渡辺尚志編『藩地域の構造と変容−信濃国松代藩地域の研究−』
評 者:深谷 克己
掲載誌:「歴史学研究」817(2006.8)


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 本書は,松代藩領域関係の10本の論考を集めた若手研究者中心の論文集である。このような形にまとまった経緯については,中心というより端的に言えば指導の立場にある編者の渡辺尚志氏が「あとがき」で説明している。一つは2004年度のサマーセミナーの報告,もう一つは科研補助金による地域比較研究の成果の一端である。本誌がこれを書評対象に選んだのは,サマーセミナーの若手報告集とか科研補助金での研究成果というのではなく,おそらく近年の近世史研究において一つの盛り上がりの観を見せ始めている藩研究の流れに対して,本書が全体として新しい問題あるいは方法の提起を試みているものと受けとめられたからだと思われる。したがって,書評として求められているのは,個々の論考を順番に批評することではなく,言及するとしても藩研究にどういう有効な提言をしているかを考えることであろう。

 そのことを断った上で,本書の内容を目次にそってかんたんに紹介する。序章は,渡辺氏の藩研究論と松代藩概要,収録論文要旨である。第一編は「訴訟にみる藩地域の特質」という編題に対応する7稿からなる。第一章「大名家文書の中の「村方」文書」(渡辺尚志)は,大名真田家文書が「大量の村方文書」を含んでいる点に注目し,入会争論から展開した村方騒動と江戸訴訟に対して,藩がどのような利害意識から裁許を進めたかを考察し,近世の領主−百姓関係の特徴と,その変容方向を解明しようとしたものである。第二章「村方騒動からみた領主と百姓」(渡辺尚志)は,騒動にあたって藩は明確な理非判定を避け,扱人をおいて関係修復と村方和合を第一義に領主百姓の「暗黙的協同関係」の持続を図ったが,後期にはそうした内済方式を拒否して明確な裁許を求める動きが現れることを紹介し,近世的支配体制の緩やかな解体の兆候を指摘したものである。

 第三章「近世後期における領主支配と裁判」(野尻泰弘)は,田畑譲渡一件を取り上げ,内済を不可欠とする近世裁判制度は事実隠蔽・虚偽陳述が随伴し,吟味過程では藩役人の暴力と洞喝,百姓側の強情な主張が交錯する様相のなかで領主支配の貫徹が図られたことを明らかにしようとしている。第四章「近世後期松代藩の村役人と処罰」(重田麻紀)は,村間の境目争論を取り上げ,藩役人が権威の維持のため刑法典に準拠して量刑を模索し,扱人が村と村,藩と村の関係を配慮して穏当な解決につとめたことを明らかにしようとする。

 第五章「文化・文政期の松代藩と代官所役人の関係」(福澤徹三)は,藩領幕領間交渉では交渉ルートがいくつもあり,百姓側が相当な知識を持って交渉を進め,藩領幕領役人は相互利害を配慮しながら穏便に解決させようとつとめたことを論証しようとする。第六章「松代藩領下の役代と地主・村落」(小酒井大悟)は,役代という地主代理人について,地主がその人事権をふくめて村側の力に規制される状態を明らかにしようとする。第七章「松代藩領の盲人」(山田耕太)は,差別される盲人組織が新たな差別意識を生み出すこと,座頭と飴屋が集団を作って由緒を語り身分的上昇と権益確保を図ること,当道座と領民・藩権力との関係など地域的な実相を解明しようとする。
 第二編「藩地域の多彩な展開」には3稿が収録され,おおまかに言えばいわゆる上部構造的な問題が対象にされる。第八章「元禄・享保期松代藩の家中意識」(綱川歩美)は,一藩士を取り上げ,武士固有の身分意識を自己鍛錬のように形成していく過程を明らかにしようとしている。第九章「宝暦期松代藩における学問奨励」(小関悠一郎)は,江戸から招いた儒学者と受容する藩士の関係を検討し,藩士層が学者の学説を拝聴するだけでなく藩政改革の課題の中で主体的に吸収していくことを論じている。第十章「大名家を継ぐ」(佐藤宏之)は,能力のある異姓養子を藩主後継者に迎えようとする動きから,幕藩・藩々関係についての政治的状況認識,藩体制に対する中下級家臣層の期待を明らかにしようとしている。

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 上のような松代藩研究書のタイトルを「藩地域の構造と変容」とした理由,ことに「藩地域」という表現を用いた根拠,積極的に言えば自負については,現在の藩研究の状況に対する編者の見方からうかがうことができる。近年,「藩世界」(岡山藩研究会),「藩社会」(尾張藩研究会)というような用語を用いて,藩政・藩制・藩領域社会・領外藩邸活動・幕藩関係・他藩関係などを総合的にとらえようとする研究機運が活発になってきているのは周知のとおりである。渡辺氏はそうした動きを十分承知しており,それらに対して批判というよりは,これまでの地域社会研究の実績という立脚点に立って,独白の視座と対象を打ち出そうとする。その結果,選ばれたのが「薄地域」という表現である。渡辺氏の研究軌跡からすると,たいへんよくわかる概念選択であって,奇をてらう要素はみじんもない。

 独自の立脚点は,序章の「藩研究の現在」で研究史を論じる中で次第に明らかになる。藩政史研究は1980年代まではおおむね幕藩体制の原理のようにみなされる要素がどこまで大名領に貫徹していたかを検証することに比重がかかりすぎ,藩世界に存在し生起する現象の側から幕藩体制認識を拡充していくという姿勢が弱かったというのが,「藩世界」論にせよ「藩社会」論にせよ,共通した研究史認識である。渡辺氏はそれに同調し,「職制機構」中心にとらえず,家中・領民をふくめて広くとらえ,「諸集団の織りなす諸関係の総体」として藩を理解し,「藩領をまたいで存在する諸集団や,藩領内外の相互関係」まで視野に入れるという「藩世界」論の見地を,「現時点での藩研究の方法論上の到達点」であると認める。だが,渡辺氏の狙うところは,その先であって,研究史の現状をそのまま土台にするつもりは毛頭もない。本書の藩研究論は長文ではないが,じつはたいへん挑戦的なのである。なぜなら,古い総合研究型の藩政史研究に対してのみ批判の見地に立つのではなく,現在の研究水準だと認める岡山藩・尾張藩研究会などの「藩世界」「藩社会」論などの藩研究論に対して,異なる藩研究論を打ち出す必要を提言するものだからである。「藩地域」という表現は,本書の独自性の強調であり,また立脚点の明示である。

 独自性の核心は,「体系化」をはかるには,「核心的なテーマ」を設ける必要があるという主張である。「藩世界」「藩社会」論はこれとはかなりちがっており,そこが立場の違いになるだろう。本書は,「核心的なテーマ」のことを,もう一つ「軸」という言葉で表している。第一編が,渡辺氏の言う「軸」を設けた藩研究である。本書では,「軸」は「訴訟関係史料の分析」である。これによって「領主−百姓関係を基軸とした近世社会の特質」にせまるということである。これは,たまたま松代藩政史料の中に村方の訴訟一件文書が豊富に含まれているという好条件を活かしたもので,藩によって「軸」は変化させてもよいという考えである。そして「軸」を中心に多様な諸問題を織り交ぜて認識の幅を広げていくべきだというのが本書の姿勢である。「広い視野を擁しつつ,山は高く聳えている必要がある」というやや高邁な宣言は,藩史研究にあっては「軸」になるキーワードを掲げて分析対象にせまるべきだという主張であろう。

 「軸」を設定することは,研究グループで合意できればたしかに成果は大きなものになることが期待される。ただ,研究会,研究グループの活動スタイルを規制する条件の側から考えると,全員を稼働させるような「軸」の設定はむつかしいことである。せいぜい大まかな申し合わせ,留意すべき点の共有という程度にしかならないのが普通であろう。緩やかな共同研究体制の中で合意できる課題研究の可能性を探るというのが現実的な選択であろう。

 渡辺氏は,藩研究は,「何でもあるが本当に欲しい物は何もない」というような「何でも揃う大型スーパー」ではなく,「行列のできる専門店」をめざすことを強調する。「専門店」のところが,本書では訴訟分析から社会関係の特質をとらえるという目標に当たる。一方では,せまい課題の明示だけを目標にするのが「藩地域」論ではないことも言おうとする。「あとがき」では,「藩地域」について再論し,「藩領域の内外」に展開する「武士一百姓関係」,「都市−農村関係」,「諸身分集摺問の相互関係」,「身分集団内の階層関係」などの多様な総体を,「政治・経済・社会・文化・思想・意識などの各領域」にわたって,具体的にまた理論的に把握するために設けた概念,これが「藩地域」であるともいう。そのためにも「軸」の明示が大事という関係を主張したいのであろう。

 渡辺氏は雄大に構想する。本書で提起した「藩地域」論は,「地域社会論と藩政史・思想史・都市史・身分論などとの架橋・総合化の試み」であると言う。ただ実際になしえた本書の成果については,渡辺氏は反省点をあげ,「藩地域概念にも実質的な中身が詰まっていない」とし,「共同研究の継続」と次の「分析基軸」の設定を約束している。渡辺氏は,元来は「地域社会」論の視座から,近世の村と農民の変容を丹念に追跡してきた研究者であり,藩研究への視角は,領主−百姓関係をとらえる一つの方法論である。藩研究はこの意味では,渡辺氏にとって必須の要件ではないが,藩領域が百姓の世界をおおっている地域社会では無視できない分析対象となる。藩権力・幕領代官権力・旗本領主・寺社領主のいずれであっても,地域社会論に「領主権力」を組み込むことは,すでに『近世地域社会論』(岩田書院,1999年)などで,制度と運動のダイナミクスを描く試みがなされており,本書が,その延長線上にあることも明言している。

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 渡辺氏にとっては,藩研究は上に述べたような比重を持つが,分析の「軸」を立てて,「藩領域」において「生起する諸問題を総合的に扱う」ことは,ほかでもなく,「近世社会のトータルな把握にいたる有効な接近方法」であるという主張は,十分に意義のある発言である。それを試みた本書が,編者の謙遜はともあれ,本誌の書評に取り上げられる根拠はそこにある。

 このことは藩史研究にとっては重要なことである。藩研究の可能性を,限定された地域空間の歴史だけにとどまるものと考えるか,「近世社会のトータルな把握」のための有効性を持つと考えるかは,姿勢においてほとんど反対側にある。多くの藩が研究対象になっているが,地方としての藩史にとどまっている実際は少なくない。大量の藩政史史料に恵まれる場合は,藩史研究はある種の充足感を与え,かえって近世史の全体像へ想像力を伸ばすことをとどめられてしまう怖さがある。この意味で「藩地域」論の抱負は貴重としなければならない。この点では,「藩世界」「藩社会」論も同じ方向を向いている。藩史・藩領域を対象にするが,「真の意味での総合研究」,言いかえれば,近世史の全体像の深化の方法の一つとして藩研究を行うということである。

 以上のように,学ぶ点の多い本書だが,先にも指摘したように,「軸」を設定するという鋭さが,逆に不安を抱かせる点でもある。このことは本書の構成にも反映されているように思う。第一編は「訴訟」という視角がすべてを貫いて,個々の結論はともかく,藩研究としてのまとまりを感じさせるが,家中意識・学問奨励・大名相続を扱った第二編は,「多彩な展開」という括り方になってしまう。「総合化」を目指す上での「軸」の考え方にいささか狭量なところがないかどうか,約束されている次の共同研究の成果をたのしみに待ちたい。


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