桐生文化史談会編『桐生佐野氏と戦国社会』
評 者:秋山 正典
掲載誌:「群馬文化」292(2007.10)


 本書は、桐生文化史談会・桐生市教育委員会主催で平成十七年十二月三日に行われた第三回歴史シンポジウム「中世桐生の風景を往く−佐野大炊助助綱の道−」の成果論集としてまとめられたものである。
 このシンポジウムは、同会の七〇周年記念事業の一環であるとともに、『新編桐生市史』の編纂の凍結と、資料の散逸という危機感から、世論喚起のために行われた。
 これまで中世の桐生は、初代桐生国綱以来「桐生氏」が統治し、戦国時代に最盛期を迎え、由良成繁に滅ぼされた、というのが通説であった。
 本書では近世に成立したと思われる軍記物に依拠し、構築された「桐生氏」像から脱却し、文書などの一次史料を用い、政治史、経済・産業史、考古学などあらゆる角度から精査な考証をし、新たな「桐生佐野氏」像として、中世の桐生を再構築している。
 本書の構成は以下の通りである。

 はじめに
中世桐生郷と桐生佐野氏の成立の背景   久保田順一
桐生佐野氏の展開 黒田 基樹
戦国期桐生領の林産資源と生業 簗瀬 大輔
桐生川内町周辺の城砦 飯森 康広
桐生城周辺を歩く  飯森 康広
桐生佐野氏に関わる研究史とその史料紹介 須藤  聡
第三回歴史シンポジウム
 「中世桐生の風景を往く」の記録    巻島  隆
 年表 中世の桐生
 おわりに

 久保田論文では中世桐生郷の所領としての性格や桐生氏の実像を探ることにより、桐生佐野氏の入部の背景と条件などを考察している。桐生氏は白旗一揆の構成要員であったが、享徳の乱以降古河公方と関わりの深い佐野氏が桐生に入部した際、桐生氏は佐野氏に従ったとしている。
 久保田論文を受けて黒田論文では、桐生佐野氏の系譜により佐野氏の歴代当主を紹介し、入部から没落までの桐生における展開を考証している。
 簗瀬論文では戦国期における桐生地域の生業の歴史性について、上州の政治動向をふまえながら、基調景観である山林の利用状況という観点から考察している。また炭焼・養蚕など近世桐生の複合的な産業形態の前提が、この時代すでに芽生えていたとも指摘されている。
 飯森論文では、各城砦を考古学的な見解も交え、複数の城郭により総合的な「地域城」として仁田山地域を位置づけ、また文献資料を駆使して天正期の攻防戦について考証している。
 須藤論文では、これまでの桐生氏の研究史のまとめと史料紹介がなされている。
 最後に巻島氏によりシンポジウムにいたるまでの経過と報告についての記録がまとめられている。


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