黒石陽子著『近松以後の人形浄瑠璃』
評 者:富田康之
掲載誌:「国語と国文学」1007(東京大学国語国文学会 2007.10)


 本書は著者黒石陽子氏の凡そ二十年に亙る浄瑠璃研究を纏めたものである。発表時期は昭和六十一年から平成十八年まで、序章の書き下ろし一編と既出論文一八編より成る。全体は第一章「近松門左衛門の作劇法−近松の人間観−」、第二章「近松没後の竹本座と豊竹座の作劇法−伝承の解釈と時事の取入れ−」、第三章「文耕堂の作劇法−奇抜な発想と歴史へのまなざし−」、第四章「最盛期浄瑠璃の作劇法−先行作品の解釈と趣向の充実−」、第五章「近松半二とその後の展開−個の発見−」で構成される。序章に「本書は、天和三年(一六八三)上演の近松門左衛門作『世継曾我』から、寛政十一年(一七九九)上演の近松やなぎ作『絵本太功記』までに作られた人形浄瑠璃の時代物作品の内いくつかを対象として、初演当時、それらがどのような意味を持ったものとして作られたのかを明らかにしようとするものである」と述べる。しかし書名が意味すを所は、近松以後の人形浄瑠璃に関する論考を単純に寄せ集めたというものではない。各章は全体を通して時間軸に沿って構成され、江戸期における古浄瑠璃を除いた当代浄瑠璃の通史的側面が意図されていることは明らかであろう。また、章毎の各論はそれぞれが独立しているものの、サブテーマ的な視点が仕組まれ、緩やかな統一が目論まれている。例えば第一章は「老母像」、第三章は「木曾義仲」、第四章は「義経」、第五章は「親子関係」という様に各論が重層的に構成され、その結果論証の厚み、説得力の水準が極めて高いものとなっている。

 以下、具体的に見ていきたい。第一章は第一節「近松の人物造型(副題略、以下同。)」、第二節「『国性爺合戦』考」、第三節「『国性爺合戦』試論」、第四節「『用明天王職人鑑』における仏教の救済」、第五節「近世演劇と『曾我物語』」より成る。第一節は先行作品中の登場人物の立場や内面に対し、従来気付かれることのなかった点に近松が着目し、その人物達に近付き寄り添おうとする発想を指摘する。第二節では、従来錦祥女を中心に読み込まれていたものを、老母倒の視点を持ち込むことにより作品の豊かな読みを展開してみせた。第三節は『国性爺合戦』の老母像の背後に女性教訓書を想定し、『列女伝』を基に分析を試みる。次に『国性爺合戦』以前の近松の母親像の変遷を曽我物等を扱いながら辿り、『国性爺合戦』の老母像がそれ以前と異質である点を指摘した。第四節は、近松が謡曲『道成寺』を『用明天王職人鑑』でどのように書き替えたかという問題意識で展開した論で、仏教が人間の救済と必ずしも結びつくものではなかったこと示したと説いた。第五節は『曾我物語』の近世演劇化という問題を前提として、『曾我物語』と近松の曾我物との関係を分析し、近松が切り開いた近世演劇の可能性を示そうとしたもの。

 さて、第二節、第三節では『国性爺合戦』の老母像が考察の対象とされ、曽我物等に描かれる老母像と『国性爺合戦』の老母像が質を異にしている点を指摘してみせた。しかしその質的差異の原因が、老母像が変遷した結果なのか、あるいは『国性爺合戦』独自の問題によるものなのかについては言及されていない。私は以前、近松と海音作品における「忠義」・「忠」・「忠節」等の使用例を調査した折、『国性爺合戦』における使用例が他の近松作品と比してかなり多いことに気が付いた。原因は対外国意識と思われるのであるが、その為に老母が教義的な設定となってしまったと考えている。このことは著者が第三節で老母像の背後に女性教訓書を想定されたことに通じるものがあると思われる。しかしながらそのような設定は、謂わば海音的な造型方法に近いものがある。従って近松の評価にも絡んでくる問題と思われるのであり、是非言及して頂きたい点であった。

 第二章は第一節「『工藤左衛門富士日記』小考」、第二節「『大仏殿万代石楚』考」より成る。第一節は『工藤左衛門富士日記』に扱われた鶴殺しの趣向について、享保期の吉宗による放鷹制度復活との関連性を指摘し、曾我物作品中に取り込まれた意味を探ろうとするもの。近世期に流布していた頼朝が金札を付けた鶴を放したという逸話と作品中の設定である「鶴岡八幡宮に鶴が放し飼いに」されている点に着目し、享保期の鷹狩りと鶴の問題を分析することにより『工藤左衛門富士日記』に近世期の実際(=当代性。具体的には頼朝に八代将軍吉宗を暗示させる点)が取り込まれていると指摘した。更にこの方法は、近松が曾我物を作り上げる中で獲得した方法に則った作劇法であったと推定した。第二節では、『大仏殿万代石楚』を近世演劇における景清像の一つの基盤を確立した作品として捉え、その成立過程を辿り、更にこの作品における景清像が持つ意味を考察したもの。先行する景清物の二系統(大仏供養系と日向系)の流れに沿い、その系統の特色を明らかにする。次にその二系統が融合される様相を『蓬?源氏』を取り上げて分析し、その上で『大仏殿万代石楚』の景清像に迫る。その結果、「人間景清」の追及に徹した創作意識のもと、誇りと義に生き抜く景清像を結実させたとした。景清像を先行作品の展開の中に丁寧に跡付けながら、『大仏殿万代石楚』の位置を明確に規定した労作である。

 第三章は、第一節「『ひらかな盛衰記』論」、第二節『ひらかな盛衰記』序切の意義」、第三節「時代浄瑠璃における歴史解釈」、第四節「『御所桜堀川夜討』考」、第五節「浄瑠璃作者文耕堂の特色」より成る。第一節では、『ひらかな盛衰記』で扱われた木曾義仲・梶原源太景季・樋口次郎兼光の三人を取り上げ、『源平盛衰記』との相違を分析し、文耕堂に救済と鎮魂の視点を見出す。更に勇士に仁の資質を付与している点、「運命の存在」の明確化という点も指摘している。全体的にみて、論として隙のない展開であり、読みも深い。本書における好論中の一つ。結論も妥当と思われ、特に説得力のある論であった。第二節は、『ひらかな盛衰記』における木曾義仲の人物設定の意義を考察するもの。義仲の謀反に対する解釈の変遷を分析し、都で狼藉する義仲像から、智謀の名将へと転換することを示し、その結節点が『ひらかな盛衰記』であったことを明らかにする。また義仲像は、作品全体に渡って、懸命に生き抜く人々の基調になっていることを分析した。この論考は義仲像の変遷を明快に析出し、その結果『ひらかな盛衰記』そのものの読みを極めて説得的に展開することに成功している。第三節は、時代浄瑠璃において歴史上の事実を逆転させる発想がどのように引き出されてきたものか、その発想の源なりヒントを究明しようとしたもの。その問題を明らかにするために木曾義仲を扱った浄瑠璃を中心として、通史、伝記、史学、軍書評判記を駆使しつつ考察した。浄瑠璃作品としては『きそ物かたり』(明暦三年以前か)から『蓋寿永軍記』(安永五年)までの十作品を扱い、三期に分けて考察する。まず第一期の浄瑠璃作品では、木曾義仲の悪逆ぶりを徹底する描き方がなされていることを示し、続いて同時期の歴史関係等の書物も悪逆者、朝敵、愚将という義仲像が主流であることを指摘する。第二期の浄瑠璃作品では、義仲を悪で貫徹させなくなった点を見出す。また、同時期の歴史関係等の資料を分析し、浄瑠璃作品と同様に義仲に対する評価が変化しはじめている点を明らかにする。義仲に対する解釈の広がりと多様性をこの時期に発見した。第三期では義仲が知略にすぐれた人物として描かれることを述べる。以上の考察から、浄瑠璃作者が歴史を記す各分野の資料を直接参考にしたとは断言できないとしながらも、観客と共有できる説得力のある設定が準備されていたはずであると主張し、近世における歴史や伝承に関する側面からの検討の必要性を説く。第二節が説得的な論考であり、それを受けて発展させている分、広がりと深まりがしっかりと見て取れる考察となっている。歴史等の周辺資料を博捜した労作であることは言うまでもないが、歴史事実を転換させる方法が近世戯曲の中でも特に重要な作劇法であり、その問題解決の一つの糸口を明確に見出した点は多大な意義が認められると思われるのである。今後に俟たれる展望としては、この見通しをより確かなものにする為に、浄瑠璃以外の分野でもこの状況が並行的に展開しているかどうかを確認することであろう。浄瑠璃だけが単独でこの歴史把握の変遷と共振しているとは考えにくい。その共振の幅を他の分野に広げる考察が期待される。第四節は『御所桜堀川夜討』を取り上げ、土佐坊昌俊を始め主要登場人物を中心に先行作品との関係を分析する。第五節は本章で分析した文耕堂の特色を『三浦大助紅梅?』の分析を加えて補強し纏めたもの。

 第四章は第一節「合作期浄瑠璃が見出した「卿の君」」、第二節「朱の鳥居・玉垣と義経・狐忠信」、第三節「『仮名手本忠臣蔵』における刃傷事件脚色の方法」より成る。第一節では「卿の君」の描かれ方の変遷を辿ることにより、近松没後の合作期浄瑠璃の作劇法の一端を考察するもの。第二節は『義経千本桜』二段目口、伏見稲荷の段は、なぜ伏見稲荷の鳥居前が舞台とされたのかを論じた小考。第三節は、赤穂義士事件を扱う浄瑠璃・歌舞伎には『太平記』に仮託されたものと小栗判官に仮託されたものがあるが、『仮名手本忠臣蔵』が『太平記』に仮託することを選択した意味を、刃傷事件脚色の方法を検討する事により明らかにしようと試みた論考である。しかしこの論では『仮名手本忠臣蔵』が『太平記』を選択した意味を説明はするが、それが小栗系統を選択しなかったという積極的な理由には及んでいない。その点も含めての説明がほしい所であった。

 第五章は、第一節「『役行者大峰桜』考」、第二節「近松半二の描いた「文禄・慶長の役」」、第三節「「夕顔棚」とさつき」より成る。第一節では、『役行者大峰桜』は大友皇子と役小角を取り巻く、「天智天皇の実子は誰であったのか」を命題とする二つの「逆転」の局面が作品構造の柱となっていることを指摘し、分析を試みる。大友皇子の変心を実父との関係から論じ、更に壬申の乱勃発の必然性を有効にした方法とこの「逆転」とを結びつけて説く。また、役小角は天智天皇の実子と分かった後も変心することなく、更に聖者への高みに登ることを明らかにし、「故にこの二つの「逆転」が、この作品世界の天地を実に高いものにしているのである」とした。但し、敢えて言うならば、ここで役小角が「聖者への高みに登る」ことをもって「逆転」という用語で捉える点には賛同しにくい。同一方向へのベクトルが強化される訳であり、それをもって「逆転」の方法として敢えて纏める必要もなかったのではないかと思う。第二節では『山城の国畜生塚』・『天竺徳兵衛郷鏡』を取り上げ、組み合わされて作られた二作品の作劇法を分析することにより、異国意識を検討した。第三節では、『絵本太功記』における光秀の人物造型を捉える上で、作者の用いた手法をさつき(光秀の母)に焦点を当てることにより考察するもの。そこでさつきにはこれまでの浄瑠璃には描かれなかった「母という立場にあることについての幻滅や絶望」があるとし、それが近世の母親像から一歩踏み出した姿として捉えた。

 さて、著者は作品を読み解く観点として「第一 先行作品との相違を明らかにし、その相違の意味づけを行う際の視点を明確にすること。/第二 作者の作劇の特徴を見極め、作者の歴史解釈のあり方を探ること。/第三 人形浄瑠璃の背景にある民俗を意識すること。」の三点を示すのだが、特に第一、第二に関しては、その丁寧で丹念な分析姿勢、広い視野からの論述姿勢が著者の真骨頂である。
(とみた・やすゆき\北海道大学教授)


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