長谷川匡俊著『近世の地方寺院と庶民信仰』
評 者:小田 真裕
掲載誌:「千葉史学」51(2007.11)


   一

 「房総地方にあって、寺院と庶民信仰にかかわる歴史研究が思いのほか進んでいない」という研究状況、郷土の寺院仏教史に関する講義や講演における参考文献の必要性、本書はこれらに対する著者の課題意識に基づき刊行された。著者長谷川匡俊氏は、浄土宗を中心に近世仏教の信仰・教化史を研究してきた論者で、近年は仏教と社会福祉の関係に注目している。
 地方寺院と地域民衆の信仰の関係は、仏教史のみならず日本近世における宗教、思想を考える上で重要な課題である。また、現在千葉県は関東地方で最も寺院数が多く、真言宗・日蓮宗の圧倒的な優勢に対し、浄土系教団が少ないという特徴的な仏教の展開をみせている。本書の主題は、房総の地域特性を捉える際にも等閑視することができないのである。

   二

 本書の構成は以下の通りである。なお、行論の便宜上、各論考に番号を付した。

T 寺院と檀越
 @中世寺院と千葉氏
 A佐原観音寺と伊能氏
U 房総地方の寺院分布と浄土宗教団
 B近世後期 房総寺院の分布と本末組織
 C房総における浄土宗教団の展開と庶民信仰
V 開帳と庶民信仰
 D坂東二十七番札所 飯沼観音の開帳と庶民信仰
 E関東三弁天 布施弁天の開帳と庶民信仰
 F上総千田称念寺「歯吹如来」の開帳とその顛末
W 巡礼・遊行と庶民信仰
 G房総の札所巡礼今昔
 H遊行上人の房総巡行
 I遊行上人の四国巡行
V 地方の宗教事情と念仏信仰
 J近世中期 東北地方の宗教事情と念仏聖の宗教活動
 K近世天台律宗の復興者 法道の行動と思想
 
 「T 寺院と檀越」は、寺院と在地有力者の関係を取り上げる。
 @では中世下総国における仏教各派の展開を、守護千葉氏一族および支流との関係に焦点を当てて概観し、在地領主の外護と密接に関わった諸宗の展開、近世における地域分布の原型となる地域的本末圏の形成を指摘する。
 Aでは近世における佐原観福寺(真言宗)と檀頭伊能氏の関係に注目し、祈祷寺院・檀那寺・本寺・談林(学問所)・庶民信仰の寺という観福寺の機能、伊能氏一族への厚遇を指摘し、伊能景利にみる檀頭としてのつとめ、信仰の有り様を明らかにする。

 「U 房総地方の寺院分布と浄土宗教団」は、寺院の分布と本末関係から、房総地方の特徴を抽出する。
 Bでは明治期の統計と比較し、近世後期の千葉県域には約五千の寺院が存在し、真言宗(四四・六%)・日蓮宗(二三・三%)の多さが他地域と比した特徴であること、本末関係において田舎本寺をピラミッドの頂点とする真言宗・天台宗、末寺を持たない寺が多い浄土宗といった差異があることを指摘する。
 Cでは浄土宗教団について寺院分布・本末圏の形成過程などを検討し、房総地方の諸寺院における庶民信仰の様子を紹介する。

 「V 開帳と庶民信仰」は、諸神の開帳に関する論考を収録する。
 Dでは飯沼山円福寺(真言宗)の本尊十一面観音の開帳が近世中期以降に興行的性格を帯びる点を、庶民的基盤に立った寺院経営への転換・銚子地域における商業の発達・庶民信仰との関連から論じる。
 Eでは関東三弁天の一つ布施弁天が、布施村の後藤家・江戸の古家家という世話役の奉仕のもとで宝永〜享保期に最盛期を迎えること、下総・武蔵・常陸に渡る信仰圏の形成が、利根川流域という布施村の立地および民衆の宗教的基盤に起因することを指摘する。
 Fでは上総国埴生郡千田村称念寺(浄土宗)の本尊「歯吹如来」を取り上げ、天保六(一八三五)年の大坂出開帳失敗で生じた負債によって、幕末の称念寺が経営危機に陥ることを指摘する。

 「W 巡礼・遊行と庶民信仰」は、房総地方における隆盛が指摘され、著者が開帳と並んで注目してきた巡礼を取り上げる。
 Gでは房総における巡礼霊場の一覧を掲げ、下総を中心とした弘法大師霊場の多さと真言宗寺院の分布との対応関係を指摘し、ともに佐原に所在する観福寺「郡巡礼」、法界寺「阿弥陀講」の概要を紹介する。
 また、研究蓄積の少ない時宗の遊行上人について、Hでは房総巡行を取り上げ、時宗の教線を反映して巡行路が下総北部を主としていることや、民衆の現世・来世の要求に対応した布教活動の展開を、Iでは四国巡行を取り上げ、民衆教化の様相および諸藩の対応にみられる差異を検討し、遊行上人にとって領主たちとの交渉が、廻国の成否に繋がっていたことを指摘する。

 「V 地方の宗教事情と念仏信仰」には、房総以外の地方を対象とした論考を収める。
 Jでは曹洞禅地域である東北地方を取り上げ、民衆の念仏受容の背景として、曹洞宗寺院が、能力や性質に応じた教化姿勢である応機説の立場から念仏を勧めていたことを指摘し、念仏聖待定(貞享二〈一六八五〉〜享保一六〈一七三一〉)の忍行念仏が民衆に受容され、没後も待定信仰が流布していった様子を示す。
 Kでは天台律宗教学の大成者である伊勢国木造引接寺法道(天明七〈一七八七〉〜天保一〇〈一八三九〉)を取り上げ、彼の教学が近世浄土宗の念仏信仰との交渉を通して確立したことを指摘し、化他性を特色とする戒律観、本願の信と相関する施行の実践に注目する。
 Xに収録された両論文の初出は、Jが二〇〇五年、Kが一九九一年と比較的新しく、近著『日本仏教福祉思想史』(共著、法蔵館、二〇〇一年)、『近世の念仏聖無能と民衆』(吉川弘文館、二〇〇三年)の内容とも密接に関わる。房総以外の地域を扱っている点からも、TからWとは趣が異なるものといえるだろう。

 以上が本書の概要である。著者が明らかにした近世房総における仏教の展開、庶民信仰の様相は、現在でも研究の前提となるものである。次に節を転じて、本書の成果と課題に言及する。

   三

 本書の成果として特筆されるのが、房総全域に渡る寺院分布と本末組織の把握である。著者は一九八八年に発表されたB「近世後期 房総寺院の分布と本末組織」で、「房総寺院史研究にとって、欠かすことのできない基礎的かつ基本的な課題」にも関わらず着手されてこなかった、この作業に取り組んだ。評者が注目するのは以下の点である。まず、近世後期の様相が明治期における複数年度の寺院統計と比較されている点である。著者は、先行研究が依拠していた明治十三年の寺院統計に史料批判を加え、より正確な明治期の分布を導き出した。そして、江戸後期から明治初期の約百年間における一五〇〇もの寺院の減少と、その内訳を示したのである。また、宗派の別に加え郡単位での分析を行い、諸地域の特徴を指摘した。房総三国のうち唯一、日蓮宗が真言宗の寺院数を上回る上総国を例にとると、日蓮宗・天台宗寺院の多い山武郡・夷隅郡・長生郡、真言宗の展開する君津郡・市原郡という差異がある。ここから、千葉県における日蓮宗の隆盛を、単に日蓮の生地という理由でなく、戦国期の東上総地方を中心とした、池上本門寺による真言宗の折伏による結果と捉えることができる(『千葉県の歴史 別編 民俗1 総論』千葉県、一九九九年)。
 幕末から明治初年にかけた寺院数の減少について、著者は宗派別では真言宗寺院の減少、地域別では下総東部の激減と安房の安定性に注目している。そして、檀家層の窮迫という社会経済史的問題、幕末維新期における廃仏毀釈の風潮といった政治史・思想史的問題との関係を示唆する。本書の成果は、こうした諸分野の研究や近世・近代移行期研究に対しても、重要な素材を提供している。

 次に、房総地方における様々な庶民信仰が紹介されている点に注目したい。民衆の仏教受容を、慣習的で民間の習俗や固有信仰と深く関わるものと捉える著者の視角(『近世念仏者集団の行動と思想』評論社、一九八〇年)に基づき、本書では宗派の枠に留まらない民衆と仏教との多様な関係が描かれる。Cでは浄土宗寺院が道場という本来の使命に加え、実際は「地域の民衆の生産活動や生活と宗教的ニーズに深くかかわっていたと指摘し、阿弥陀信仰・観音信仰・地蔵信仰といった庶民信仰を列挙する。また、Vでは開帳、Wでは巡礼を取り上げ、それらの背景に現世・来世のしあわせを願う民衆の信仰心を窺おうとする。そして、寺院分布を踏まえた上で、庶民信仰にみる房総諸地域の特徴が指摘される。例えば、弘法大師霊場が関東地方のうち千葉県に最も多く、下総と比べて上総に少ない点を、真言宗・日蓮宗の展開と関連づけて論じている。

 房総における地方寺院を扱った近年の研究は、本書における本末関係の把握という成果を発展させ、寺院組織や僧侶集団などの実態を明らかにしている(朴澤直秀『幕府権力と寺檀制度』吉川弘文館、二〇〇四年)。他方、庶民信仰に関して『千葉県の歴史 別編 民俗1 総論』では、大師堂や祖師堂の分布が真言宗・日蓮宗の展開と関連づけて検討されている。しかし、著者が「寺院と庶民信仰にかかわる歴史研究」の停滞を指摘するように、近世史の側から房総における庶民信仰を、社会状況や人々の意識との関わりで問う作業はなされていない。本書の成果が、発展・継承されているとは言い難い。

   四

 以上、本書の特長を述べてきた。著者が期待するように、房総寺院仏教史の基本文献として読者が本書から得るものは多い。ただし、一九七○年代から八〇年代に発表された論考が過半を占める本書からは、房総寺院仏教史・著者自身の研究双方の深化も踏まえると、若干の疑問点・論点が浮かび上がる。

 まず、房総の寺院分布に関して言及する。この作業が着手されなかった理由の一つが、近世のある時点での寺院を網羅した史料が現存しないという、史料的制約である。著者は天明〜寛政期の寺院本末帳を軸に、元禄・享保年中の『浄土宗寺院由緒書』、延享年中の本末帳(曹洞宗)、明治十三年の『千葉県統計表』(真宗・黄檗宗)から補い、近世後期の分布を導き出した。しかし、史料の性格・成立時期が異なるため次のような問題が生じる。例えば、寺院の移転や統廃合、転宗・転派に伴って同一の寺院を重複して計上する可能性、あるいは庵・堂・坊の位置づけなど、寺院として計上する基準が各史料で異なる可能性が指摘できよう。これらの要因によって本書の結論が揺らぐとは考えにくいが、寺院分布の精度を高める余地は残されている。
 また、本末関係の把握を主眼とする寺院本末帳からは、個々の寺院の実像が窺えない。等しく一か寺として計上された寺院は由緒・規模・檀家数などの差異を有しており、なかには無住・廃寺同然の寺院も存在したはずである。寺院数を教線の伸長と直結させるのではなく、当時の実態を勘案する必要があるだろう。

 二つ目の論点としては、庶民信仰の問題を考えたい。先述したように、著者は民衆の仏教受容について、宗義の理解に基づく純一な信仰というより現世利益や葬祭仏事を主流としたものと捉えている。この見解と関連して、近世社会における民俗信仰・民俗行事に注目した論者が安丸良夫氏である。氏は、当時の社会の基底に廻国修験を受け入れるような習俗があったことを指摘し、様々な宗教活動・宗教行事を取り上げた(「『近代化』の思想と民俗」『日本民俗文化大系一』小学館、一九八六年)。近年、主に近世後期から幕末にかけての時期を対象として、呪術的要素も含む宗教者の活動や、救済を求める人々の要求を取り上げた研究が蓄積されている。本書においても、この時期の画期性に関する言及が散見されるが何れも変化の指摘に留まっており、変化を生んだ背景の検討は不十分である。庶民信仰についても、思想史的観点による検討の必要を指摘してはいるが、人々の日常的な宗教意識には踏み込んでいない。

 ところで、本書では明治初年における匝瑳・海上・香取三郡の寺院数激減について、平田国学の拠点という地域性との関連が示唆されている。この点に関して、平田篤胤『出定笑語附録』には、香取郡松沢村の名主で篤胤門人であった宮負定賢が、文政初年頃の同村について語った言葉が記されている。曰く、松沢村は「古クハ仏信心ト見エテ、寺ガ五ケ寺有」たが、「段々潰レテ、今ハ二ケ寺ニ成テ、又ソノ一ケ寺モ、アルカ無キカニ成タ」。他方の一か寺も「和尚タビタビ替リテ、一年ト居付ズ、アマリニ世話ガヤケ」ている。そして、「大抵ドコノオ寺モ、近年ハ大黒トカ、弁天トカ云モノガ有テ、内々ハ子持モ多クアルト云」と結ぶのである。また、定賢の長子で同じく篤胤門人である宮負定雄は、『民家要術』(天保四〈一八三三〉)に「釈教」という項目を立てている。そこでは、寛政八(一七九六)年の江戸における浄土宗の不律僧処罰を事例に、当代における僧侶のあり方が批判される。この不律僧処罰には、先に掲げた『出定笑語附録』のなかで篤胤も言及しており、定雄が篤胤の論から影響を受けたことが想定される。ただし、定雄は篤胤の祖述に留まらず、あるべき僧侶の実例として香取村新福寺の僧東伝に言及する。定雄は東伝による施行などを挙げ、「東伝法師が如く真心に徳行を磨く時は、必しも神となる事疑ひな」いと述べる。
 ここで問題視されている近世後期における僧侶の堕落について、著者は既に浄土宗を事例に指摘している(前掲『近世念仏者集団の行動と思想』)。宮負父子の仏教観は、文化的交流(平田篤胤)や、地域での見聞(香取郡城の事例)に基づき形成された、当該期の社会状況の産物なのである。平田篤胤門人である彼らは、地域において国学受容層以外の人々とも接点を持っており、その仏教観が、特定の学問を受容しない層にも伝えられたと考えられる。本書では、仏教諸宗派の関係は問われているが、儒学・国学、あるいは修験道・陰陽道などとの関係は言及されていない。地域における様々な思想潮流の展開を踏まえ、仏教の位置づけを図る必要を指摘したい。また、江戸における不律僧処罰への言及は、房総地域を対象とする場合にも、他地域における同時期の状況を加味する必要を示唆している。とりわけ、江戸との近接性には留意すべきだろう。

 本書の課題として指摘した、近世における実態面を描く一つの方法として、平田篤胤・宮負定雄という国学者の著述を取り上げた。これらの史料によって初めて、松沢村の寺院や東伝の具体像を描くことが可能となる。本書の成果を発展・継承させるためには、記録類などの様々な史料を渉猟する必要がある。

 以上、浅学の身を省みず本書に関する私見を述べた。評者の理解不足による誤読・誤解も多々あると思うが、著者および読者のご寛恕を乞う次第である。近世房総における地方寺院、庶民信仰の実態に迫る方法は確立されている訳ではない。しかし、このことは新たな房総の地域像が描かれる可能性を示唆している。多くの読者が本書を手にし、房総の寺院・庶民信仰に関する議論が活発化することを願い、結びとしたい。
(一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程)


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