関東取締出役研究会編『関東取締出役』
評 者:宮坂 新
掲載誌:「風俗史学」34(2006.3)


 本書は、関東取締出役研究会(代表・多仁照廣氏)が二〇〇四年八月三十日に江戸東京博物館において開催したシンポジウムの成果を一書にまとめたものである。
 関東取締出役は「八州廻り」とも呼ばれ、文化二年(一八〇五)に幕府代官の手附・手代の中から任命された役職である。関東は幕府領・大名領・旗本領が複雑に入り組んでおり、このことが無宿・悪党などの取締りにおいて大きな弊害となっていた。その点を克服するため、支配の別に拘わらず踏み込んで無宿・悪党を捕縛する機能が与えられたのが、関東取締出役である。さらに文政十年(一八二七)には、その下部組織として改革組合村が編成された。
 関東地域に残る近世後期の史料を見ると、関東取締出役が地域と密接に関わり、様々な活動を行っていた様子が窺える。しかし、関東取締出役という役職の全体像については、これまでほとんど未解明であった。本研究会はこの問題の解明を目指して設立されており、本書はその活動成果の集大成と言えるだろう。なお、本書の構成は以下の通りである。

 刊行にあたって(多仁照廣)
 関東取締出役シンポジウム開催にあたって
 関東取締出役設置の背景(田渕正和)
 文政・天保期の関東取締出役(桜井昭男)
 幕末期の関東取締出役(牛米努)
 関東取締出役の定員・任期・臨時出役・持場(牛米努)
 天保期以降の関東取締出役一覧(牛米努)
 あとがき
 関東取締出役・改革組合村関係文献目録

 本シンポジウムは、関東取締出役の創立期・確立期・変質期という三つの時期区分を設定し、各時期における特質と変化を明らかにすることにより、取締出役の全体像を把握しようとしたもので、当日の報告を基に執筆されたのが田渕・桜井・牛米三氏による三本の論文である。以下、内容を簡単に紹介する。

 田渕論文は、右の時期区分のうち創立期に注目したもので、関東取締出役の設置を、評定所における公事吟味業務の停滞とその対応という視点から検討したものである。また、これまで特定されていなかった取締出役設置の発令文書についても詳細な分析によって明らかにしている。
 桜井論文は、主に確立期に注目したものであるが、その検討範囲は取締出役の設置当初にまで及んでいる。桜井氏は取締出役の職務のうち特に「教諭」に注目し、廻村・教諭を行い請書を取る、という統制方法が、改革組合村の設置による触伝達体制の成立により、容易かつ確実になつた点を指摘した。さらに天保期の組合村体制の安定化により、取締出役の活動に変化が見られる点を指摘している。
 牛米論文(「幕末期の関東取締出役」)は、取締出役の変質期に注目したもので、文久期から廃止までの時期を主たる対象としている。先行研究では、この時期の変化として@組合村の武装化と、A取締出役の情報収集活動が指摘されており、牛米氏はこれらの変化を関東地域の取締体制の変遷に位置付けて論じている。

 三氏の研究により気付かされるのは、関東取締出役の職務内容や性質が、各時期によってかなり異なるという点である。また牛米氏の「関東取締出役の定員・任期・臨時出役・持場」によれば、定員・任期などにも各時期の特質を反映した変遷が見られる。この点から言って、関東取締出役の時期的変化に注目して全体像を把握しようとする本書の試みは成功していると言えるだろう。なお本書には、牛米氏による「天保期以降の関東取締出役一覧」、および関係文献目録も収められている。これらは基礎資料として大変便利なものであり、古文書解読や史料調査の参考文献としても役立つことは間違いない。
 最後になるが、本研究会は一九九四年に『関東取締出役道案内人史料−下総国相馬郡守谷町飯塚家文書−』という史料集も刊行している。本書と共にこの史料集も、関東地域の近世・近代史を研究するすべての方々にお奨めしたい。


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