渡辺和敏著『東海道交通施設と幕藩制社会』
評 者:飯沼 雅行
掲載誌:「ヒストリア」201(2006.9)


 本書は遠江・三河両国をフィールドとして近世交通史における諸問題の解明に取り組んでこられた渡辺和敏氏が、前者『近世交通制度の研究』以降に発表された論考等を、主として収録したものである。第一部「街道と宿場」では旅人を支援した交通施設を論じ、第二部「関所と川越」ではそれと対極をなす旅の障害となる施設を論じている。

 第一部は以下の構成となっている。
 第一章「東海道の宿立と初期交通行政」は御油・赤坂両宿の成立事情を検討し、寛永元年に両宿が機能を開始したことで、いわゆる東海道五十三次が揃ったとする。
 第二章「二川宿の本陣役を継承した馬場家の経営」は、文化四年(一八〇七)に二川宿本陣を継承した馬場家の家計を分析し、継承後たちまち赤字に陥った馬場家が、本陣就任以前の「商人的才覚」の再発揮(質屋経営の再開)によって、嘉永期には経営再建を果たした姿を措いている。
 また附論1「本陣」は第二章の理解に役立てるために挿入されたものであるが、東海道筋の本陣の概略を知るには幸便である。
 第三章「新居宿旅籠の紀伊国屋」は新居宿最大の旅籠屋の経営拡大の過程を検証するとともに、旅籠屋の旅人への対応の具体像を明らかにしている。
 第四章「二川宿の本陣・旅籠屋と立場茶屋の係争」は二川宿の宿泊施設と加宿の大岩村の茶屋の対抗関係を論じている。本陣は茶屋を徹底的には排撃しなかったのに対し、旅籠屋には茶屋の存在が死活問題であったので、幕府の茶屋規制に乗じて素早く対応したことを明らかにしている。
 第五章「幕末における舞坂宿の宿財政」は舞坂宿の文久元年(一八六一)と慶応二年(一八六六)の宿財政の分析を行っている。片継ぎの宿駅という特殊な事例ではあるが、これまで東海道の宿財政の具体的分析を行った研究は多くないので、貴重な成果である。
 第六章「御油の松並木」は国指定天然記念物の御油の松並木に関する調査報告であり、今後の管理によっては幕末期の景観が復元可能であることを指摘している。
 第七章「秋葉信仰と秋葉道」は遠江国内にいくつも存在した秋葉道を紹介するとともに、その発展が東海道交通に与えた影響を論じている。
 附論2「本坂通(姫街道)」はこの秋葉道と東海道の間を通る本坂通(姫街道)に関する小論であり、戦前の「姫街道論争」を再検討している。
 第八章「吉田湊から出航する参宮船」は東海道筋唯一の宿継ぎによらない海路である参宮渡海を運営してい
た吉田船町の吉田惣町における位置づけと周辺町村との争論を論じたものである。

 第二部は以下のような構成である。
 第九章「江戸時代初期の女手形にみる関所機能」は元和期の女手形を分析することで、設立当初の関所が人身売買による人口移動を阻止し、小農自立を側面から推進する機能を果たしていたことを指摘している。
 第十章「関所と口留番所」は関所や番所の存在形態とその現実的作用を総論的に論じたものである。
 附論3「旅の障害」は関所など旅の阻害要因を乗り越えて、庶民の旅が活性化した実態の一端を紹介している。
 第十一章「箱根関所の北方に配置された裏関所」はいわゆる裏関所の実態分析であり、個別研究として貴重なものである。
 第十二章「東海道天竜川渡船に関する諸問題」は家康伝説に由来する船勧進と渡船運営権の独占の実態とその崩壊を措く。
 第十三章「幕末における江戸周辺の関門」は幕末の政治状況に対応して設置された臨時的交通検閲施設である江戸の関門の実態を分析し、伝統的な検閲施設である箱根関所より厳しい対応がなされていたことを明らかにしている。

 以上見てきたように、本書は個別事例研究を集積したものであり、決して体系的なものではない。しかし近世の「旅」の研究は、近年さかんになりつつあるものの、まだまだ未解明な部分が多く残されている。膨大な蓄積を有する制度史研究と「旅」の実態解明を結びつけるためのひとつの基礎作業として、本書は意義があると言えるだろう。


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