松浦利隆著『在来技術改良の支えた近代化』
評 者:今井幹夫
掲載誌:「群馬文化」290(2007.4)


 本書は著者が長年追究して来た研究課題の成果を学位論文としてまとめられ、これをあらためて広く世に問うたものである。
 本書の構成は群馬県における幕末から明治前・中期までを中心とした産業近代化の中で在来技術が果たした役割について養蚕業・製糸業・織物業の三分野に分け、さらに養蚕業では近代化の中の在来農業技術、近代養蚕農家の発生、創成期の養蚕改良結社高山社を取り上げ、製糸業においては上州座繰器の発生、上州座繰器の改良、二つの製糸場の三項目から論じ、織物業では開港をめぐる桐生新町の動静、明治前期の桐生織物「近代化」などを論じたまさに群馬県の在来技術を総合的に捉えた大作である。
 その上に序章と終章を設定し、群馬県の特性を捉えながら研究課題や研究視点を明示し、結論を導き出している。これは著者にとっては研究視点の追究や展望がぶれず、また読者にとっては読解の視点がいつも明らかにされ、間違いない読み方ができるという利点を持っている。

 このような広範囲の研究の中で著者が最もページを割いているのが製糸業である。これだけでも全体の約四四lを占め、殊に改良座繰製糸を重視しているようである。
 ここでは江戸時代から特有な形で改良発達した上州座繰器の経緯に触れ、明治十年代初頭、南三社等に代表される組合製糸がいわゆる改良座繰製糸所を組織し、生産された生糸を厳格に品等分けして共同出荷する方式を取ったことを高く評価し、このような「在来技術」の地道な改良発達が富岡製糸場に代表されるような「近代的」と称される新規の技術体系に比較しても遜色のない実績を上げたことを重視すべきであると強調している。
 これは角度を替えてみると、明治期の養蚕農家は機械化された富岡製糸場に繭という段階で出荷することを避け、「在来技術」を積極的に活用しながら付加価値の高い生糸を自らの手で製出するという生産工程を重視したものであり、また養蚕製糸の一貫作業を堅持した従来からの経営形態であったともいえよう。この経営実績を著者は「二つの製糸場−富岡製糸場と碓氷社」の項で明らかにしてくれている。この論点が本著のサブタイトルである−富岡製糸場のパラドックスを超えて−に結実しているようにも読み取れることができよう。
 いずれにしても明治初期・中期におけるわが群馬県はヨーロッパ流の本格的な大規模製糸場と養蚕農家が自ら立ち上げたいわゆる南三社のような組合製糸が並列しながら、組合製糸の方が養蚕農家に直接的な利益をもたらしていたことは間違いない事実であったことをよく理解することができた。
 しかし組合製糸が養蚕製糸の一貫作業なるがゆえに様々な後進性や弊害をひきずり、やがては直営の機械製糸所に転換せざるを得なかったのも事実である。

 最後になるが、本著の刊行年度に富岡製糸場が国の重要文化財に指定され、本年一月にはユネスコの世界遺産の暫定リストに搭載され、その産業遺産としての価値が認められた。これは著者が群馬県の世界遺産推進室長として努力された結果でもある。本書の成果を称えると共にそのご尽力に対し大いなる敬意を表したい。


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