垣内和孝著『室町期南奥の政治秩序と抗争』
評 者:小豆畑 毅
掲載誌:「日本歴史」713(2007.10)


 本書は、著者が一九九六年から二〇〇五年の間に発表された論文に新稿(付論4と第八章)を加えた論文集である。まず、全体の紹介のため目次を抄出(節は省略)する。

  序 章 南奥中世史の構想
 第T部 南奥の政治秩序
  第一章 篠川・稲村両公方と南奥中世史
  付論1 篠川御所の現況報告と復元試案
  付論2 城館よりみた室町・戦国期の郡山
  第二章 二本松畠山氏と塩松石橋氏
  第三章 須賀川二階堂氏の成立
  付論3 鎌倉・南北朝期の二階堂氏
 第U部 南奥戦国大名の成立
  第四章 戦国大名岩城氏の誕生
  第五章 戦国大名蘆名氏の誕生
  第六章 白川氏・小峰氏と「永正の変」
  付論4 白川氏「永正の変」の再検討
 第V部 田村氏と伊東氏
  第七章 田村氏と蒲倉大祥院
  第八章 戦国期田村氏の権力構造と家臣団構成
  第九章 伊東氏の歴代と本拠
  第十章 中世安積郡と伊東氏・相楽氏

 一見して分かるように、本書での研究対象は、伊達氏・相馬氏・石川氏などを除いた福島県域を中心とした室町・戦国期地域権力と政治秩序の解明である。
 各章の最後に適宜「補説」を付し、本書を編むにあたって旧稿を改めた部分と旧稿後の研究動向に言及している。これらは後学の者にとって研究の水準を知る上での道しるべであるが、最近の研究動向に対する著者の詳細な見解も示してほしかった。

 まず第一章では、篠川・稲村両公方の権力は白川氏に依拠しており、幕府と鎌倉府の対立の結果永享の乱で鎌倉府が滅亡し、それと結んでいだ稲村公方も滅んだ。篠川公方も白川氏が幕府と結合し自立を強めたことにより存立の基盤を失い、没落を余儀なくされたとしている。
 当該地域において白川氏の権力が卓越していたことは疑いないが、白川氏の巨大化を警戒する中小国人と、地域権力の確立をめざす両公方が結びつくという視点もあるのではないだろうか。なお著者は財団法人郡山市文化・学び振興公社文化財調査研究センターに勤務し、発掘調査と研究に従事されているが、その成果が付論1・2にもあらわれている。付論1での篠川御所の復元、付論2での篠川御所と城、畠山氏の田地ケ岡館における庭園存在の可能性の重要な指摘等である。
 第二章では、これまでややもすると等閑視されてきた二本松畠山氏と塩松石橋氏を検討し、再評価を試みている。すなわち、「余目氏旧記」の分析を踏まえ、鎌倉府方として行動する畠山国詮にかつての奥州管領としての認識が自他共にあったとし、「陸奥国大将」の系譜を引く塩松石橋氏も奥州探題斯波氏(大崎氏)から特別扱いされていた、としている。くわえて斯波氏が自己の権限が及ばない南奥の二本松畠山氏・塩松石橋氏と、北奥の高清水斯彼氏を特別に扱うことにより、室町的秩序を担って奥羽に優越する地位を維持する意図があったとした。
 須賀川二階堂氏も史料の残存が少ないため、これまでは研究対象となることがまれであった。第三章はいわゆる軍記物である「藤葉栄衰記」に対する資料批判の論考である。「藤葉栄衰記」の記述とは逆に、須賀川二階堂氏の祖とされてきた為氏が二階堂治部大輔の須賀川領を簒奪したとしている。須賀川二階堂氏の成立に正面から取り組んだ結果の注目すべき見解である。付論3は史料に基づいた鎌倉・南北朝期の須賀川二階堂氏論である。室町・戦国期の続論を待ちたい。

 第四章は応永期の岩崎氏との抗争と岩城氏による岩崎名跡の継承、嘉吉〜文安期の岩崎氏の内紛に乗じた岩城隆忠の台頭、寛正〜文明期の岩城氏と岩崎氏・白川氏の抗争、その結果として岩城親隆の制覇、岩崎氏の没落と白川氏からの自立、この三期にわたる抗争を経て戦国大名岩城氏が誕生したとする。史料の整合を重視して岩城氏をめぐる複雑な抗争を整理した論調は説得力に富む。特に「おわりに」における親隆・常隆の二代続きの名乗りが二度現れる特異な現象の考察は興味深い。
 蘆名氏の個別的研究も少ない。第五章では「会津塔寺長帳」「異本塔寺長帳」と「会津旧事雑考」の三資料を批判的に検討し、その結果「会津塔寺長帳」に依拠した手堅い論考になっている。蘆名氏においても岩城氏と同じように白川氏との抗争を経て自立し、戦国大名としての地歩を固めたとし、岩城・蘆名両氏と白川氏の関係を統合的に把握している。これまで、白川氏の衰退は永正七年(一五一〇)におきた「永正の変」によるとされてきたが、岩城・蘆名両氏の自立が前提にあると指摘している。
 その白川氏「永正の変」についての考察が第六章である。著者はこれまでの通説を批判し、「永正の変」の前に白川政朝により自害させられたとされた小峰朝脩は生存していて政朝を追放し、事変の結果小峰氏が白川氏を継承して「白川小峰」氏が成立したと述べている。誠に衝撃的な結論ではあるが、白川氏の権力構造の分析と関係史料の考証の結果なので肯首すべき見解であろう。白川氏からの自立傾向は岩城・蘆名両氏ばかりでなく石川氏でもみられることである。
 なお著者は「永正の変」で佐々木倫郎氏とおなじように、古河公方家の内紛との関係を重視しているが、十六世紀初頭の南奥は白川氏を中心とした政治秩序の変動期にあったのではないだろうか。
 論考は白川義親を巡る「天正の変」に及び、さらに付論4で追究している。この事変と白川氏の系譜については、結城錦一氏をはじめ、地元の研究家と今泉徹氏、市村高男氏などの多数の説が提示されているが、著者は義親の出自を重視している。

 田村庄司系と三春系田村氏は連続すると主張する第七章、「田母神氏旧記」などを分析した第八章、多数の縄張図を駆使した第九章、大槻伊東氏と相楽氏との関係を初めて検討した第十章は、紙数の関係で詳細な紹介は省略せざるを得ない。
 博捜した資料をもとにした実証的な論文の集成である本書は、「あとがき」によると小林清治氏の勧めによる出版であるという。南奥のみならず日本中世史研究に数々の業績を残された小林氏は、去る四月四日に急逝された。後進の育成にも尽力された氏は、本書の上梓を心から喜ばれたであろう。
(あずはた・たけし 福島県石川町史編纂室長)


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