高見 寛孝著『荒神信仰と地神盲僧』
評 者:西岡 陽子
掲載誌:「日本民俗学」250(2007.5)


 本書は荒神信仰をめぐって、地域差を軸としてこれに関与した宗教者とくに地神盲僧の関与を注視しつつ考察を試みたものである。冒頭に「民俗の地域差を明らかにした上で、その地域差をこえて存在するところの共通性を明らかにする」と著者の比較民俗学的問題意識が掲げられ、広範囲に伝承されていること、その地域差が顕著であることという条件を満たす事象として荒神信仰が選ばれている。荒神信仰の複雑多様さはいうまでもない。著者はまずその膨大な先行研究の森に分け入り、問題点を整理した上で、未だ明快な解が得られていないのは、荒神信仰の多様さの原因の一つとして宗教者の関与が早くから推定されているにも関わらず、具体的に宗教者を取り上げた考察が稀なせいだと指摘している。 本書は、以上のような問題意識のもと、荒神信仰の実態を盲憎が関与している地域、あるいは盲僧の活動の跡をたどることのできる地域におけるフィールドワークをもとに考察されている。地神盲憎が近代まで活動した地域は九州と山口県一帯で、北部九州の玄清法流と南部九州の常楽院法流の二つの組織がある。本書には、玄清法流の盲憎が活動した地域の中の長崎県平戸市、山口県萩市が主たるフィールドとして取り上げられている。

 内容は三章に分かれ、第一章は「宗教者と民俗と」として、盲僧の概要と荒神信仰の関わりが二節にわたって詳述されている。が、ここで目を引くのはむしろ、平戸市猪渡谷における様々な宗教者と信仰伝承の関わりを述べた第一節である。この地域では、かつて盲憎が関与していたが、その退転後に種々の宗教者がこれに代わって活動している。ここで明らかになるのは、荒神祭祀に関わる宗教家の変遷とそれに伴う伝承の変化である。それはたんに一方的な宗教家の関与によるというよりは、地域住民と宗教家との葛藤の結果であると著者は観る。第二章、第三章は、長崎県平戸市、山口県萩市をフィールドとして、荒神信仰の地域差および地域差を越えての共通性が追求される。ここでも、地域差を生み出す要因として、宗教者と地域住民との葛藤が注視され続ける。
 全体を通して通定してるのは、徹底した地域社会の伝承に即した事例研究で、著者の二十年余にわたる緻密なフィールドワークの成果がここにある。その丹念な事例の提示を通して著者は、単なる事例の羅列に陥ることを入念に避け、慎重で入念な考察をもって地域社会と宗教者の相互関係を丹念につむぎだそうとした。副題に「柳田國男を超えて」とあるのはそのような意気込みと覚悟の表明であろうと思われる。


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