小林茂文著『天皇制創出期のイデオロギー −女帝物語論−』
評 者:古谷紋子
掲載誌:「地方史研究」330(2007.12)


 本書は、日本独自の古代天皇制について、物語論を基軸とした論考をまとめたものである。序章「歴史叙述と事実の審判−物語論による歴史の実践−」によれば、歴史解釈の結果導き出された事実は史料解釈の選択による表象であり、実存も実証も困難であることから物語論による歴史を叙述するとする。著者によれば、物語論は文脈に寄り添った読みによりその矛盾や綻び、隙間に正史が隠蔽した歴史を読み込むことにより、消滅・忘却した歴史を取り戻すものであるという。以下、各部・章ごとの内容を紹介することにする。

 第T部「天皇制イデオロギーの創出」
 第一章「郊外の誕生と王権祭祀−宮の大王、京の天皇−」では、都市の成立にみられる天皇権力の変容を祈雨祭祀を中心に検討し、宮と京における境界祭祀の変遷を探る。そして都城制以後の祈雨は、特定神社に固定化し民衆の参加もなくなるものの、「実修の空間」は拡大し、とくに藤原京における吉野の果たす意義は大きいとする。
 第二章「吉野行幸と大地の記憶−行幸による王権支配−」では、古代国家形成期における行幸にともなう地名が表象する世界を分析対象とし、地名を利用した大地の記憶が喚起する国土支配をめぐる王権による「想像の共同体」形成について論じたものである。吉野は、持統太上天皇が吉野行幸を行なうことで神仙境として復権を果たしたとする。
 第三章「天と日と地の相克−天皇制神話物語の成立−」は古代天皇制成立期における天皇制イデオロギーの実態を解明するため、記紀神話および『万葉集』、仏教を検討したうえで天皇制の正統性を主張するための神話の更新による神話化が絶えず続けられたとする。

 第U部「即位イデオロギーの変容」
 第一章「持続天皇称制物語−女帝をめぐる言説−」では、「天武の残した仕事を継承して律令国家を完成させた女帝像」を持たされる持統天皇の即日称制はなかったとし、■[盧+鳥]野皇后の輔政は天武天皇病気下での特殊事情であって、そこからは大后制の権能を導き出せないとする。補論「文武天皇即位事情」も含む。
 第二章「遺詔と皇嗣決定−七世紀の天皇−」では、遺詔の存否に関わらず遺詔が受容され皇位が決定したことを踏まえ、天皇制イデオロギーの変遷を検討したものである。
 第三章「宣命にみる即位イデオロギーの変容−八世紀前半の天皇制−」では元明・元正・聖武天皇の即位宣命を検討し、即位の正統性を主張するための独自の神話から次第に日嗣思想が後退していく理由は聖武が皇族ではない藤原氏を母に持つためとする。
 第四章「孝謙太上天皇の権力」では、孝謙天皇の即位宣命に皇位継承の論理を支える日嗣思想はなかったことを受け、仏教思想が即位の正統性を支える論理に置き扱えられたという天皇制イデオロギーの変質を述べたものである。さらに孝謙太上天皇の出家は、皇位継承を管掌する後見者という権能を獲得するためであるとする。
 第五章「道鏡即位物語と天皇制の変容−正義は我にあり−」では仏教思想に裏付けられた道鏡の即位の可能性を述べたものである。女帝論については中継ぎとして即位し、譲位後は太上天皇として天皇家の安定・維持のために天皇を後見し、尊長的役割を果たすことを期待された存在であったとし、称徳天皇は重祚後この権能を活用、皇位決定に群臣の介入を排除したためにそれ以後の女帝が終焉したとする。

 本書は史料を無視した立論と部分的利用を嫌い、文脈にそった解釈による立論を試みた書物であると評価することができる。


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