著者名:大島建彦著『アンバ大杉の祭り』
評 者:入江宣子
掲載誌:「民俗芸能研究」41(2006.9)


 「アンバ大杉大明神、悪魔を払ってよーいやさー」。千葉県北部の民謡調査で何人ものお年寄りが懐かしそうに美声を張り上げた。「あんばの方から吹く風は疱瘡が軽いと吹いてくる」と歌う民謡も茨城県太平洋岸でよく耳にした。アンバ様は厄病除け、疱瘡除けの神様で知られるが、地域により航海の守り神、漁業神、農業神など実に多様な祀られ方をしてきた。またその囃子はアンバ囃子、大杉囃子などと呼ばれて佐原囃子とも親戚関係にある。その中心は茨城県南部、千葉県境に近い旧桜川村、現在の稲敷市阿波に鎮座する阿波本宮大杉神社である。
 著者の大杉信仰との出会いは昭和六一(一九八六)年にこの阿波の本社を訪ねたことに始まるというから、丁度二十年前になる。その間一九九八年には著者編として『アンバ大杉信仰』(岩田書院)という四七〇頁の大著が公刊されている。こちらは大杉神社の縁起をはじめ、拝殿の扁額、境内の石造物を含めた近世記録、関東・東北に広がる大杉神社所在地一覧、神面貸与の講中や昭和六〇年と平成八年の参詣講中一覧、関係文献目録などの基礎資料集である。本社にとっていわばお得意様台帳である講中一覧は、めったには公開しない類いのものであろうから、研究者にとってはそれまで欠けていた神社側の資料として誠に貴重であった。また、各地の地方文書や大田南畝の『一話一言』など諸記録からアンバ大杉関係の抜書きを集めた頁は、江戸時代大杉大明神が江戸までも文字通り飛び火したり出開帳したりした時の様子、そしてアンバ囃子の歴史的流れを垣間見ることができて、誠に便利でありがたかった。大杉神社創建一二三〇年の大祭年にあたるのを機縁にひとまず資料まとめとして(「あとがき」による)『アンバ大杉信仰』(以下前著)を刊行した著者にとって、三つに分けた大杉信仰圏の各々の実例を、自らの調査記録ではなく各地の報告書などの引用で紹介したことが心残りであったはずである。

 本著『アンバ大杉の祭り』は、長年教鞭をとってこられた東洋大学を退職されてからの平成一五年から一七年にかけて、集中的に赴いた(再訪を含む)現地調査の記録である。全体は「アンバ大杉の信仰の展開」「太平洋沿岸のアンバ大杉の祭り」「関東平野のアンバ大杉の祭り」「房総半島のアンバ大杉の祭り」「アンバ大杉の信仰の実態」の章から成る。
 まず序章の「アンバ大杉の信仰の展開」は前著第一部「アンバ大杉信仰の展開」をほぼたどっているが、本著のみを手に取る読者にとっては必須の導入章である。章末の「アンバ大杉に関する祭り行事一覧」には全部で一五五ヵ所が載っており、約半数の八〇ヶ所が千葉県、他は岩手県三、宮城県五、福島県五、茨城県一〇、栃木県三一、群馬県八、埼玉県一三となっている。これらは地元調査の報告書などから拾ったもので、これだけでも大杉信仰の広域性多様性を示しているが、実際には未調査個所がもっとあるはずである。
 本論となる現地調査記録は、「太平洋沿岸」(岩手・宮城・福島・茨城北部)から五ヶ所、「関東平野」(茨城・栃木・群馬・埼玉)から七ヶ所、「房総半島」(千葉県)から九ヶ所、計二二ヶ所が載っている。著者としては、まず分かりやすい地域分けによって各地の実態を知ってもらったうえで、最終章「アンバ大杉の信仰の実態」で三つの信仰圏を提示・解説するという順序を念頭においているらしい。調査記録直前の頁には、すでに前著で提示され本著に引継がれている三つの信仰圏分布地図が載っているが、当然のことながら地域分けによる三つの章と最終章で詳述されている信仰の実態による三分類とは、ずれがあるので注意したい。

 著者によれば、第一信仰圏は、利根川本流の両岸にわたって茨城県西南部および千葉県西北部を中心とし(つまり第一信仰圏=房総半島ではない)、一定の時期に講中の代参者が、直接阿波本宮に神面を借りに来たりお札を頂きに来たりする圏内を指す。ムラの祭りでは天狗をかたどった神面を、若者が首に掛けたりあるいは神輿に納めたりして、笛太鼓で囃し悪魔祓いのことばを大声でうたいながら村中を巡り歩いてお札を配る。第二信仰圏は、茨城県中央部から南部および千葉県北部から中央部、そして利根川・荒川などの水系に沿って栃木県、群馬県、埼玉県、東京都の一部にも及んでいる。ここでは水運関係者によって航海安全の神様として広く支持されており、本社拝殿壁面には各地の船持講中の奉納扁額がたくさん掲げられている。第三信仰圏は、北は岩手県三陸海岸から南は千葉県までの太平洋岸一帯に散在しており、特に東北の祀り方は一見阿波本社とは無縁で、多くは漁業神として祀られている。
 茨城県を中心に長年大杉信仰の研究をされてきた藤田稔氏の「あんば信仰」(『茨城の民俗』二七号一九八八、再掲『茨城の民俗』二〇〇二)でも、大島氏の初期の成果(本著序章の前身となつた「大杉信仰の展開」『日本宗教の正統と異端』一九八八)をいち早く引用しながら、比較的近隣での厄病除け、利根川水系における航海の守護神、太平洋岸の漁村における豊漁祈願、という三様の祀られ方を提示しておられる。一言でくくればこのようになろうか。
 また「第一信仰圏では現在も阿波本社との交渉が保たれており、第二信仰圏では近代の変転を通じて、本社との関係が失われてゆき、第三の信仰圏では幕末の動乱を経て、阿波の本社との因縁が忘れられてしまった」という。大杉信仰の特色としては「必ずしも神社の形態をとってまつられていなかったこと」、つまり神輿そのものを祀ったり木造の小祠を持ち運んだりする例が多いこと。「何らかの必要に応じて、あくまでも臨時にまつられるものであった。」それが「どのように定期の祭りとして落ちついたのか、地域ごとにその実情をさぐらねばならない」とする。「本来の氏神の祭礼より地域の生活に即して受け入れられているもの」も多く、昔は「船頭の神」であったものが、水運の衰退とともに五穀豊穣の神に変化した事例も面白い。「疫病退散を願う夏の祭りと五穀豊穣を祈る春秋の祭りという、二つの系列の信仰の間でゆれ動いていたといえる」と指摘できるのも、実地調査の成果であろう。

 さすが大ベテランの民俗学者の調査記録は、広く深く観察の目が光り読みごたえがある。(実際、いつも重いかばんを肩に掛けて早足で歩き回る大島氏のエネルギッシュな行動には圧倒される。)特に本来あったはず(あるいは○年前)の有様と現在の変容とをきっちり書き分けていること、細かい事だが調査でお世話になった方々の個人名をそのつど明記していることに気付く。もともと関東地方、特に千葉県はさまざまな目的で大島氏がこまめに通っている地域なので、事例数も多く記述も詳細である。成田市成毛の「女の仲間の疱瘡囃子」銚子市小畑町の「若い衆入りとアンバ囃子」など興味深い事例もあがっている。また群馬県板倉町はアンバ囃子の楽器や曲目など音楽的報告が出されているほとんど唯一のところだが、本著でも地元の報告書が大いに活用されている。
 実はアンバ大杉信仰にとって忘れてならないのがアンバ囃子の存在である。前著のあとがきにも「きわめて大事な」と記されている。近世記録によれば、江戸時代、人々は笛・太鼓・鼓・鉦・三味線などの囃子に合わせて冒頭に示したような掛け声をかけ歌をうたい大いに浮かれ踊った、いわば「踊る流行神」だったのである。現在アンバ大杉囃子系統の祭礼囃子は大島氏の分類による第一と第二信仰圏にまたがって、すなわち利根川の両岸に沿って下流域から中流域へ千葉、茨城、群馬県などの一部にかたまって分布しており、江戸祭り囃子の分布と境を接している。大小の鼓を多用した賑やかなリズムと歌を伴う曲が特徴であるが、系統的研究はまだ公刊されていない。本著を読みながら音楽的研究の遅れを痛感し、音楽関係者として課題をつき付けられた思いである。


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