著者名:下重 清著『幕閣譜代藩の政治構造』
評 者:鍋本由徳
掲載誌:「日本歴史」709(2007.6)


 本書は、十年来小田原藩研究を進めてきた著者が、既発表論考を整理してまとめた、譜代藩に関する著作である。譜代藩研究については、下総佐倉藩を題材とした木村礎・杉本敏夫編『譜代藩政の展開と明治維新』(文雅堂銀行研究社、一九六三年)、陸奥磐城平藩・日向延岡藩を題材とした明治大学内藤家文書研究会編『譜代藩の研究』(八木書店、一九七二年)が代表的な著作として挙げられる。これら二書が当時の藩政史研究の主流ともいえる総合的研究であり、かつ複数の執筆者による著作であることに対し、本書は小田原藩主稲葉氏と「老中政治」との関連性との一貫した視角に基づいた単著である。
 さて、本書の構成は次の通りである(副題は省略した)。
 
 序 章 譜代藩研究の課題と方法
 第一章 徳川忠長の蟄居・改易と「関東御要害」構想
 第二章 「寛永政治」の再構築
 第三章 稲葉氏小田原藩の軍役負担と藩財政
 補 論 役負担から見た朝鮮通信使の通行
 第四章 幕閣譜代大名の連帯
 第五章 譜代大名の権力構造
 第六章 老中稲葉正則の人的ネットワーク
 終 章 幕閣譜代大名と「老中政治」
 
 序章・終章を除き、初出段階の成果に加筆・削除を施し、ほぼ書き下ろしに近いかたちとなっている。以下、本書の内容を簡単に紹介する。
 序章は、藩研究の総合的な数量的分析である。藩の研究動向を分析、「藩制」「藩政」「藩世界」への研究視角の変化、最後に譜代藩研究の動向と課題を述べる。その上で本書では「藩世界」の手法に基づき、小田原藩を通して、「幕府政治世界」をとらえていくことを目的として設定する。
 第一章では、駿河藩主徳川忠長の蟄居・改易が家光の「関東御要害」構想に与えた影響、そして小田原に稲葉正勝が入封する意義を述べる。寛永九年(一七九七)、肥後国加藤忠広改易前後から正勝の立場が上昇する契機のひとつとして、縁戚稲葉氏と加藤氏との交流に着目する。さらに正勝が肥後国へ赴くと同時に、関東・上方へ国廻り衆が派遣されたことが譜代大名配置替えの前提であったことを指摘する。このような背景から徳川忠長の改易、幕府直轄軍の再編、譜代大名配置転換を通じ、家光の「関東御要害」が具体化し、正勝は駿府藩に替わって東海道要害を守衛するために小田原へ入ったことを述べる。
 第二章では、主に寛永期の幕政に着眼点を置き、軍制改革・関東外へ転封した譜代大名のあり方・職務分担などから「寛永政治」の再構築を試みる。たとえば、稲葉正則が年寄・「六人衆」らと同列にあった理由として、家光側近から人材が育っていないことを挙げる。
 第三章では、譜代藩における平時の軍役負担について述べている。万治年間における小田原藩の役負担を紹介し、さらに参勤交代での負担・家臣団増強・江戸藩邸での支出増・数度の藩邸修築・小田原城下整備・領内開発などが藩財政を逼迫させたことを述べる。
 補論では、朝鮮通信使の沿道通過にともなう伝馬・人足役をはじめ、通行の様相を紹介する。
 第四章は、幕閣、殊に老中を譜代が担う意味を稲葉氏を通じて検討したものである。著者は、時期を家光〜家綱前期、家綱後期、綱吉前期・綱吉後期にわけ、武家との交友関係から育まれた政治のバランス感覚が、集団指導体制を目指す老中として、稲葉正則の抜擢へつながるとする。
 第五章では、小田原藩領における家臣団編成・領地支配について述べる。幕閣譜代に求められることは、藩運営を委任できる家中を揃え、領地経営が譜代藩政の手本となるべきであるとの自覚であり、稲葉正則の場合は、小田原帰藩によってそれを実現できたことを述べる。
 第六章では、稲葉正則の築いた人的ネットワークを、武家以外からとらえ、黄檗僧鉄牛と河村瑞賢に焦点をあてる。あわせて堀田正俊刃傷事件の意義も検討する。正則と鉄牛との信頼関係は、寛文期の椿海干拓事業など大規模開発に対する正則の助力につながるとする。堀田正俊の刺殺は幕府内での多数派意見と乖離したことが要因で、「老中政治」の調整機能発現であったとする。
 終章では、全体の総括および今後の課題を述べる。

 以上、内容を簡単に紹介した。本書は、「老中政治」との関わりを基軸にして分析が進められ、譜代藩を対象にした研究である点に意義がある。近年の藩研究が、「藩国・藩輔」をキーワードとした、藩の幕府に対する自立性・従属性の追究、他藩との関係から導き出される「藩世界」の形成の追究など、近世国家を改めて考え直す契機を生んだといえるが、それらの多くは譜代藩を対象としたものではなかった。
 譜代藩主のなかに幕閣に就任する大名が存在することで、幕府と藩との関係には、幕閤を輩出する藩とそうではない藩との間に質的差異があることは明らかである。譜代藩は幕藩関係構築上での主体であると同時に将軍権力の一環を担う。個別研究レベルで関東譜代藩の成果はあげられているが、それらを総合したものはみられない。本書は、幕閣として就任する藩主稲葉正勝・正則の動向、幕閣として藩主を送り出す藩の構造、幕政としての「寛永政治」の特質を互いに結びつけ、既説を再検討しながら、小田原藩独特の「藩世界」を検証しようとする。幕閣譜代藩が他藩の手本となるべき「仕置」をおこなう指向性を持ち、藩主が幕閣として幕政に専念できるよう「家中」の体制を整えることを要求されたことを、具体的事例をもって本書は示している。そして、各章での個別事例の緻密な分析、さらに適宜、先行研究と比較することで、著者の考えが描かれる。これらの成果は、長年にわたり小田原藩を精力的に研究してきた著者の努力に他ならない。

 しかしながら、若干の疑問を感じたことも事実である。それは、稲葉正則の動向や、正則の人的ネットワーク構築の具体事例が、小田原藩の幕閣譜代藩としてのあり方とどのように結びつくのかが理解しきれなかった点である。旗本や江戸藩邸の留守居、縁戚を伝手とするネットワークの構築は、江戸時代を通して武家に見られるものである。幕閣譜代大名が、外様大藩との人的ネットワークを構築して政治バランスの素養を身につけることが重要であったことは充分想定できる。一方で外様大藩にとり、幕閣とのネットワーク構築は大名として生きてゆく一つの手段だった。この点を著者は理解しつつも、必要以上に稲葉正勝・正則の持つ能力を評価しているように読み取れる箇所がある。たとえば、外様大藩の目付や徳川綱豊の家政後見などの大役を勤め、正則の政治的立場を上昇させたことは事実だが、それを「資質」「交流」の視点で論証しきれるものだろうか。「集団指導体制」における稲葉氏の特徴を見出すのであれば、他の幕閣譜代大名の動向と比較することで説得力を持つと思われる。
 また、幕政の分析と、小田原藩あるいは稲葉氏の動向分析がうまく連動していないようにも思われる。本書の場合は、幕政全体の再検討を踏まえて稲葉氏の特質をとらえようとする。しかし、幕政分析と小田原藩分析が各々独立し、「小田原藩をフィルターにして幕政のあり方をとらえる」とする著者の意図が充分に機能していない。たとえば、第六章でとりあげる幕府の新田開発事業について、著者は「新田開発に理解と実績のある稲葉正則を名指しで仲介者として頼ってくることは必然」と述べるが、稲葉正則個人に実績があるとしても、それが小田原藩とどのような関わりを持つのか。大役選任は、稲葉氏が小田原藩主であることが理由なのか、それとも稲葉氏が持つ性質が理由なのか、その点に曖昧さが残る。本書では稲葉氏が持つ性格に重点を置いたため、小田原藩が持つ特質が薄れてしまっている。つまり、譜代大名と譜代藩が持つ違い、譜代大名が持つ領主的側面と官僚的側面の違いを考えながら整理することでヒントが見つけられないだろうか。

 以上、寛永〜元禄を見通した著作で、単著の研究書として久しく目にしなかった譜代藩研究を紹介するにあたり、評者はあまりにも非力で、評者こそが一面的な見方しかできていないのかもしれない。誤読・誤解、著者の意図を汲み取ることができなかったとすれば、それは評者に責任がある。個別分散化している近世史研究において、改めて「藩」とは何か、「譜代藩」とは何か、幕府政治や近世国家を考える上での指針を本書によって与えられたことは、大変貴重である。本書を契機にした譜代藩研究の進展、併せて著者のさらなる研究の深化に期待したい。
(なべもと・よしのり 日本大学非常勤講師)


詳細へ 注文へ 戻る