小川恭一著『徳川幕府の昇進制度−寛政十年末旗本昇進表−』
評 者:野本禎司
掲載誌:「地方史研究」328(2007.8)


 本書は、これまで『江戸幕府旗本人名事典』全四冊・別巻一冊(原書房、一九八九〜九〇年)、『寛政譜以降旗本家百科事典』全六冊(東洋書林、一九九七〜九八年)などを編集、刊行されてきた著者の小川恭一氏が、旗本昇進という事象に着目、そのデータを網羅的に収集し、幕府の昇進制度について考察を加えたものである。これまで著者が公刊してきた人名事典類によって五〇〇〇余家に及ぶ旗本家に関する基礎データを容易に、かつ効率的に調査できるようになった。本書頁数の半分を占める第二部資料編は、寛政期以前に旗本に昇進した一一四八名の履歴・出自などのデータを収めており、同様の性格をもっている。
 本書の構成は、以下の通りである。
 
 序文(笠谷和比古)
 第一部考察編
  寛政十年末現存家の御家人より旗本の身分移動
  付論1寛政三年以降旗本家認定の改革
  付論2御番入と部屋住勤仕者の切米支給
  付論3御三卿家臣の身分
 第二部資料編
  御家人より旗本への昇進表
  付表 旗本・御家人大概順

 本書の特色は、旗本に昇進した家を『寛政重修諸家譜』から網羅的に抽出したそのデータにある。単純な作業に思えるかもしれないが、著者ゆえに成しえたものといえる。それは、旗本の定義の問題に関係する。著者は旗本の定義を明確化したことで、御家人から旗本への昇進を判断するにあって曖昧であった様々な問題を検討、その結果として昇進者数を確定している。第一部考察編は、幕臣集団の身分・階層を考える判断基準の解明に精緻に取り組んだ論考を収録している。
 武家集団の内部構造を検討するにあたって基礎史料となるのは分限帳であろう。しかし、現存するまとまった幕臣集団の分限帳は数少なく、その身分・階層を解明するには史料的制約がある。しかし、これまで旗本家の人名事典類を作成し、数多くの事例を見てきた著者は、「班をすゝめ」という旗本家昇進を意味する史料用語に着目した検討や、「永々御目見以上」(旗本家認定に関する寛政三年の幕府法令の用語)などのキーワードを用いて「家禄万石以下(未満)で、家格として代々将軍家への御目見が許される家」と、旗本を定義する。代々御目見を許される家という点を重視することで、「役御目見」などは「一代旗本」として、旗本家とは認定しないのである。これによれば「御目見」は、御家人から旗本への身分上昇を直接示す判断基準とはならない場合があり、幕府役職に付随する「御目見」の問題等を検討したうえで身分上昇として認定する必要があるといえる。
 さらに、著者は旗本昇進前後の役職から、昇進しやすい役職や、昇進後の就任先の傾向について言及している。序文で笠谷和比古氏が述べているように「幕臣内部における身分的可動性の程度」だけでなく、「徳川幕府の役職体系における職位上昇の動態」を考えるうえで興味深い。
 また、付論2では御番入の基準、部屋住が御番入した際の切米支給基準について、付論3では幕臣の派遣によってその一部が構成される御三卿家臣の身分について検討している。いずれも研究蓄積が少ないため、貴重な成果である。
 以上のように、本書は、第二部資料編の有益な基礎データのみならず、幕臣団の内部構造を解明するうえで指針とすべき様々な基準が示されている。なお、著者は本書で提示した昇進家数を「私作」段階とし、選定に問題を残した家については、その理由とともに列記している。幕府行政を担った幕臣の内部構造については知られていない基礎事項が多い。今後、幕府官僚制や武家(幕臣)社会研究に寄与するところは大きいであろう。


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