園田学園女子大学歴史民俗学会編『漂泊の芸能者』
評 者:鈴木正崇
掲載誌:「日本民俗学」251(2007.8)


 日本の芸能は、漂泊の芸能者によって支えられ豊かに発展してきた。本書は、園田学園女子大学歴史民俗学会が、このテーマを取り上げて、二〇〇三年十一月に開催した歴史・民俗セミナー「太夫さんが来た」でのシンポジウムの記録である。かつては、正月や節分等に芸能者が各家を訪れて祈?を行い、舞を奉納して目出度い言葉を唱えて廻っていたが、時代の流れと共に姿を消していった。現在では、近畿地方を門付けして巡る伊勢大神楽にその面影を留める。本セミナーは、漂泊の芸能者を民俗社会の人々がどのように捉え、受容してきたか、どのように時代を生き抜いてきたかを考察する論考を収録する。
 北川央「伊勢大神楽の回壇と地域社会」では、伊勢大神楽の宗家とされる山本源太夫組の一年を検討する。そして、江戸時代の回檀の史料を提示して、受容する村落側の紛争や事件の諸相や秩序形成のあり方を述べる。現代の祈?については、回檀の途上で亡くなった太夫を葬ったとされる神楽墓に対する村人の関わり合いを描き出す。
 村上紀夫「万歳考−散所との関わりを中心に」は、研究の視角として千秋万歳に始まる万歳の歴史には中世の声聞師など被差別に関わる身分制の問題と、芸態中心に見てきた芸能史の二つの方向性があることを指摘する。散所という地子のかからない土地に居住していた声聞師は、万歳など祝福芸に携わると共に、普段は陰陽師として祈?や祓いの儀礼や占いを行っていたが、豊臣秀吉による京からの陰陽師追放令の影響を受けた。京都の西にあった梅津の散所の唱門師の史料から、彼らは祈?と芸能を一体化した民間陰陽師であったことが明らかになる。散所の変容と万歳の変遷、土御門家による統括、明治の大変革など廃絶に至る過程を辿る。
 井上勝志「浄瑠璃操り成立期の語り手」は、語り物としての浄瑠璃と芸態としての人形操りの結合がいつ生じたかという視点から西宮の夷かきを考察し、人形戯の変遷、アヤツリの語義、担い手と芸態の変遷を考察した。
 久下隆史「兵庫県下の民間芸能者」は、兵庫県下の猿まわし、伊勢大神楽、法花寺万歳などの独自の回村の動向を考察し、播州歌舞伎や淡路人形浄瑠璃との繋がりにも言及する。 久下正史「奪衣婆を持つ聖」は、地獄絵の絵解きや語りに着目し、事例の少ない奪衣婆像を持って各地を巡り唱導を行う勧進聖の史料を提供した。
 論考は歴史的考察が主体であるが、緻密な史料解読で漂泊者の実態の変容に多角的に迫り、近世歴史学の身分的周縁論と民俗研究を繋ぐ役割を果たす充実した入門書になっている。


詳細へ 注文へ 戻る