、それは近世だけで自己完結しなくなるからであろう。そう考えると、本書で取り上げられている時代は、早くて元禄・享保、おそくても一九世紀前半に集中しており、幕藩制の成立期や解体期には関わっていない。だからといって「構造」だけでは制度史や個別実証研究との差別化が難しくなる。
 具体例を示すと、内済を問題にするのであれば、中世の中人制や「近所の儀」との関係、あるいは近代の勧解との相違如何、といった日本人の権利意識の歴史的規定性そのものに踏み込んだ積極的な発言がほしいと思う。やはり「変容」ではなく「変質」を知りたいのである。
 とはいうものの、あとがきによれば、本書は現在も継続する松代藩を事例とする藩地域に関する共同研究の第一歩だという。おそらく今後矢継ぎ早に第二、第三の成果が刊行されるのであろう。遠からずその成果に触れることができるであろうことを楽しみにして擱筆したい。
(やまもと えいじ)


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