藤原喜美子著『オニを迎え祭る人びと−民俗芸能とムラ−』
評 者:今井 登子
掲載誌:「御影史学論集」32(2007.12)


 このたび、藤原喜美子氏が御影史学研究会 民俗学叢書17で「オニを迎え祭る人びと−民俗芸能とムラ−』を上梓された。著者は、播磨で生まれ育ちオニとの始めての出会いは、郷里、三木市口吉川町にある蓮花寺においてであった。今も毎年二月第一日曜日におこなわれている節分会の追儺式の場である。三木市では外に、金剛寺、大宮八幡神社を加えて三ヶ所で行なわれている(当書、第一章第一節「踊る子鬼とその意味」)という。
 本書の構成は、

はしがき 
第一章 播磨の鬼追い
 第一節 踊る子鬼とその意味
 第二節 神積寺の鬼追式に現れる山の神と田原の文殊
 第三節 播磨のオニと山
第二章 オニを迎える村
 第一節 鬼踊りにオニの果たす役割−赤鬼の伝承と鬼田−
 第二節 毘沙門天と藤田氏−兵庫県美嚢郡吉川町を中心に− 
第三章 オニを祭る人々 
 第一節 鬼踊りと修験−播磨の蓮花寺を中心に−
 第二節 蓮花寺の護法−蓮生・華童とその意味−
 第三節 国東半島の修正鬼会
 第四節 大分県宇佐市・鷹栖観音の鬼会 
第四章 播磨とオニ 
 第一節 鬼追いの由来−書写山円教寺の鬼追い会式を支えたひと−
 第二節 英賀西村の書写の餅
 第三節 魚吹八幡の鬼追い 
あとがき

である。
 あとがきによれば、本書の内容は第四章第三節の書き下ろしの稿を除いては、著者の所属している、神戸女子大学民俗学研究会、御影史学研究会、園田学園女子大学、日本山岳修験学会、園田学園女子大学歴史民俗学会、日本民俗学会等での発表論文等を初出として、全面的にあるいは大幅に修正を加えたものである。
 本書は一口で言えば、播磨社寺の祭日に出没するオニとそれを迎える播磨人の心意気である。大国播磨はオニどころである。大方の播磨人は物心つくかつかぬうちから各地で出没するオニと対面して共に交わり、それぞれに独自の受け止め方をしてきた。当書に現れるオニの出自が播磨でもとくに中播磨(姫路市・福崎町等)と北播磨(三木市等)に集中していることも興味深い。播磨では両地区のオニが特出していることも事実である。分量でいえば本文二二二ページの内約半分が中播磨、次いで約三分の一強が北播磨で、残りがその他の地区となっている。
 次に、著者は大鬼(親鬼)とともに現れる子鬼(第一章第一節)、山の神(第一章第二節)、空鬼(第一章第三節)への目配りも怠らない。さらに鬼を導いて現れる法道仙人(氷上郡山南町・常勝寺)、住吉明神(加東郡社町・朝光寺)の存在。そして大鬼を毘沙門天・不動明王の化身とする寺院(姫路市の随願寺・円教寺・八葉寺)、愛染明王の化身とする寺院(三木市の蓮花寺)、さらに中播磨、福崎町の神積寺では大鬼(親鬼)と共に現れる山の神が本尊・薬師如来の化身であり、大鬼の化身が脇侍である文殊菩薩と毘沙門天であることにも追求の眼を向けて本書の内容をより深める所以となっている。

 当初に述べたとおり、著者のオニとの出会いは、幼児体験においてであり、まさに著者の原風景そのものだった。恩師・田中久夫先生をはじめ著者を見守り、ともに研究を続けた多くの先輩諸氏や同輩の助言は、著者の今日までの研究に何よりの指針となり、研究者としてまことに恵まれた環境であることは著者も認めているところ(本書、あとがき)、だが、物心つくかつかぬうちの、すでに血となり肉となって、著者の心底深く沈着している体験を土壌にして、生涯の研究テーマを見つけられたのはまことに幸運な選択であった。読者は、著者の郷里に対するなつかしさと愛情を行間の随所に認めることになろう。著者は本書末尾の履歴でもわかるとおり、新進気鋭の研究者であり、今後の研究生活に幾重にも期待の持てる身であるが、あえてこの時期にいっとき足をとめて呼吸をととのえ、是までの研究、とくに播磨のオニを纏めて世に問う姿勢は、著者はもとより多くの研究仲間や世の若き研究者のはげみとなること必定である。著者の胸中には播磨のオニについての第二弾、第三弾の構想が練られていることと期待し、待ちのぞむところである。また同じ播磨を研究テーマとする研究者は当書を紐解くとき、すぐさま知らされることになる。すなわち、「播磨学」理解の指標として、その位置を占める貴重な一冊であることを。


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