久保貴子著 『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』
評者・田中暁龍 掲載紙(歴史学研究 726 99.8 )

本書は,「あとがき」にも記されているように,1985 年から1994 年までの10 年間,著者が取り組んできた近世朝廷に関する研究成果をまとめた論文集である(終章「近世朝廷の形成と変容」は新稿)。近世の朝廷そのものに真正面から取り組み,一書として刊行されたことに,評者はこの上ない喜びを感じている。そして,近年の朝幕関係史研究において,その活動の最先端に位置し,このような重厚な研究書として纏められた著者に,評者はまず改めて深い敬意を表したいと思う。
本書は,以下のような章別構成をとっている。
(目次省略)
序章は,近世の朝幕関係に関する研究史の整理であり,同時に本書全体の問題意識を明記し箇所である。序章第一節では,三上参次氏の『尊皇論発連史』(富山房,1941 年)第一編「皇室と江戸幕府」を取り上げて,戦前の研究史動向を検討している。そこでは,朝幕間におきた事件に関して豊富な史料をもとに分析を行っているとして評価する一方,朝廷統制の法制の分析の不十分さや,幕府機構を含めた財政機構・制度や,朝廷財政の把握の必要性などが指摘されている。そして第二節で「戦後の研究動向」を取り上げ,近年の方法論に関して,研究の対象を江戸時代中・後期にも広げようとする動きや近世の朝廷・公家などに関する実証研究の充実を指摘し,本書もその方法の有効性を認め,その流れ沿った研究として位置づけている。
第三節では,(近世朝廷の)「機構」「制度」や「家職」といった近年の研究動向について言及し,本書が,近世朝廷の運営を検討し,朝廷の変容の実態を明らかにすること,公儀の一構成要素となった朝廷の位置の変化を改元を通じて検証することなどを,その課題の中心とすることを述べている。
近年の朝幕関係史研究の動向と,それに対する本書の問題意識,すなわち従来,幕府の視点でしか述べられてこなかった近世朝幕関係史研究の克服という課題は,評者も十分に共感でき,こうした部分の研究を蓄積していくことが急務である。しかし,三上氏の研究に関して,評者は,もう少し別な観点でその枠組を問い直さねばならないのではないかと考えている。すでに山口和夫「近世天皇・朝廷研究の軌跡と課題」(『講座・前近代の天皇』第5 巻,青木書店,1995 年)が指摘しているが,三上氏の研究の枠組は,「近世社会における尊王思想の発展」系列であり,「人物史・事件史に傾斜し,構造的理解の視点に欠けた」研究ではないだろうか。すなわち,近世朝廷像を究明する上で,三上氏の枠組を克服する実証研究が必要である。また,三上氏の,いわゆる武断から文治への政治史観からとらえた朝幕関係史をいかに克服するか,という視点も重要ではないかと考えている(高埜利彦「一八世紀前半の日本」『岩波講座日本通史近世3 』岩波書店,1994 年,が同様な指摘を行っている)。このように,三上氏の尊皇論発達史研究に関しては,氏の歴史観にとらわれない分析の枠組を構築することが重要であり,その実証研究が必要であると考えている。
第一章から第五章にかけては,従来とはやや異なる朝幕関係像を構築したいとの問題意識から,従来,朝廷のありようを一枚岩のものとしてとらえていた動向に対して,朝廷の内情を多角的にとらえ,諸勢力の対立を内包する朝廷と幕府との関係を絡めて解明することを意図している。近世の初頭から後期までを,そうした分析視角からていねいにとらえた実証研究としては画期的なものであり,広範囲にわたる史料収集の成果が十分発揮されている。
第一章では,慶艮期から承応期における朝廷の内情を.幕府との関係を絡めて解明しようというもので,女院制度という研究史の少ない部分に光をあて,その朝廷運営のあり方を明らかにしている点が注目される。ただ,摂家の指導力の低さが指摘されているが,当時の武家伝奏が朝廷運営においてどのように機能していたかという点にも,言及してほしかった。蛇足ではあるが,高貴宮を皇継者に選ぶ理由について,著者は「将来が白紙の状態であったということが,皇位継承者として最適と判断された最大の理由ではないだろうか」(52 頁)と述べているが,ここはもう少し説明がほしい。また,後西天皇と伊達家との関係について言及している箇所があったが,この点は史料的に検証できれば大変興味深い論点である。
第二章では,寛文期から貞享期の朝幕関係について分析しているが,著者は,当該期について,従来の研究では安定した状態と考えられ,研究がなおざりになっていたという指摘を行っている。この点は,評者も同感であり,この時期の研究蓄積を得ることが,先の三上氏の史観を克服する一つのポイントではないかと考える。第二章の内容についてみてみると,天和元(1681 )年の小倉事件,同2 年の一条兼輝の越官問題,貞享4 (1687 )年の霊元天皇の譲位といった,三上氏の分析した諸事件について,朝廷内の動向を詳細に再検討し,朝廷内の霊元天皇と近衛基煕の確執を中心に明らかにしている。そして第三章では,元禄期の朝廷運営を検討し,霊元上皇と近衛基煕らの確執や関白,武家伝奏,議奏らの任免の経緯を分析している。
そして第四章は,正徳〜宝永期を分析したもので,朝廷運営がやはり霊元上皇方と近衛基煕方との力関係に左右されていたことを明らかにしている。そこでは,正徳2 (1712 )年頃まで近衛基興・家煕父子優位で朝廷運営がなされていたが,その後,第二次「院政」を敷く霊元上皇の意向も反映し始めたと述べている。
こうした朝廷内の諸勢力の分析は,従来の研究の中では見過ごされてきた箇所であり,朝廷そのものを構造的に理解する上でたいへん重要な研究成果である。ただ,朝廷分析に比重がおかれている分,どうしても幕府側の意図や介入のあり方が不鮮明となってはいないだろうか。
また,第二章を通じて,霊元天皇が自己を中心とした「朝廷の再編成」をめざしていたということが強調されているが,このことについては,江戸幕府の対朝廷政策に関する部分の検討をもう少し加えて述べられた方が良いのではないかと考える。後者の点は,第三章でも同様なことがいえる。元禄5 (1692 )年時の千種有維の辞任に伴う武家伝奏の人事の件で,著者は「東山天皇が,武家伝奏の選出は朝廷が行うべきではないかとの考えを示した点は注目すべきであろう」との指摘を行っている。そして,「こうした考え方が朝廷内に生じたことは,その後の朝廷の武家伝奏の選任方法の変化を促進する力となった」(149 頁)との評価を加えているが,この点は注意を要すると考える。著者も触れてはいるが,この部分の東山天皇の主張は,霊元上皇の意志が反映しているものと考えられ,その点では,武家伝奏の選任権が幕府から朝廷に移っていくことを過度に強調することは,当該期の朝幕関係を見えにくいものとすると考えられる。現実には幕府の承認を必要とし,武家伝奏の任免の最終的な権限は,やはり幕府がにぎっていたことは確認しておかなければならない。というのも,このことをあえて述べるのは,綱吉政権期の朝幕関係史のあり方に関わる問題だからである。戦前期の朝幕関係史研究の中では,武断政治から文治政治への移行と相挨って,綱吉の時代には,「網吉の勤王」が強調されてきた。その枠組の中で,朝儀の復興などと併せて,右の点をあまり強調しすぎると,結果として,戦前の尊皇論発達史の枠組を克服できないのではないだろうか。
第四章における考察内容の画期的な点は,東山上皇死後の,霊元法皇の「第二次『院政』に着目した点である。この点については,従来あまり言及されてこなかった部分であり,法皇のは画期的なものであり,広範囲にわたる史料収集の成果が十分発揮されている。
第一章では,慶艮期から承応期における朝廷の内情を.幕府との関係を絡めて解明しようというもので,女院制度という研究史の少ない部分に光をあて,その朝廷運営のあり方を明らかにしている点が注目される。ただ,摂家の指導力の低さが指摘されているが,当時の武家伝奏が朝廷運営においてどのように機能していたかという点にも,言及してほしかった。蛇足ではあるが,高貴宮を皇継者に選ぶ理由について,著者は「将来が白紙の状態であったということが,皇位継承者として最適と判断された最大の理由ではないだろうか」(52 頁)と述べているが,ここはもう少し説明がほしい。また,後西天皇と伊達家との関係について言及している箇所があったが,この点は史料的に検証できれば大変興味深い論点である。
第二章では,寛文期から貞享期の朝幕関係について分析しているが,著者は,当該期について,従来の研究では安定した状態と考えられ,研究がなおざりになっていたという指摘を行っている。この点は,評者も同感であり,この時期の研究蓄積を得ることが,先の三上氏の史観を克服する一つのポイントではないかと考える。第二章の内容についてみてみると,天和元(1681 )年の小倉事件,同2 年の一条兼輝の越官問題,貞享4 (1687 )年の霊元天皇の譲位といった,三上氏の分析した諸事件について,朝廷内の動向を詳細に再検討し,朝廷内の霊元天皇と近衛基煕の確執を中心に明らかにしている。そして第三章では,元禄期の朝廷運営を検討し,霊元上皇と近衛基煕らの確執や関白,武家伝奏,議奏らの任免の経緯を分析している。
そして第四章は,正徳〜宝永期を分析したもので,朝廷運営がやはり霊元上皇方と近衛基煕方との力関係に左右されていたことを明らかにしている。そこでは,正徳2 (1712 )年頃まで近衛基興・家煕父子優位で朝廷運営がなされていたが,その後,第二次「院政」を敷く霊元上皇の意向も反映し始めたと述べている。
こうした朝廷内の諸勢力の分析は,従来の研究の中では見過ごされてきた箇所であり,朝廷そのものを構造的に理解する上でたいへん重要な研究成果である。ただ,朝廷分析に比重がおかれている分,どうしても幕府側の意図や介入のあり方が不鮮明となってはいないだろうか。
また,第二章を通じて,霊元天皇が自己を中心とした「朝廷の再編成」をめざしていたということが強調されているが,このことについては,江戸幕府の対朝廷政策に関する部分の検討をもう少し加えて述べられた方が良いのではないかと考える。後者の点は,第三章でも同様なことがいえる。元禄5 (1692 )年時の千種有維の辞任に伴う武家伝奏の人事の件で,著者は「東山天皇が,武家伝奏の選出は朝廷が行うべきではないかとの考えを示した点は注目すべきであろう」との指摘を行っている。そして,「こうした考え方が朝廷内に生じたことは,その後の朝廷の武家伝奏の選任方法の変化を促進する力となった」(149 頁)との評価を加えているが,この点は注意を要すると考える。著者も触れてはいるが,この部分の東山天皇の主張は,霊元上皇の意志が反映しているものと考えられ,その点では,武家伝奏の選任権が幕府から朝廷に移っていくことを過度に強調することは,当該期の朝幕関係を見えにくいものとすると考えられる。現実には幕府の承認を必要とし,武家伝奏の任免の最終的な権限は,やはり幕府がにぎっていたことは確認しておかなければならない。というのも,このことをあえて述べるのは,綱吉政権期の朝幕関係史のあり方に関わる問題だからである。戦前期の朝幕関係史研究の中では,武断政治から文治政治への移行と相挨って,綱吉の時代には,「網吉の勤王」が強調されてきた。その枠組の中で,朝儀の復興などと併せて,右の点をあまり強調しすぎると,結果として,戦前の尊皇論発達史の枠組を克服できないのではないだろうか。
第四章における考察内容の画期的な点は,東山上皇死後の,霊元法皇の「第二次『院政』に着目した点である。この点については,従来あまり言及されてこなかった部分であり,法皇の詳細へ元の発議権はあくまで朝廷にあると認識し,改元における幕府の主導権が享保までのそれより後退しているという指摘は,たいへん興味深い。このことは,朝幕関係史の流れの変化とあわせて,どのように考えたら良いか,ぜひ検討を要する点ではないだろうか。ただ,著者も今後の課題と記していたが,江戸幕府の改元に関わる意図については,なお不明な点も多いので,今後の研究の深化に期待したい。
終章は,著者の近世朝廷の全体像とその変容のあり方に関する,いわば本書全体のまとめの部分である。そこでは,近世初期において,摂家衆が指導力を発揮しえなかった最大の原因が天皇との遊離期問の長さにあったとしている。そして,秀吉・家康の政策を通じて,天皇と摂家との関係が復活し,摂家を核とした公家社会の秩序化が促され,その下で朝廷運営が展開していったと説いている。初期に成立したこの秩序は,のちの朝廷運営における天皇(または上皇)と摂家の確執を内包し,相互に幕府との関わりをもちながら,朝廷繁栄を目指したことを展望している。さらに,近世後期においては,朝廷運営をめぐる「公家衆の意識改革」が進み,ここに朝廷の変容までを見通しているのである。
最後に,全体を通じて一言付しておきたい。本書の分析の中心が,あくまでも近世の朝廷運営にあるので,やや的はずれな意見ともなるが,朝廷運営のあり方や,運営の内容の中に,やはりもう少し江戸幕府の存在を浮き彫りにすることや,他の諸身分とのかかわりを考慮した研究が必要である。そして,著者が序章の課題として取り上げた,三上氏の研究を克服するためには,人物や事件の史実を深めるだけではなく,新たな視角から考察を進める必要もあるのではないだろうか。「朝廷復古」の機運がどのように継承・発展したかという考察の観点からも,やや距離をおいた研究姿勢も必要と考えている。拙稿「近世朝幕関係史の一視点-寛文〜元禄期の公家処罰を中心に-」(『人民の歴史学』130 号,1996 年)は,公家の処罰動向に着目して考察を加え,寛文期から元禄期の朝幕関係史を再構成しようとした,ささやかな試みである。加えて,著者が指摘する「(江戸後期の)朝廷の変容」という問題については,享保期以降の朝廷の実態をもう少していねいに追求し,多様な視角から検討し,豊富な研究蓄積を得る必要がある。その点で,本書は重要かつ多くの論点を提起してくれている。
以上,評者の力不足から,本書の内容を十分に理解し,それに対する書評ができたかはあまりにも心許ない。いずれにせよ,本書が近世の朝廷または朝幕関係の先駆的研究として位置づき,大きな研究成果を提供してくれたことは間違いない。これを基礎に,多くの研究者がこの課題に取り組み,豊富な実証研究が生み出されることを期待して,筆を置くこととしたい。
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