西村朝日太郎著『海洋民族学論攷』
評 者:小川 博
掲載誌:「歴史研究」2006年12月号


 西村朝日太郎氏は早稲田大学・一橋大学・明治大学で文化人類学を講じてこられたが、漁撈文化を文化人類学的な課題とされたのは一九五七年初秋に桜田勝徳氏(当時水産庁水産資料館長)と意見を交わされて以来である。九州の有明海北部の干潟にみられるガタイタによる漁撈と潮の干満を利用するスツキイ(石干見)という石垣のなかの漁撈に関心を向けられ、有明海、豊前海、児島湾から沖縄の先島地域のカキイを調査され、さらにタイ湾沿岸、ジャワ島沿岸、中国大陸東南部海辺の干潟、干瀬の塗跳や跳白船などの漁撈民俗にも調査を広げ、はるか欧州のブリテン島西南部、北ドイツのブレーメンハアフエン近傍の海浜の泥状橇の入手にもつとめられた。それらの研究成果は国内の学術誌に寄稿されたが英文論文はハンガリーのベラ・グンダ氏の『世界の漁撈文化』(ブタベスト、一九八四年)にインドネシアの漁撈の海洋人類学的考察・とくにウオーレス線の社会科学的意義として寄稿されており、本書にのせられている。
 本書には論文として「沖縄における原始漁法」「潟文化の一徴表としての『跳白船』−『鳴榔』との連関において」「漁具の生ける化石、石干見の法的諸関係」「漁業権の原初形態−インドネシアを中心として」の他、漁船による漁撈方法の一つである「『潮帆』素稿」と科学的な立場よりの「潮帆の研究」、「東南アジアの漁撈文化調査随想」「バリ、東ジャワの漁撈形態」「セイロンの漁撈文化」「ベトナムの旅を終えて」「北欧の旅を顧みて」「滞米雑記」「南の国、南の人、八重山」「インドネシアの海の文化」にその調査の実情をのこされている。西村朝日太郎氏は一九九七年十月二十七日に八十八歳で逝去されたが、早大で一九一八年はじめて文化人類学の講座を開かれ、「文化人類学」の著作をはじめとして多くの人類学にかかわる著作をのこされた西村真次氏の子息であり、親子二代の文化人類学の学徒でもあた。本書には真次氏の早大での同僚であった「津田左右吉、人と学問」、同じく沈黙の哲学者関與三郎を追想された「一冊の著書もない碩学」の貴い一編もあり、八重山石垣島の学者「喜舎場永`と海洋民族学」の回想もある。西村朝日太郎氏は日本民族学協会の会務につくされた他は、文化人類学の研究に専念される生涯であり、本書も没後に筆者により編集されたが、『人類学的文化像』(吉川弘文館)『文化人類学論攷』(日本評論新社)『海洋民族学』(日本放送出版協会)と若年の頃の労作『馬来編年史研究』(東亜究所 一九四三年)が主なものである。


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