石塚尊俊著『出雲国神社史の研究』
評者・山陰中央新報 山陰中央新報(2000.6.18)


 出雲は「神の国」であるという。どこやらの首相の"失言"と違って、これは記紀神話の舞台の三分の一を出雲が占めていることや風土記、延喜式に記載された神社の数がずばぬけて多いことなどから、彼我ともに心象風景としても認めてきたことによる。
 だが、出雲の神々や神社についで幅広く、深く検証したものは、意外なほど少ない。信仰の対象だけに神々や神社について根掘り葉掘り調べるのははばかられる雰囲気があったためだ。出雲でこのタブーが消えたのは、戦後もしばらくたってからである。
 郷土の碩学(せきがく)石塚尊俊氏が著された『出雲国神社史の研究』は、戦後このテーマについて正面から取り組んだ、ほとんど初めての書だ。
 それも専門の民俗学や宗教学だけでなく考古学、文献史学、地理学の最新の知見を駆使し、長年のフィールドワークによる推論も加えで詳述したもので、硬い書名からは予想もできないような、推理小説を読むような面白さが随所にちりばめられている。
 例えば、記紀や風土記以前の出雲、あるいは神々のありようを風土記などに使われている漢字の用法や違いなどからも推理する。
 式内社の朝山神社がある出雲市朝山。ここには祭神の宿る宇比多伎山のほか陰山ど呼ぶ小山があり、祭神の冠を飾る日陰鬘(ひかげのかづら)だとされる。ところが、日陰鬘を表すカゲは記紀などでは蔭を使い、陰はホトを表す。これがホトだとすれば、近くにある桙(ほこ)山は祭神の武器ではなく男性神だろ。
 さらにこの前方には稲山と呼ぶ小山もある。この三山の配列は東南アジアなどに残る穀霊信仰の母稲、父稲、子稲を連想させる。出雲の神々の伝承ができるはるか昔、稲作とともにこうした原始宗教がこの地にもあったのでは…という推論には強い共感を覚える。
 金体をT―W編で構成、T編では従来の風土記研究の盲点をつき、また風土記伝承などから風土記以前の出雲を推理。風土紀のなぞの一つとされる「出雲神社」の所在についても新しい検証を試みる。U編以下では解明が遅れでいる式内社の問題点、中近世以降の勧請神社の消長を詳述する。
 書名もテーマも決して大衆的とはいえないが、時折出雲弁も交じる筆致は玄妙で、専門用語を極力避けた論述は、門外漢にも理解しやすい。
 時には大胆な踏み込みや論及もあって、氏のこの方面の研究の集大成の趣がある。出雲研究家はもちろん古代出雲ファンにとっても必読の一冊だろう。(長)

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