著者名:歴史資料ネットワーク編『平家と福原京の時代』
評 者:曽我部 愛
掲載誌:「ヒストリア」200 (2006.6)


 本書は二〇〇三年に神戸大学医学部附属病院構内で発掘された、平氏時代の二重壕などからなる楠・荒田町遺跡の歴史的な意味を考古学、文献史学、文学それぞれの立場から明らかにしようとした緊急シンポジウム、「平家と福原京の時代」(二〇〇四年一月、於 神戸大学)の記録である。この緊急シンポは、楠・荒田町遺跡の性格を、いわゆる福原京が構想された地域一帯の歴史のなかで総合的に検討し、その学際的評価を当遺構の保存運動に反映していこうというものであった。

 本書の内容については、合計五本の報告を中心に構成されているが、まず考古学の立場から二本の報告がなされる。岡田章一氏「楠・荒田町遺跡の調査」は楠・荒田町遺跡の発掘成果を述べたうえで、そこから発掘された薬研壕と箱壕からなる二重壕の機能について論じ、遺構から出土した遺物より平氏に関連する居館であると推察する。次いで須藤宏氏「本皇居・新内裏の位置と祇園遺跡」は、祇園遺構と安徳天皇の本皇居とされた「平野殿」との関連を検討したもので、地形や新内裏への移徙行程を記す『吉記』の記事をもとに、兵庫区湊山町一帯を「平野殿」、新内裏を荒田に推定する。そして祇園遺跡の邸宅主を重盛とし、本皇居を中心に清盛父子邸が周囲を固めるかたちでの邸宅位置復元を試みている。
 続いて文献史学の立場から元木泰雄氏「福原遷都をめぐる政情」は、福原遷都および平安京への還都の背景にある政治情勢を探る。とくに還都については平安京の儀礼世界に安徳天皇を戻すことで、動揺する安徳の権威の安定をはかり、そのもとに荘園領主権門を従属させ長期的な追討体制に組織するという、清盛の積極的構想があったと評価する。
 次に高橋昌明氏「福原の平家邸宅について」は、同じく文献史学の立場から福原での平氏一門の邸宅について具体像を提示し、その空間構成に平氏内部の清盛、頼盛という二元的政治構造が反映されたと考察する。さらに福原の占地や邸宅配置に風水説に基づく瑞相観を見いだし、そこに高麗人の関与の可能性をみる。
 佐伯真一氏「文学から見た福原遷都」は『平家物語』研究という日本文学の視点から、福原遷都をめぐって『平家物語』や『方丈記』にみえる平安京の荒廃と福原京の繁栄の語りから、史料としての文学作品について論じる。これらの五本の報告を受けて「討論」においては、「福原京」の概念や二重壕の性格を中心に活発な議論が交わされている。
 また最後に歴史資料ネットワーク(以下、史料ネットと略)事務局長松下正和氏「『楠・荒田町遺跡』保存運動の経緯と本書出版にいたる経過」は、同遺跡の保存運動の経緯とその成果を詳しく述べている。

 以上、各報告の内容について述べたが、本書は二つの側面から評価できるだろう。ひとつには、阪神大震災以来の史料ネットの活動の中で培われた学会ネットワークや地域住民との連携を活用し、研究者のみならず地域住民や行政、大学が一体となり、遺跡の保存運動に取り組んだという、遺跡保存の一種のモデルケースを提示したことである。そしていまひとつは、本シンポジウムが単に歴史的観点から遺跡の意義を訴え、保存運動に帰結させるにとどまらず、福原遷都を多角的に検討する研究集会としても高い水準を呈したことである。本書は遺跡保存をめぐる今後の運動のあり方だけでなく、福原遷都に関する研究発展にも大きな指標をなすものといえるであろう。


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