落合功著
『地域形成と近世社会−兵農分離制下の村と町−』
評 者:下野寛介
掲載誌:「地方史研究」329(2007.10)


 本書は、著者が『多摩市史』『袖ヶ浦市史』などの自治体史編纂や、中野区立歴史民俗博物館に勤務していた際に執筆した論稿を中心にまとめたものである。著者は、広島県における自治体の統廃合に際して、新たな地域形成が問題点を顕在化したり、これまでの常識に再認識を促す契機になると感じた。このような前提から「多様な地域形成の過程を捉え、そこでの諸課題を明らかにし、近世社会を展望すること」を大きな目的に据えた、本書の構成は以下の通りである。

目 次
序 章
第一部 村落の形成と土地所持
 第一章 近世村落の形成と土地所持
 第二章 近世前期村境争論の展開と絵図作成−境界をめぐる争論−
 第三章 多摩市域の飛地と入会地分割−地域の生成と意味−
 第四章 近世社会における土地所持権−境界を越えた土地所持−
 第五章 江戸近郊農村の展開と家の相続−地域維持運営のあり方−
 第六章 近世村落の自律性−地域運営と支配権力−
第二部 近世町の成立過程−拝借地から町ヘ−
 第一章 中野村名主卯右衛門による拝借地の獲得
 第二章 新堀江町の成立過程と展開
終 章
あとがき

 以下、本書の内容を簡単に紹介する。
 序章では「一 近世地域史研究をめぐる諸問題」として戦後の地域史研究の成果を本書の分析視角と関連させて論じ、「二 本書の構成と内容」において本書の分析視角と簡単な内容を示している。

 第一部は、従来、封建制論や幕藩制支配論の枠組みのなかで扱われてきた検地実施の歴史的意義を地域(村落)画定の契機という点、土地所持権の確定とともに村の構成員が組織された点に求め、支配と村の関係について検討している。
 第一章では武州多摩郡江古田村の天正一九年検地帳と慶安五年名寄帳を素材に、近世初期の村落形成において土地所持権の移動が激しく行われている事実を指摘し、検地帳への登載の意味を、年貢負担者の確定という面に求めている。また、江古田村内に存在した東福寺の移転と村を横断するように行われる獅子舞の意義についても明らかにしている。
 第二章では、武州都筑郡平尾村における村境争論から裁許絵図の作成に至る過程までを追い、関東農村においては近世村落−知行主の関係とは別の次元として、近世村落−公儀といった複層的な地域社会が存在したことを明らかにしている。また、その際の裁許絵図の作成の意味とそれを行う絵師の役割についても論じている。
 第三章では、多摩市域に多く存在する飛地の由来について、享保改革の新田開発政策と関連付けて明らかにしている。
 第四章では、上総国望陀郡玉野村で知行主の異なる者への土地転売に際して起きた越石一件を素材として、村の土地所持権の問題について論じている。
 第五章では、多摩郡平尾村の家数が江戸時代中ごろから明治期にいたるまでほとんど増減しないことから、村の存続・家の相続について明らかにしている。また、同村における世襲名主制から年番名主制に至る経緯についても論じている。
 第六章では、上総国望陀郡野里村で起こった暴行事件の解決の過程に着目し、村落の自律性について検討している。

 第二部では、新堀江町の成立を中野村名主堀江卯右衝門の個人的才覚ではなく、近世社会に見られる訴願運動の結果としてとらえ、これまで訴願論理に注目して進められてきた研究状況に対して、その交渉に重点をおき、実際に訴願を受け入れる担い手や訴願過程に注目している。
 第一章では、卯右衛門が新堀江町成立の前提として、拝借地を獲得するまでの過程と、その運営実態について明らかにしている。
 第二章では、新堀江町成立までのおよそ二年半におよぶ訴願過程とその論理を追い、近世後期社会における訴願運動の成否には、関係役人等に対する「根回し」の構造が大きな意味を持ったことを明らかにしている。

 地域形成の問題について、多彩な問題意識と分析視角から論じられている本書だが、総合的な論点として@地域(村・町)A村(町)の支配と自律性についてB村の維持・運営のあり方という三つ視点に整理されるという。そして兵農分離制は幕藩権力による支配も存在するが、具体的な運営面については地域自らの規範に基づいており、「近世において地域は多様というよりも、それぞれ個性を持った存在」であると著者は締めくくつている。
 江戸近郊・周辺農村の史料を豊富に提示し、様々な問題について論じている意欲作である。ぜひ一読をお勧めしたい。


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