佐藤博信著『中世東国足利・北条氏の研究』
評 者:和氣 俊行
掲載誌:「日本歴史」714(2007.11)


 本書の著者は、中世後期東国史研究の第一人者であり、これまで数多くの著書を世に出されてきた。
 最近では、特に『戦国遺文 古河公方編』(東京堂出版、二〇〇六年)を上梓したことは特筆すべきであろう。同史料集の刊行は、今後の中世後期東国史研究、および関東足利氏研究の飛躍的発展を約束するものであり、偉大な業績であることは言うまでもない。
 さて、本書は最近出された著書のうちの一冊であり、著者が主として一九七〇年代に発表した論文により構成された論集である。
 次に本書の構成を示そう。

 第一部 関東足利氏の世界
  第一章 『殿中以下年中行事』に関する一考察
  第二章 足利成氏とその文書
  第三章 足利政氏とその文書
  第四章 足利義氏とその文書
  第五章 都鄙和睦の成立と両上杉氏の抗争
  第六章 大森氏とその時代
  補論一 畠山持国と岩松持国
  補論二 享徳の大乱の勃発をめぐって
  補論三 「正木文書」補説
  補論四 一通の感状の歴史−『吉良氏の研究』によせて−
 第二部 後北条氏の世界
  第七章 虎印判状初見文書について
  第八章 北条為昌と北条綱成−玉縄城主論の深化のために−
  第九章 玉縄北条氏の研究−『玉縄北条氏文書集』補遺−
  第十章 後北条氏被官後藤氏について
  第十一章 二階堂氏と懐島・大井庄
  補論五 北条氏照文書の再検討−氏照研究のために−
  補論六 狩野一庵宗円のこと
  補論七 玉縄城主北条氏舜考
  付 論 上正寺所蔵の中世史料について−長慶天皇綸旨二通の紹介を中心に−
  あとがき
  成稿一覧
  索引

 本書は二部で構成されており、第一部は関東足利氏関連、特に古河公方関連の論稿を中心に、第二部は戦国大名後北条氏関連、なかでも玉縄北条氏関連の論稿が中心となっている。以下、内容について概観してみよう。

 第一章は関東府の故実書である『殿中以下年中行事』を、政治史叙述の対象として内容分析を行ったものである。
 第二章は、古河公方初代足利成氏に関する基礎的事実の抽出・検討を行い、加えてその発給文書の特徴について述べたものである。これに続く第三章は二代公方政氏について、第四章は五代公方義氏について同様の作業を行ったものである。
 これらの各章には、そのベースとなった史料集が存在しており、それらは著者が後北条氏研究会(後の戦国史研究会)時代に手がけた『足利成氏文書集』(後北条氏研究会、一九七六年)、『足利政氏文書集』(同上、一九七三年)、『足利高基・晴氏文書集』(同上、一九七七年)、『足利義氏文書集』(同上、一九七四年)である。なお、各章ごとの追記にあるごとく、第二〜四章で検討された諸問題は、後日、著者自身により発展的に継承された論稿が世に出されており、それらもあわせて参照する必要があろう。
 第五章は享徳の乱を終結させた都鄙和睦の成立から、山内・扇谷両上杉氏による長享の乱の勃発・終結に至るまでの、主として武蔵・相模両国における政治動向を中心に叙述したものである。
 第六章は、南北朝期に勃興し、室町・戦国期にかけて、駿河・相模両国国境地帯に一大勢力を築いた大森氏の歴史経過を叙述したものである。第五・六章は、ともに自治体史の通史編を構成していたものであるが、その学問的価値は現在においてもなお極めて高いものである。
 このほか、畠山持国と岩松持国という、同時代に同名の人物が存在した場合の文書発給者比定の事例(補論一)、『康富記』にみえる、享徳の乱勃発時の記述を補強する史料の発掘・紹介(補論二)、「正木文書」についての新知見(補論三)、一通の某感状の発給者を足利義氏に断定(補論四)するなどの短編を収載する。

 次に第二部の各章をみていこう。
 第七章は後北条氏の虎朱印による印判状(虎印判状)の初見文書を、永正一五年(一五一八)一〇月八日付虎印判状(伊豆「大川文書」、氏綱が発給主体)と断定したもの。
 第八・九章および補論七は、後北条氏の家臣筋であるが、北条名字を許され一門同様に遇された玉縄北条氏についての基礎的考察である。ここにまとめて紹介しよう。
 第八章は、二代為昌と、福島氏の出自とされる三代綱成との関係について論じたもの。為昌存命時には、両者は城主と城代という上下関係にあったという。
 第九章は、著者による『相州玉縄城主玉縄北条氏文書集』(後北条氏研究会、一九七三年)編集後に発見された未採文書を紹介し、玉縄北条氏に関する基礎的事項について若干の新知見を加えている。なお、本章の末尾には同史料集の目録が収載されている。補論七は玉縄北条氏の歴代に、新たに氏舜の存在を見出したものである。
 第十章は後北条氏被官後藤氏についての基礎的研究。鎌倉都市民であり仏師としての側面をも持ちつつ、鎌倉奉行・小代官でもあった後北条氏の一被宮後藤氏の実態を解明する。
 第十一章は、鎌倉期以来の文官の家柄である二階堂氏の在地領主としての側面について、同氏の所領であった相模国懐島郷と同国大井庄を素材として、主に伝領関係の復元を中心に検討したもの。特に大井庄を有した系統は、篠窪氏を称して戦国末期を経て近世まで存続したという。
 このほか、第二部には、北条氏照の名乗りに注目して(「大石」から「北条」へ)、発給文書の年代比定を再考したもの(補論五)、氏照奉行人の筆頭狩野一庵宗円の前身を、御馬廻衆で本城主の奉行人・評定衆を務めた狩野泰光に比定(補論六)するなどの短編も収載する。
 なお、最後に付論として、神奈川県茅ヶ崎市内に現存する龍沢山上正寺(浄土真宗)所蔵の長慶天皇綸旨二通を紹介し、内容・形式について検討を加えて、二通とも正文と断じた論稿が配される。

 以上、内容についてみてきたが、著者が「あとがき」に示しているごとく、本書収載論稿には、確かに「すでに学問的評価が定まったもの」が多いのは事実である。しかしそれらの多くは、綿密な史料収集・検討という基礎的作業に基づいて執筆されたものであり、その学問的価値はいまだ色褪せてはいない。評者には、本書収載の各論すべてが、文献史学的歴史研究の本来的な在り方はこうあるべきであると、評者をはじめとする読者すべてに問いかけているような気がしてならない。
 最後に、本書の特徴について触れてみたい。本書の特徴は、その表題と構成とに最も明瞭に現れていると思われる。それは、表題に「中世東国」を冠したうえで「足利氏(関東足利氏)」と「北条氏(後北条氏)」とが並置され、また、二部構成で両者の歴史についての論稿が配置されていることに示されている(さらに付論は南北朝期に関しての論稿であり、著者の研究対象の広さには感嘆せざるを得ないものがある)。
 本書の表題および構成は、中世後期の東国史が関東足利氏と後北条氏の歴史を軸として構成されていたという、至極当然の歴史的事実を、あらためて我々に端的に示してくれているのではなかろうか。両者の歴史をふまえてこそ、豊かな中世東国史像を描き出すことが可能となるのであり、その意味では、本書は近年の歴史研究の細分化傾向に対する警鐘的役割を果たすことになるであろう。
(わき・としゆき 法政大学通信教育部非常勤講師)


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