落合 功著『地域形成と近世社会 兵農分離制下の村と町』
評 者:米崎 清実
掲載誌:「日本歴史」712(2007.9)


 本書は、村と町を対象に近世における地域形成を論じたもので、著者にとって『江戸内湾塩業史の研究』(吉川弘文館、一九九九年)に次ぐ二冊目の近世史研究の著書である。
 まずは本書の全体像を紹介するために構成を示そう。

  序 章
 第一部 村落の形成と土地所持
  第一章 近世村落の形成と土地所持
  第二章 近世前期村境争論の展開と絵図作成−境界をめぐる争論−
  第三章 多摩市域の飛地と入会地分割−地域の生成と意味−
  第四章 近世社会における土地所持権−境界を越えた土地所持−
  第五章 江戸近郊農村の展開と家の相続−地域維持運営のあり方−
  第六章 近世村落の自律性−地域運営と支配権力−
 第二部 近世町の成立過程−拝借地から町ヘ−
  第一章 中野村名主卯右衛門による拝借地の獲得
  第二章 新堀江町の成立過程と展開
  終 章

 本書では、南関東を対象に、近世初期における村落内の開発の実態、検地や村境争論を通じた村域確定の経緯、村落維持のための土地管理の問題、家相続と村役人制度に見る村落運営のあり方、名主による拝借地の獲得と町成立の経緯など、村と町が形成、維持、運営されていく実態と要件が明らかにされている。その際、近世社会の根幹をなす兵農分離制のもとで、幕府(領主)支配と地域の人びとの動向がどのように相互に影響していたのか、支配のための意志伝達システム、村落上層農民による身分上昇の動向、訴願を通じた地域の意志(民意)の反映のあり方、という近年の地域史研究の議論に留意しつつ考察が進められている。
 著者は、主に若手の研究者たちが参集して、関東地方の近世史研究を進めている研究団体、関東近世史研究会の委員として会務をリードしてきた一人である。それゆえ、本書においても、関東近世史研究会で従来取り組まれてきた村運営や家意識、由緒など、注目されるテーマや最新の論点が随所に盛り込まれている。
 また、本書に収められている多くの論考は、著者が各地の自治体史の編纂や博物館活動に携わった中で研究された成果である。関東地方の多くの自治体では、何らかの枠組みが近世に形成された村落や町を嚆矢としている。その点で本書は、地名や市域の由来、地域開発の状況、さらには近年の町村合併の問題など、多くの地域住民の抱く身近な疑問や興味関心に応える内容にもなっている。
 つまり、本書は、地域住民の抱く身近な歴史的な関心事が、最新の地域史研究の視点と手法を用いて説かれているものといえよう。

 ところで、地域とはある一定の区域のことで、その言葉自体に歴史的意味は伴わない。つまり、地域とはア・プリオリに設定されるものではなく、ある時代のさまざまな社会関係の中から意義づけられるべきものといえる。兵農分離制のもと、幕府(領主)と民衆がどのように相互関係をもっていたのかという視点に立ちつつ、本書で明らかにされた村と町の形成、維持、運営の実態と要件は、南関東における地域形成の特質を表している。本書のような研究の積み重ねが、近世の地域形成の特質を明らかにしていくに違いない。
 しかし、幕府(領主)と地域民衆との相互関係を追求すればするほど、地域そのものの質の問題から乖離していく。たとえば、村落の事件解決をめぐる村と幕府の対応や新堀江町の認可をめぐる中野村名主と幕府の詳細なやりとりは、本書における最も興味深い部分の一つである。ところが、その相互関係が、兵農分離によってもたらされた身分制社会の独自な支配のあり方や意志決定のあり方という点に収斂されてしまうと、村落内外をめぐる事件解決の構造や江戸周辺村の人びとによる町地獲得や江戸の拡大といった地域そのものの歴史的意味ヘアプローチする視点が後退していくのではなかろうか。さらに地域内に存在する諸身分への視点も欠かせない。地域とは取り扱う素材としての地域なのか、目的としての地域なのだろうか。村や町の形成、維持、運営を分析したうえで、改めて地域(村と町)そのものの質に立ち返って論じて欲しいと考えてしまうのは、本書に村する無い物ねだりだろうか。
 本書では、史料や史料から析出されたデータに基づく実証的な積み重ねにより、村と町をめぐる地域形成のあり様を浮かび上がらせている。安易に論理に流されることのない地に足の着いた考察は、本書を読んでいて最も心地良いところであり、学ぶべき点は多い。本書は、各地の地方文書の調査に携わった著者ならではの南関東における近世地域史研究の一つの到達点であろう。
(よねざき・きよみ 東京都江戸東京博物館学芸員)


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