長谷川匡俊著『近世の地方寺院と庶民信仰』
評 者:西海賢二
掲載誌:「地方史研究」329(2007.10)


 本書は淑徳大学学長の要職にあられる長谷川先生の近著である。私の小さな書架には先生の次の著作がある。『近世念仏者集団の行動と思想 浄土宗の場合』(評論社・一九八〇年)、『近世浄土宗の信仰と教化』(渓水社・一九八八年)、『宗教福祉論』(医歯薬出版二〇〇二年)、『近世の念仏聖無能と民衆』(吉川弘文館・二〇〇三年)などである。とくに一九八八年の著作と二〇〇三年の著作は、近世の幕藩体制下、浄土宗の僧侶のなかに「捨世派」と称される念仏者を追い求めたこれまでの「近世仏教堕落論」を一蹴するような金字塔的著作として後学のこの分野に興味をもつもののバイブル的著作でもある。とくに近世の念仏聖である捨世派僧、無能が東北地方で行った布教の足跡を、民衆との信仰的関わりのなかで考察をされたことは、これまでの近世念仏聖の近世的性格と意義を解明するものとしてひときわ光彩をはなっている。
 さて、学長という教務のなか、また大著が刊行されたことは喜び以上に驚きを覚える。以下に本書の構成(概要)を紹介する。

T 寺院と檀越
 中世仏教と千葉氏
 佐原観福寺と伊能氏
U 房総地方の寺院分布と浄土宗教団
 近世後期 房総寺院の分布と本末組織
 房総における浄土宗の展開と庶民信仰
V 開帳と庶民信仰
 坂東二十七番札所 飯沼観音の開帳と庶民信仰
 関東三弁天 布施弁天の開帳と庶民信仰
 上総千田称念寺「歯吹如来」の開帳とその顛末
W 巡礼・遊行と庶民信仰
 房総の札所巡礼今昔
 遊行上人の房総巡行
 遊行上人の四国巡行
V 地方の宗教事情と念仏信仰
 近世中期 東北地方の宗教事情と念仏聖の宗教活動
 近代天台律宗の復興者 法道の行動と思想

 本書は、近世の地方寺院と地域民衆との関わりについて、これまで比較的手薄であった房総地方を舞台にその様相を考察したものである。ここに収録された論文の多くは、「近世の飯沼観音と庶民信仰−開帳と本堂再建勧化をとおしてみたる−」(『淑徳大学研究紀要』八号、一九七四年三月・著者三一歳)から「近世中期の東北地方の宗教事情と念仏聖の宗教活動」(『東北仏教の世界−社会的機能と複合的性格−』有峰書店新社、二〇〇五年三月・著者六二歳)までの、著者三十代から六十代までの三十年間にわたって発表されたものであるが、まさに長谷川氏の研究者としての一番絶頂期に執筆されたものであり、ここに集大成されたことを心からお喜び申し上げたい。
 本書を世に出すことを決断したのは、あとがきによれば「房総地方にあって、寺院と庶民信仰にかかわる歴史研究が思いのほか進んでいないとみなされていること。くわえて房総の住人として、郷土の寺院仏教史に関する講義や講演を依頼されることも少なくなく、参考になる書物を紹介できればなどと思案をめぐらすこと再々であったからでもある」(三六九頁)とあり氏の郷土に対する愛着がこうした一書になったことを吐露しており、氏のお人柄が滲み出ている。
 さらに本書を通読して後学の戯言になるが、次の二点が本書の白眉だと思っている。(1)は氏の近世仏教への関心が、浄土宗の檀林史並びに信仰・教化史に向けられなか、これまでの教化史が中心的であったものをより地域にこだわり、房総地方の檀林史・信仰・教化を総合的にまとめられたことであろう。(2)は足もとの歴史、すなわち地域民衆の信仰の歴史を問うことと自分史との融合性を全面に打ち出したことは、学問と地域と生活が一体化することへの主張として注目されるであろう。そして本書のなかで根幹的にながれている普通の人々への「まなざし」が行間から読み取れることである。それは氏の一方の専門領域である近代における「社会福祉」「社会事業」への展望と関連した著作であることがこれまでの単なる宗教史研究とは異なる一番の特徴でもあろう。


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