桐生文化史談会編『桐生佐野氏と戦国社会』
評 者:荒川善夫
掲載誌:「地方史研究」329(2007.10)


 本書は、二〇〇五年十二月三日に桐生市市民文化会館で開催された桐生文化史談会主催の第三回歴史シンポジウム「中世桐生の風景を往く−佐野大炊助助綱の道−」の成果を論集としてまとめたものである。掲載されている論考は以下の通りである(敬称略)。
@久保田順一「中世桐生郷と桐生佐野氏成立の背景」
A黒田基樹 「桐生佐野氏の展開」
B簗瀬大輔 「戦国期桐生領の林産資源と生業」
C飯森康広 「桐生川内町周辺の城砦」
D飯森康広 「桐生城周辺を歩く」
E須藤 聡 「桐生佐野氏に関わる研究史とその史料紹介」
F巻島 隆 「第三回歴史シンポジウム『中世桐生の風景を往く』の記録」

 この本には、当日の記録(F)が要約されており、当日の熱気が伝わってくる。@は桐生佐野氏入部以前の桐生氏や桐生郷を扱う。南北朝内乱期の桐生氏の動向が紹介され、桐生郷には石造物の所在から一定程度の力を有していた武士団がいたという。同郷が関東足利氏の御料所の可能性があり、それ故に享徳の乱の過程で鎌倉公方奉公衆・近臣である佐野一族が公方から桐生郷を与えられ入部したとする。なお@の論考ではBの論考のように関連地名を記した地図を添えていただければ土地鑑のない者でも理解しやすい。
 Aは桐生佐野氏の成立から滅亡に至る歴史を扱ったものである。系図や同時代の古文書をもとに桐生佐野氏歴代を確定し、東国の政治史の中で同氏がどのような動きをしたかを丹念に跡付けている。三八通の桐生佐野氏関係文書を蒐集し、分析されたことには敬意を表する。なお「常陸遺文」や「新居氏文書」中の宛所鹿島氏や桐生氏を仮名・官途から元は佐野苗字が書かれていたと推論しているが、文書の伝来論からも詳述されるとより理解しやすかったというのが感想である。
 Hは戦国期桐生地域の林業資源の利用状況と地域の生業のあり方を扱ったものである。木材を切り口として、桐生川流域の諸村のように村単位で領主に課役負担をする場合と、仁田山衆や小倉衆のように職能集団として領主の請負をしている場合とがあることが明からにされており、興味深く感じられた。
 Cは桐生仁田山地域の城砦を扱ったものである。核となる城を中心にいくつかの城砦で相互援助しながら地域を守っていく「地域城」を扱っている。「地域城」概念をより明確に打ち出してから論述されるとわかりやすかったというのが印象である。Dは桐生城の解説文である。
 Eはまず桐生氏研究が一九九〇年代後半の黒田・須藤両氏の一次史料を駆使した論考発表以降めざましい進展がみられたと主張する。次いで桐生佐野氏の成立、発展、没落を同氏関係文書を紹介しつつ詳述する。Aの論考と餅せて参照すると興味深い。なお[参考史料1]の発給者「藤原正綱」を佐野一族の可能性があるとしているが、宇都宮正綱とする考え方もあるので再検討を要しよう(佐藤博信「鑁阿寺文香覚音」『中世東国の支配構造』所収、思文閣出版、一九八九年)。
 最後に、本書の発刊を契機に、「おわりに」でも述べられているように、「新編桐生市史」の編纂が着手されることを祈念し擱筆する。


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