著者名:國 雄行著『博覧会の時代−明治政府の博覧会政策−』
評 者:関根 仁
掲載誌:「中央史学」30(2007.3)


  一、博覧会研究と『博覧会の時代』

 二〇〇五年、日本では国際博覧会「愛・地球博」が開催され、博覧会に注目が集まったことから、博覧会に関する出版物が数多く刊行された。
 「一九世紀は博覧会の時代である」という書き出しから始まる本書は、明治政府が開催した一八七七年の第一回から一九〇三年の第五回までの内国勧業博覧会を通じて明治政府の博覧会政策を分析した、初の「内国勧業博覧会史」である。
 これまでの日本における博覧会に関する研究は、著者によれば大きく五つに分類される。一つ目は、永山定富氏、山本光雄氏、また吉田光邦氏のグループに代表される概説的な研究。二つ目は、内国博の出品物を分野別・地域別に分析した研究(1)。三つ目として、清川雪彦氏に代表される経済史的な分析による研究。四つ目は、吉見俊哉氏に代表される社会史的な分析による研究。五つ目は、佐藤道信氏に代表される美術史的な分析による研究である。
 こうした研究があるなかで、著者は第一回内国勧業博覧会の開催についての論文を発表されて以来、内国勧業博覧会、明治前期の勧業政策に関する研究を積み重ねられ、今回、博士論文をもとに本書をまとめられた。
 著者が序章で述べているように、明治政府が開催した内国博は、日本の近代化に大きく貢献したことは言うまでもない。しかしながら、博覧会が様々な要素を含み、それ自体がとらえにくい存在のために、これまでは研究から放置されてきた面がある。そこで、著者は先行研究に欠如している、政府による内国博の運営状況の分析と、全五回の内国博を通してみる総合的な視野から、各回の特徴を明らかにし、そしてその分析から、内国博を通して明治時代を照射した場合に、何が見えてくるのかを提示している。
 本書の構成は次の通りである。

序章
第一部 内国勧業博覧会前史
 第一章 明治初期の博覧会
 第二章 ウィーン万国博覧会
 第三章 フィラデルフィア万国博覧会
第二部 内国勧業博覧会の開催と実態
 第一章 第一回内国勧業博覧会
 第二章 第二回内国勧業博覧会
 第三章 第三回内国勧業博覧会
 第四章 第四回内国勧業博覧会
 第五章 第五回内国勧業博覧会
第三部 内国勧業博覧会と明治の産業・社会
 第一章 内国勧業博覧会の出品物分析−機械工業の変遷−
 第二章 内国勧業博覧会の「内国」の意味
 第三章 内国勧業博覧会の終焉
終章

 構成を見てお分かりいただけるように、前史を経て、第一回から五回までの内国勧業博覧会の個別分析を行い、そしてそれをふまえた上で、内国博を通じて、明治の産業と社会がどのように見えるのかを分析した、「内国勧業博覧会史」となっている。
 文章は非常に読みやすく、口絵に掲載された様々な資料は、著者の前職(学芸員)の経験・視点が存分に生かされたものとなっている。

  二、各章の概要

 次に各章の概要を紹介する。まず第一部では、内国勧業博覧会が開催される前提として、明治初期の博覧会、そして内国博の模範となった万国博覧会への参加を見ることで政府の出品政策を検討した。
 第一章では、幕末に日本人が体験した一八六二年のロンドン万博、また日本人が初参加した一八六七年のパリ万博を通じて、博覧会についての情報の流入を述べ、続いて大学南校の物産会と文部省の博覧会を事例に明治初期の博覧会の「知見を広める」という性格を提示しながら、内国勧業博覧会との違い=出品物を比較検討して競争心を発揮させ、産業を奨励するという目的との違いのあることを述べ、明治初期に各地で開催された博覧会の多くが、古器旧物展覧会の性格を脱していないことを論じた。
 第二章では、明治政府が初参加した海外博覧会である、一八七三年のウィーン万博への日本参加を取り上げている。ウィーン万博については、これまで概説的・個別的な研究成果がすでにいくつかあるが、これらの研究には「政府レベルにおける出品戦略の分析が不足している」ことを批判し、政府による参加の戦略とそれにあらわれた出品物の種類を検討しながら、さらに会場における出品物に対する評価を分析した。
 第三章では、ウィーン万博に続いて開催された大規模な万博である一八七六年のフィラデルフィア万博への日本参加を取り上げ、先行研究の分析にも沿いながら、出品物の内容や現地での日本の評判について検討し、政府による万国博出品戦略を分析した。そしてウィーン、フィラデルフィアという二回の万博体験を基礎として、政府が本格的に博覧会事業に乗り出し、以後の内国勧業博覧会開催に影響を与えたことを論じた。

 第二部では、政府が開催した第一回から第五回までの内国勧業博覧会について、各回の開催目的、開催経緯、開会から閉会までの状況など、博覧会運営の流れを追いながら、内国博の実態を分析した。
 第一章では、第一回内国勧業博覧会について、それが内務卿大久保利通の建議により準備がスタートし、同省の勧業政策のなかで物産増殖プロジェクトとして、すでに海外で開催されていた博覧会事業に着目して、万国博覧会を国内版にアレンジして内国博を実現したことを論じた。そのなかで、政府による開催の経緯、出品物収集と出品者援助、府県レベルでの出品物収集、そして開催状況を分析した。そして内国博委員の報告、『府県勧業着手概況』の刊行、優良資源と人材の発掘など、内国博の勧業上の成果を挙げ、また褒賞制度やウィーン万博技術伝習の成果から、万博・内国博・地方博という勧業諸会のネットワークを論じた。
 第二章では、一八八一年に開催された第二回内国博の実態を明らかにした。第一回内国博終了後、大久保利通の建議により、政府は内国博を五年ごとに開催することを決定し、内国博を定期的な国家事業として位置づけようとしていた。そして、西南戦争を契機とするインフレーションのなかで勧業政策が縮小された状況下での開催であったが、出品数、入場者数などほとんどの分野で前回を凌ぐ結果となったことを論じた。具体的には、第一回内国博終了後の地方博覧会事業や共進会の開催・展開を述べ、そして第二回内国博の開催経緯と東京府を事例とした出品収集活動を分析している。そして出品数や内国博委員の報告などから開催の実態を明らかにした。
 第三章では、第三回内国勧業博覧会について、開催に先立って計画されたアジア博覧会の構想とマスコミの反応を紹介し、その挫折と段階的に縮小され、その名残として参考館が建設されたことを検討した。そして、第三回内国博の開催経緯、外国人の招待、入場者数が百万人を超えたものの出品物が大量に売れ残ったこと、出品者の関心が高まり、産業発展をはかる博覧会審査が、審査結果を不満とする訴訟の対象となってしまったことを分析しながら、内国博が社会に定着した面と同時に生じた多くの課題を論じた。
 第四章の第四回内国勧業博覧会では、内国博が社会に定着してきたことで、入場者がもたらす経済効果が期待されるようになり、初めて東京外で内国博が開催されたことに注目し、京都の実業界が京都復興策として内国博を誘致したこと、また第四回内国博が平安遷都千百年紀念祭の一環で開催されたことを論じながら、小林丈広氏他の研究に依拠しつつ、第四回内国博の開催そのものを分析した。具体的には、内国博誘致運動や紀念祭と内国博開催の準備過程での京都における衛生事業、道路整備、観光資源や施設の整備事業を論じ、そして先行研究で欠如している第四回内国博自体の分析を行い、入場者の動向、出品物の状況を検討した。これらのことから、内国博の効果と準備の成果を挙げ、京都実業界が内国博を利用して何を実現したのかを明らかにして、四回目を迎えた内国博では産業奨励の他に経済効果が重視されるようになり、準備過程での都市整備などに機能したことを論じた。
 第五章では、まず日清戦争の勝利と条約改正を契横として万国博覧会開催へと世論が盛り上がる点、また、九鬼隆一や大隈重信による万国博開催論とマスコミの論調を提示した。そして第五回内国博の開催経緯、準備過程を分析しながら、吉見俊哉氏、松田京子氏による先行研究(2)をふまえて、博覧会の娯楽化と台湾館の設置経緯・意図を明らかにした。また第五回内国博では、初めて外国出品を招致したことから、その過程や外国出品を展示した参考館、外国独立館の状況を論じ、西洋諸国にとって日本が自国製品を売り込む新たな市場となったことを指摘した。そして開催状況の分析により、大阪経済界にとって、内国博が景気回復の活路となり、入場者のもたらす経済効果、会場内のイルミネーションや遊戯施設に目が奪われるようになり、博覧会が都市活性化の手段として重要視されていくと論じた。

 第三部では、第一回から五回までの内国博の開催実態を明らかにしたことをふまえて、内国博を通じて明治時代を照射したときに何がみえてくるのかを論じた。
 第一章では、内国博の機械出品に着目し、各回の機械出品状況の分析と、機械の部の審査官による審査報告をもとに、機械化の諸段階を提示した。このことから、明治前期から機械の出品は政府・官庁中心であり、それに褒賞を与えて啓蒙的な役割を担うことを期待したこと、また未熟な機械でも保護奨励するという政策・姿勢が見られることを論じ、機械工業全般の均一的な発展は見られないが、着実に機械化が進行したと結論付けた。
 第二章では、内国勧業博覧会に「内国」を付した理由、そして第一回から五回まで「内国」を削除できなかった理由を検討した。具体的には、まず大久保利通の殖産興業政策に対する姿勢を検討し、大久保が内国博を、国内産業の増進を第一の目的とした国内規模の産業奨勅会として位置づけたことを理由とした。もう一点は、不平等条約と内国博における外国出品との関連を検討し、安政条約における治外法権と内地通商権の不許可にあることから、博覧会を「内国」規模にしなければならなかったと結論付けた。そしてそこには、万国博を日本向けにアレンジした過程の中に、積極的に「内国」にした面と「内国」にせざるを得なかった消極的な面という、不平等条約下で、自力で産業を振興しょうとする明治国家の姿を見出すことができるとした。
 第三章では、内国博の効果面に視点を置き、福沢諭吉、久米邦武、大久保利通、金子堅太郎らの見解から内国博の効果を検討し、幕末から第五回内国博開催までのなかで、どのように変化していくかを分析した。次に、内国博への否定的な意見として、第二回内国博での沼間守一や、それ以後の政府要人、マスコミの意見を検討しながら、内国博の効果を疑問視した事例を紹介した。そして、第五回内国博開催後の、第六回内国博構想、日本大博覧会構想、また一九〇七年に東京府が開催した東京勧業博覧会の開催状況を紹介しながら、元々、富国強兵策の一環として導入された内国博が、次第にお祭りや娯楽と同等の国家イベントに変質し、政府にとって「不急の事業」となり、その価値が低下したことを論じた。また地方自治体の成長、共進会の興隆といった原因も挙げながら、博覧会の開催が政府から地方自治体・民間にバトンタッチされ、二〇世紀初頭の日本では、博覧会を開催するという政府の役割が終焉したことを論じた。
 終章では、内国博の総合分析の結果と、内国博を通して明治時代を照射した場合に何が見えたのかをまとめた。

  三、本書の特徴と若干の感想

 次に、本書の特徴、意義について述べてみたい。ここでは大きな特徴を四つ挙げておく。 一つは、第一回から第五回までの内国勧業博覧会について、これまでの研究においては概説的、部分的に述べられてきたのに対して、各回を総合的な視野から分析したことである。その分析に際しては、政府による報告書、公文書や、各地の行政文書、さらに新聞・雑誌など様々な史料を駆使して、その開催の背景や経緯・過程から閉会、また褒賞状況、閉会後の影響、そして開催の実態などの分析から、内国博開催それ自体の基本的な事項を明らかにしている。
 また、政府の政策だけではなく、府県レベルの対応や出品活動も検討しながら、府県の出品協力体制や地方末端の活動を指摘された。これにより、博覧会の会場に出品物を一堂に集め、それを比較・選別し、産業発展を促すという博覧会が持つ基本的な事項を中心に、それを運営・実行する政府や府県などの政策、諸産業・実業者などの関係団体の活動を分析することで、勧業政策としての博覧会事業を明らかにしている。
 次に、各回を共通した分析方法で通してみることにより、各回についての個別的な分析だけではなく、内国博を五回通して総合的な政策として検討し、内国博開催の時代状況、変化を実証的に明らかにした。そのなかでは、内国博開催に際して付随する様々な問題や効果も検討している。例えば、文明開化期において政府の啓蒙策として博覧会が果たした役割や、実業者など出品者の対応、褒賞後の訴訟問題、開催準備過程での博覧会誘致や都市整備、地域利害、経済効果の問題(特に第四回、五回)、また内国博を天皇と関連付けた面を指摘して、国民統合の一手段として機能したことなど、博覧会が様々な要素を含んでいることから諸分野の進展に、間接的に貢献したことを論じている。まさに「内国勧業博覧会史」という目的を達成している。
 また、機械出品に着目しながら、五回を通して機械の発展を分析したことは大きな特徴である。清川氏が指摘したように、内国博の成果を具体的に分析することは難しい。しかし、機械出品を取り上げて、一つの産業発展を内国博の出品状況から分析することで、博覧会の果たした役割を具体的に分析したほか、内国博の出品を通して産業発展を分析することの有用性を提示された。博覧会・内国博研究の今後の展開を提示されたといえる。
 もう一点は、内国博の「内国」の意味を分析したことである。大久保利通の殖産興業政策における国内重視の姿勢と、安政条約の治外法権条項等が重なり合うことで「内国」勧業博覧会に限定したことを社会・外交史的な分析から論じ、不平等条約の下で産業振興に臨む明治国家の姿を見出したことは、本書の大きな意義の一つであろう。

 こうした本書の研究成果は高く評価できるものであるが、いくつか気づいた点もある。一つは内国博の費用が勧業政策費のなかでどのような位置づけにあったのか、また内務省、農商務省の政策全体のなかでの位置づけについての言及があまり無かった点である。例えば第二回内国博では、西南戦争後のインフレーションの中での勧業政策という状況で開催されたものであり、また第四回では日清戦前における開催準備や戦後の状況など、当然、各回での状況は異なるだろう。また、省のなかでの博覧会事業を担当する職制・部署、担当者についての説明なども提示すれば、政策としての面をさらに明確にできたのではないだろうか。
 もう一つは、勧業諸会のネットワークについてである。一八七三年のウィーン万博、七六年のフィラデルフィア万博の参加経験から、政府が国内向けに博覧会開催を志向した点や、第一回内国博がその後の地方博覧会や共進会に与えた点は検討されているが、その後の万博、共進会、実業会などについてはあまり言及されていない。これらの諸会のネットワークについてはこれまで著者も述べており、内国博開催の視点から、第三回内国博以降についても、諸会との関わりを述べても良かったのではないだろうか。
 最後に、内国博に関わった人の問題である。第三部第三章で博覧会事業に関わった人々の見解を提示されているが、内国博開催にあたって、実際の運営に携わった人(例えば田中芳男などの「博覧会官僚」)、審査官、さらに出品者など、史料的な制約もあり難しい点もあるが、これらの人々の活動などについて、さらに明らかにすることも必要なのではないだろうか(3)。

  お わ り に

 以上、本書の内容を紹介しながら、評者の勝手な感想を述べさせていただいた。先述のように、博覧会が多くの要素を含むことから、本書は歴史学だけではなく様々な分野の方々から読まれるだろう(4)。ただ、本書の序章でも述べられているように、これまでも博覧会研究は経済史、産業史、技術史、美術史、建築史、社会史など様々な分野で成果がある。その一方で、各分野での成果が分散するために(歴史学分野に限っても)、互いに先行研究を見過ごしてしまうことも多く見られる。それは、これまで多くの博覧会の開催自体が、日本近代史のなかでほとんど明らかになっておらず、また様々な要素を含むために、分析方法や分野も多方面にわたることが、大きな原因となっているためであろう。評者も、産業史の視点から博覧会事業を検討している一人ではあるが、隣接分野はもちろん、諸分野に目を向けながら、それに四苦八苦しつつ、一方でそれが博覧会研究の楽しさの一つであるとも感じている。
 そうした研究状況のなかで、本書は総合的な視野から内国博を分析した、初の研究成果である。そして、日本近代史のなかで博覧会事業を分析する方法を提示したという点で、本書の果たす意義は、基本的な研究書としても非常に大きいと思われる。
 博覧会研究は、一時「ブーム」と言われたこともあった。しかし、本書の成果が示すように、日本の近代化のなかで博覧会事業が果たす役割を明らかにすることは、非常に重要な課題であると思われる。決して一時的なブームなどではなく、博覧会研究がさらに進展することを望みたい。また、評者自身も研鑽に励んでいきたい。


(1)著者が挙げた分野別の研究の他、近年では、拙稿「明治一六年水産博覧会の開催」(日本歴史学会編『日本歴史』第六七二号、二〇〇四年四月)など、テーマ博覧会に関する研究も進展しつつある。
(2)本書では挙げられていないが、最近では、伊藤真美子「第五回内国勧業博覧会と万博開催への模索」(『日本歴史』第六八六号、二〇〇五年七月)などの研究成果がある。
(3)例えば、拙稿「第三回内国勧業博覧会と実業界」(たばこと塩の博物館編『広告の親玉赤天狗参上 明治のたばこ王 岩谷松平』、同館、二〇〇六年)では、第三回内国博において東京商工会が推薦した審査官について、若干の考察を行なった。
(4)近年では、『10+1』第三六号(INAX出版、二〇〇四年)での「万博の遠近法」という特集や、椹木野衣『戦争と万博』(美術出版社、二〇〇五年)、吉見俊哉『万博幻想−戦後政治の呪縛−』(筑摩書房、二〇〇五年)など、戦後から現代における博覧会を対象とする研究成果も出されている。


  


詳細へ 注文へ 戻る