菅谷務著
『近代日本における転換期の思想−地域と物語論からの視点−』
評 者:西村 健
掲載誌:「地方史研究」329(2007.10)


 本書は、近代茨城地域史研究会で活躍されている著者が、一〇年の間に発表された論考を一冊にまとめたものである。本書の内容は、近世後期から昭和戦前期に至る転換期に発生した思想=「物語」を、発生の現場である水戸藩および茨城県という「地域」を軸として考察したものである。
 本書の構成を示すと以下のようになっている。

 序 章 本書の視点と構成
  第一編 「国体論」から「国民国家」へ−加波山事件前後−
 第一章 『新論』における国体論の位相−転換期の言説−
 第二章 思想史的事件としての加波山事件
 第三章 峰間信吉と南北朝正閏問題−ある教育者が生きた「国民国家」という物語−
  第二編 「国家」と「超国家」とのあいだ−血盟団と農本主義−
 第四章 血盟団と五・一五事件の思想史
 第五章 橘孝三郎に見る時代と煩悶−受験と神経症の時代−
 第六章 橘孝三郎に見る農本主義思想の位相−聖なる「農」という「物語」−
 第七章 橘孝三郎に見る超国家主義思想の位相
     −「マゴコロ」と「アラヒトガミ」による人類の救済へ−
 あとがき
 初出一覧

 構成からも明らかなように、本書では国家主義的な知識人とその思想が多く取り上げられているが、著者は彼らを既成の秩序のなかに確固とした居場所を持たない「欄外人」と規定し、国家を自己の存在根拠とすることを典型的に体現するタイプとして取り上げている。後世の我々から見れば「おぞましい」ものに見える彼らの「物語」を、従来の価値判断にとらわれず、現代の問題を念頭に置いて分析している事が本書の優れた点である。
 著者の分析方法の特徴は、思想そのものの分析の前に、分析対象の人物の生い立ちや社会背景を精緻に分析することにある。例えば第二章では、加波山事件の蜂起者二〇名の生年・属籍・学歴・職歴の分析から、彼らを体制の解体期と確立期のあいだに自己形成期をむかえ、知識層でありながら一定の社会の秩序には属さない「境界人」と位置づけることにより、「国民国家」を「理念」にまで高め、その実現に献身しようとする彼らの思想の特性を明らかにしている。また、第二編では、従来「理解不可能」とされてきた橘孝三郎の思想を、彼の青年期におけるトラウマと「回心」に到るまでの経緯を分析することにより、自己のトラウマを癒すための「原理主義」的な思想であったとする新しい視点を提示することに成功している。
 あとがきには、オウム事件や9・11自爆テロ・歴史教科書問題などがこれらの論考を書く契機になったと書かれているが、本書は戦前のテロリズム等の諸問題から現代の問題を捉え返した好著であり、多くの人に一読をお勧めしたい一冊である。


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