藤原喜美子著『オニを迎え祭る人々−民俗芸能とムラ』
評 者:鈴木正崇
掲載誌:「日本民俗学」251(2007.8)


 本書は、播磨の仏教寺院での修正会の最後に行われる鬼追い(鬼踊り)を通じて、人々がオニをどのように観念し担ってきたかを明らかにした報告集である。播磨の研究には喜多慶治の『兵庫県民俗芸能誌』があり、田中久夫・久下隆史などの仏教と民俗、修正会と鬼に関する業績も多い。先学を越える試みを本書はどの程度果たしたのかと問い掛けつつ内容を概観する。
 最初に、地獄の鬼や節分の鬼のような悪の表象と区別して、播磨では善き存在がオニであるとして本論に入る。全体は、第一章 播磨の鬼追い、第二章 オニを迎える村、第三章 オニを祭る人々、第四章 播磨とオニ、から構成される。播磨の鬼追いでは、大人が担う大鬼(親鬼)だけでなく、子供の務める子鬼が登場し、双方が厄除けと豊作祈願、大きな厄除けと小さな厄除けなど異なる役割や所作をする地域があるという。大鬼は本尊の観音の脇侍たる毘沙門天や不動明王の化身、小鬼は夜叉・羅刹、矜羯羅・制叱迦、または護法とされ、鬼は「脇侍」「眷属」或いは童子である。円教寺では鬼は乙天・若天ともいい、奥の院の側の護法堂に祀られ、鬼は鎮守の白山権現社で舞う。神積寺では山の神が鬼とは別に登場して奥の院へ参る。鬼は鎮守や地主神、山との関連が深く、オニはカミでもある。一方、鬼の演じ手は「鬼株」(蓮華寺)や「鬼子」(神積寺)といい、特定の家や地域の人々が世襲で務め、祭祀用の「鬼田」を持つ所もあった。鬼役は精進・潔斎して奉仕し、修験の家筋と推定される(三木市蓮花寺)。書写山円教寺の鬼係は、東坂に住む承仕役と六人衆で、承仕役を世襲で担う梅津家は赤鬼(若天・毘沙門)の子孫と言う。他方、修正会の鏡餅「鬼のおかがみ」の糯米は、性空上人誕生地という才(英賀西村)が提供する。書写山から流出する川岸の村で治水との関係が深い。
 本書では事例の記述に「鬼」の表記が残り、オニと鬼の峻別は難しい。オニは民俗概念で両義性を持つ。漢字の鬼を充てれば中国風の観念が入り、悪の観念が強まる。鬼が仏教化して修正会に組み込まれれば本尊に従属し、各地で土着化して民俗のオニ・カミと混淆し、神仏分離で錯綜し一部は神事化した。鬼の子孫と呼ばれる人々が修験と関わり、承仕・堂衆・堂童子として修正会を担う事例が各地にあることは既に多くの先学が指摘している。本書の事例は興味深いが、修正会の研究(佐藤道子『悔過会と芸能』法蔵館)、鬼を巡る膨大な学説史(小松和彦編『鬼』河出書房新社)、鬼と芸能の議論(松岡心平編『鬼と芸能』森話社)等を再検討して更に考察を深める必要がある。


詳細へ 注文へ 戻る