佐藤博信著『越後中世史の世界』
評 者:前嶋 敏
掲載誌:「日本歴史」713(2007.10)


 本書は書名が示すとおり、越後の中世に関して著者がこれまでに発表してきた論考をまとめたものである。所収論文は一九六九〜七六年の間に発表されたものであり、当時の学界状況からも考えられるように、在地領主制論を強く意識したものとなっている。
 まず目次を示す。

 第一章 越後奥山庄と金沢称名寺
 第二章 越後国三浦和田氏の領主制について
 第三章 越後応永の内乱と長尾邦景
 第四章 室町期の一国人領主像−中条房資記録の分析−
 第五章 「色部年中行事」について
 第六章 戦国大名制の形成過程−越後国の場合−
 補論一 「揚北衆」について
 補論二 戦国社会論ノート
 補論三 戦国期の一側面−洞について−
 補論四 奥山庄

 目次からもおよそ明らかなように、本書は鎌倉期から戦国期を通じての越後中世史を描く。
 第一章は、金沢称名寺の寺領の一つとして越後国奥山庄金山郷をとりあげ、鎌倉期からおよそ十四世紀までの伝領関係をたどる。その中で、鎌倉期においては北条氏との関係が強く影響していることを指摘する。
 第二〜四章は、十四世紀中葉〜十五世紀末期を中心に、三浦和田氏の在地領主制の展開について、とくに惣領制の解体〜国人領主制への流れに注目する。十五世紀において三浦和田氏は、惣領や庶子・親類といった血縁を軸とした関係から、それ以外の土豪層を取り込んで、被官化というかたちで全体を編成し直したとする。
 またこの時期の画期の一つとなる応永の大乱においては、長尾邦景が実質的な権利を得たものの、その権力は守護代をこえることがなく、それゆえに将軍足利義教の死、房定の登場によって否定されるとする。
 さらに「中条房資記録」を中条氏の歴史と室町幕府体制下における政治的事件という二種類に分類し、一族の歴史を記述すること自体が中条氏における領主制の動揺が大きな契機ではなかったか、とする。ここまでが十五世紀までの越後の領主制に関わる論考である。
 続いて、第五章では「色部年中行事」の分析を行う。この記録は「永禄年中」と題箋に記されるが、内容の分析からは十六世紀末期の所産であり、大きく六つに分けられる、とする。そして色部氏を頂点とする封建的秩序の中で完結するものの、座敷序列決定方法など、上杉氏領国制下の基本的構造と同様であることを指摘する。
 第六章は、越後における下剋上に関して国人領主連合「揚北衆」と戦国大名制の確立の関係という問題を掲げ、「揚北衆」が上杉権力に取り込まれていく過程をたどる。なお本章において、著者は「極限すれば、越後戦国史は上杉(長尾)氏史であ」り、それを打破する必要があるとして、「戦国社会論」の必要性をとく。こうした問題意識は著者がその後に発表された多くの論考にも影響していよう。
 補論一は、「揚北衆」が享禄・天文の乱の静謐によってその歴史的役割を終えており、その後の「揚北衆」は別の姿であるとする。
 補論二は、第六章に触れた戦国社会論を検討すべく「越後衆連判軍陣壁書写」に注目し、その解釈から十六世紀前半の牢人の発生・借銭行為等が連関する可能性を推定する。
 補論三は「洞」の記事に注目する。地域的なものとされていた「洞」を隷属度の強い人間集団に対する呼杯とし、戦国期の象徴的表現であるとする。
 補論四は、本書の主な舞台の一つである奥山庄の案内。
 これらの論考についてはすでに評価が定まっているところもあり、一つ一つについて述べる必要はないであろう。ここでは現時点で本書が刊行された意義について考えたい。

 著者は在地領主制展開の観点から越後の中世を検討する。三浦和田氏は、南北朝期の権力構造においては惣領制が重要な役割を果たしていたが、非血縁的な土豪層が広汎に成長した結果、十五世紀にはその土豪層を権力基盤のなかに体制的に被官化するようになった。さらに戦国大名制下では国人領主制概念は歴史的生命を終え、新しい概念として「領」が成立するようになり、そのなかで国人領は独立性の強い活動を行う、とする。本書の内容は個別荘園研究や在地領主制論がとくに盛んであった当時の研究状況と深く関わっている。
 ところで、一九七〇年代と現在で状況は大きく異なっている。とくに『新潟県史』や『上越市史』といった自治体史の刊行など研究状況の整備がなされてきたことは大きい。さらに、水澤幸一『奥山荘城館遺跡』(同成社、二〇〇六年)など、奥山庄域に関する発掘成果が多数見られるようになり、さらに発掘成果と文献史料との整合性を意識した矢田俊文・水澤幸一・竹内靖長編『中世の城館と集散地』(高志書院、二〇〇五年)が刊行されるなど、歴史学−考古学による学際的試みも行われるようになってきている。
 また本書が大きく依拠している資料は『色部氏史料集』(新潟史学会編、一九六三年)、『奥山庄史料集』(新潟県教育委員会編、一九六〇年)などであるが、その原本の多くにあたる「越後文書宝翰集」が近年新潟県立歴史博物館において公開され、研究条件は整ってきた。たとえば本書第二章、羽黒義成軍忠状の裏花押については、原本を確認することによってあらためて疑問点が指摘されるなどしている。
 このように細かな諸点において指摘すべき点は見受けられるが、それらによってその学史的意義が減ずるところはいささかもないものと思う。近年の新潟県中世史の動向を見てみると、中世後期、とくに戦国期の研究の充実が見られる。しかし、中世前期については高橋一樹氏の一連の研究などが注目されるものの、全体としては中世後期に比して不足気味の感がある。さらに戦国期についてみても、本書第六章での指摘「上杉(長尾)氏史」からの進展については今後も考えていくべきところがあろう。
 本書のように、越後中世の全体の流れを見通す研究の公刊が減少している状況においては、本書が刊行され、通して読み直されることが重要となろう。
 なお、本書は表題で「越後中世史」としているが、取り上げられている地域はほぼすべて下越、とくに阿賀野川以北、色部氏領・中条氏領である。下越は越後のうちにおいてもきわめて特異な位置を占めており、同様に中越・上越、さらには佐渡についても研究が深められていくべきであろう。越後中世史を学ぶものの一人として、本書の成果などを含め、今後さらに越後中世史研究が発展することを期待する次第である。
(まえしま・さとし 新潟県立歴史博物館主任研究員)


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