菅谷 務著
『近代日本における転換期の思想−地域と物語論からの視点』
評 者:丑木 幸男
掲載誌:「日本歴史」715(2007.12)


 オウム真理教徒による地下鉄サリン事件、イスラム原理主義者による自爆テロなど、ショッキングな事件が相次いで起こったが、若者がこうした宗教に帰依していることに驚かされた。自己の定位置を探しあぐねている、先の見えない現在を象徴しているようにもみえる。本書はそうした出来事を契機として執筆されたという。
 本書の構成は次の通りである。

  序 章 本書の視点と構成
 第一編 「国体論」から「国民国家」へ−加波山事件前後−
  第一章 『新論』における国体論の位相−転換期の言説−
  第二章 思想史的事件としての加波山事件
  第三章 峰間信吉と南北朝正閏問題−ある教育者が生きた「国民国家」という物語−
 第二編 「国家」と「超国家」とのあいだ−血盟団と農本主義−
  第四章 血盟団と五・一五事件の思想史
  第五章 橘孝三郎に見る時代と煩悶−受験と神経症の時代−
  第六章 橘孝三郎に見る農本主義思想の位相−聖なる「農」という「物語」−
  第七章 橘孝三郎に見る超国家主義の位相
         −「マゴコロ」と「アラヒトガミ」による人類の救済へ−

 序章で転換期を「日常性を支えている信念体系に亀裂が走るとき」であり、「信念体系を生み出す世界の構造」である「物語」の正当性が問われる時代であると定義した。さらにその転換期の思想=物語を発生の現場から考えるために対象地域を茨城県域に限定したという。また、国家と人々との関係が問い直される現在に、国家の本質を探るために、「(超)国家主義者」の思考と行動を取り上げたという。

 第一編は幕末から明治期を対象とした三論文を収録した。
 第一章は、「転換期の言説」と副題して、会沢正志斎の『新論』を素材として、水戸学が人々の生命までも動員できる「力」としてのイデオロギーを組み立て得たことを、祭式神話論、行為執行文体制を方法論として検討した。
 会沢は社会の流動化による信念体系が動揺する危機意識から、「身体」のイメージに基づく「国体」論を構成し、大嘗祭を「国体」発揚の中心的礼制と位置づけ、祭祀の持つ集団の想像力に着目し、それを頂点として全国各地の祭祀を一元化することにより民心の統括をはかろうとしたのであり、転換期に「共同幻想」の「国体」を発見したと評価した。
 第二章は理念のために死をも超越する行動を惹起させた加波山事件の、思考と感性の形成を検討した。事件関係者を社会秩序から浮遊した知識人である「境界人」と位置づけ、政談演説会や新聞・雑誌のメディアにより政府批判の理論を構想し、理念化された欧米の革命や明治維新が蜂起のモデルになったと評価した。その背景に究極の理念に高められた「国民国家」実現に献身することを、自らの歴史的使命と自覚し、自ら紡ぎ出した「物語」を生きることによって、歴史を創造する主体に生まれ変わり、生の意味を付与しようとしたことを指摘し、現在のテロリストに通底する心情を推測した。
 第三章は、南北朝正閏問題を提起した小学校教員峰間信吉を取り上げ、大逆事件後、国民道徳を教育する立場から天皇を頂点とする家族国家観に基づき、忠誠の対象である天皇家の争いを教えることはできないと、実証主義歴史を批判して南朝正統論を唱えたことを、国民国家という「物語」をめぐる対立であったと評価した。その背景に峰間の母親との死別など「対象喪失」体験を指摘した。

 第二編は「血盟団と農本主義」と副題し、血盟団事件とその中心人物の橘孝三郎を四章にわたって検討した。
 第四章は、ウルトラ・ナショナリズムへの序曲と評価されてきた血盟団と五・一五事件の事件関係者の経歴を検討し、その中核的思想を旧来の共同体秩序から切り離され、小集団「コミュニオン」を結成し、非理性によって行動する群衆の時代に形成された、象徴思考にあったことを指摘した。
 第五・六章では橘の思想を検討した。第五章では橘の農本主義思想は都市・西欧による農村・アジアの支配という「物語」を前提に構想されたことを指摘し、その起点は橘の受験、神経症による煩悶・回心の体験にあったことを解明した。
 第六章では橘の農本主義思想が聖なる「農」という「物語」から形成されたことを指摘し、欧米思想の影響のもとに、資本主義をスケープゴートの対象とし、特に非合法手段を正統化する理論とした橘の「創造的進化的歴史観」は、ベルグソンの「生命の躍動」に大きな影響を受けたことを解明した。
 第七章は橘の一九三三年から四〇年までの服役中、および六五年に刊行した『神武天皇論』(天皇論刊行会)などの著作を通して、橘の超国家主義思想を検討した。日中戦争開始を契機に世界改造を構想し、その基本原理を「アラヒトガミ」を中心とした愛の共同体を世界に創造する「マゴコロの道」に求めた。それは明治憲法に規定する天皇の宗教性をキリスト教的神秘主義の影響を受けて構築した超国家主義思想であり、国民国家が拡大する過程で生まれる宗教的反発の「原理主義」と評価し、その思想を「歴史の結果論からではなく、今や同じ混迷の時代に生きる者としての目線に立って「共苦」をもって読み取る」ことを提唱した。

 二編七章にわたって転換期の思想を刺激的に解明し、説得力があるが、次の二点を指摘しておきたい。
 一つは近代の「転換期」について第一編では幕末維新期、民権運動期、明治末期、第二編では昭和期を取り上げたが、明治憲法体制確立期、デモクラシー期などもあり、そうした「転換期」の思想の検討も必要であり、同時に本書で解明した諸思想の相互関連についても知りたいところである。
 二は、茨城県域という「現場」の共通点および地域性の解明が課題として残されているように思う。問題提起をした「序章」に対応する「終章」を設けて、その課題を考察すると論文集の構成も整い、理解しやすくなったと思う。
(うしき・ゆきお 国文学研究資料館名誉教授)


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