村井早苗著『キリシタン禁制の地域的展開』 |
評 者:小田真裕 |
掲載誌:「地方史研究」330(2007.12) |
著者村井氏は、『幕藩制成立とキリシタン禁制』(文献出版、一九八七年)において、キリシタン禁制と支配構造(幕府、藩、天皇・朝廷)の関係を検討した。その成果を踏まえ、本書ではキリシタン禁制の意味が、日本近世に生きた人々の視点から追究される。 本書の構成は以下の通りである。 はしがき 序章 キリシタン研究史 第一編 キリシタン禁制史の概要 第一章 キリシタン禁制の展開の時期的・地域的偏差 第二編 キリシタン禁制と岡山藩 第二章 キリシタン禁制をめぐる岡山藩と幕府 −万治二年「備前国吉利支丹帳」の分析を中心に− 第三章 キリシタン武士の地域的交流 −岡山藩鷹師横川助右衛門・三郎兵衛父子を中心に− 第四章 一キリシタン武士の軌跡 −渡部惣左衛門と岡山藩のキリシタン− 第五章 朝鮮生まれのキリシタン市兵衛の生涯 第三編 琉球・蝦夷島におけるキリシタン禁制 第六章 琉球におけるキリシタン禁制 第七章 蝦夷島におけるキリシタン禁制 補論 異国・異域とキリシタン 第四編 地域における寺社の役割 第八章 幕末期下総国葛飾郡高根村における生活 第九章 武蔵国豊島郡角筈村と熊野十二社権現 第十章 下総国葛飾郡藤原新田における村方騒動と寺社 第十一章 臼杵藩「文化の一揆」と寺社 補論 「文化の一揆」における寺社 終章 キリシタン禁制の終焉 あとがき 序章では、研究史を整理し、キリシタン研究を日本近世国家史研究に正当に位置づけ、日本近世史研究者の共有財産とする必要を主張する。 第一編では、キリシタン禁制史を概観し、地域的偏差を伴った展開(島原・天草一揆以前)、井上政重による政策転換と諸藩の「自分仕置権」喪失(寛永末期)、幕府による禁制強化(寛文期)といった画期を指摘する。 第二編では、キリシタンの存在が比較的稀薄な地域であった岡山藩を取り上げ、寛永末期に幕府がキリシタンの交流網を掌握し、個別藩の禁制政策に介入を図ったこと、寛文期の宗門改役成立によって、その権限を確実に掌握したことを指摘する。 第三編では、幕藩制国家における異国・異域とされる琉球・蝦夷地を取り上げ、「鎖国」成立と同じ寛永期に薩摩藩の指示で禁制が実施された琉球、松前地より遅い十九世紀に禁制が及んだ蝦夷地が、キリシタン禁制の側面で幕藩制国家の体制外にあったと指摘する。 第四編では、キリシタン禁制の枠組みのなかで民衆が営んだ宗教生活、寺社が果たした役割を検討し、宗教活動や年中行事を通じた人々の結合(第八章)、鎮守と村の人々との結びつき(第九章)、村方騒動のなかで新たな神が創出され、小前百姓の精神的紐帯となる様子(第十章)、一揆における役割から窺える、寺社と民衆が日頃結んだ関係(第十一章)を指摘する。 終章では、千葉県船橋市域における明治期の宗教事情を検討し、外国人居留地が廃止された一八九九(明治三二)年を、キリシタン禁制終焉の時期と評価する。 以上、本書の内容を概観した。近世社会に生きた人々にとってのキリシタン禁制を考えるためには、著述をのこしていない層の意識を照射する必要がある。下級武士や朝鮮人捕虜といった個々のキリシタン、琉球・蝦夷地の人々に焦点を当てた分析は、本書の視角に基づくものである。従来の研究で十分に論じられていない、こうした人々とキリシタン禁制の関わりについての考察は、「日本近世史研究者の共有財産」といえるだろう。 階層・集団・地域内部の差異に留意し、人々と宗教との関わりを検討すること、制度面に加え在地の状況を勘案し、宗教史上の諸画期を捉えることは、キリシタン史のみの課題ではない。本書は、日本近世における宗教の意味を改めて考えさせるのである。 |